第22話 教会の思惑

「……あの、」


 四人のやり取りに恐る恐る声をかけたのは、奥の部屋へと引っ込んでいたはずの司祭であった。


「あまり大きな声を出されると、周りの方たちの迷惑にもなりますので、どうかもう少しお静かに……」

「ああ。ごめんなさい。もう出ますわ」


 司祭はメイベルの顔に覚えがあったのか(式を挙げたので当然と言えば当然だが)、はっとしたように見つめた。そしてその隣にいるサイラスにも目を向けた。フードを脱いだ第一王子の顔を司祭はまじまじと見つめ、突然目を瞠った。


「もしやあなたは……」

「そろそろ。行こう」


 司祭が何かを言う前にサイラスがさっと背を向けた。メイベルたちも緊張した面持ちを隠せぬまま、そそくさと後に続いた。


「――気づかれたかしら?」


 教会を出て、人通りの少ない所までやって来ると、メイベルは先ほどの司祭の様子に言及した。ヴィンスも難しい顔をしている。


「どうでしょうか。あの様子では……」

「大丈夫だろ。たとえ気づかれたとしても、視察かなんかで来たと思うだろう」

「そうだといいんだけど……」


 会話まで聞かれただろうか、とメイベルは不安になった。王都の教会から遠く離れた地であるが、同じ教会の管轄下であることには変わりない。


「……あの、ごめんなさい。俺が乱入したから」


 レイフがしゅんと肩を落として謝った。メイベルは違うわよ、と励ますように言った。


「私とサイラスが喧嘩したのが悪いのよ」

「まぁ。そうだな」

「でも……」

「子どもがよけいな心配するな」


 サイラスの気遣う言葉に、レイフはぴくりと反応した。


「もう子どもじゃありません」

「そう言っているうちはまだまだ子どもだな」


 ふふん、とサイラスは馬鹿にするように笑った。それにヴィンスが呆れたように言った。


「殿下だって年下相手にずいぶんと大人げないと思いますが……」

「俺の弟のケインはおまえと同じ年齢だが、おまえよりずっと落ち着いていて、思慮深いぞ?」

「殿下はもう少し、ケイン殿下を見習ってほしいですが」

「おいヴィンス! さっきからうるさいぞ!」


 主人に小言を述べる臣下の態度に、サイラスは憤慨したように文句を言った。それをはいはいと軽く受け流す騎士団長。メイベルとレイフが呆れて見ていることに気づくまで、二人はそのやり取りを続けた。


「……まぁ、なんだ。だから何かあっても俺たちが何とかするからおまえは気にするなということだ」

「殿下が、というより私や周囲の者が何とかする感じですがね」

「またおまえはそうやって……」

「お二人ともそこまでにして下さい」


 メイベルがぴしゃりと言い放つと、二人はぴたりと口を閉じた。


「とにかく、もう夕暮れなのでそろそろ家へ帰りましょう」


 ◇


 レイフは自分の軽率な言動を反省したのか、帰りの馬車でも食事中も、あまり話そうとしなかった。メイベルたちが気にするなと言っても、やはり簡単には切り替えられないようだった。


(レイフのせいじゃないのに……)


 彼がサイラスに対してあんなふうに怒ったのは、兄夫婦の仲に思うところがあったためだろう。メイベルとしては理想の夫婦を演じているつもりだったが、弟であり、子どもである彼の目は誤魔化せなかった。


(姉代わりになってやろうと思っていたのに、逆に不安にさせちゃって……私ってだめね……)


「――メイベル。ちょっといいか?」


 はぁ、と落ち込むメイベルをサイラスが呼び止めた。夕食が終わり、今日はもう部屋で休もうという話になったはずだが……彼女は怪訝な顔をする。


「なあに? 王都へ一緒に帰ろうという誘いだったら、もう結論は出たはずよ」

「そうじゃないさ」


 サイラスはそう言って、人目を憚るように小声で言った。


「イヴァン教皇や大司教たちのことだ」


 その名前にメイベルはドキリとする。


「彼らがどうかしたの?」


 もしかして、と彼女はミリアや他の聖女たちの顔を思い浮かべた。


「ミリアたちの誰かをアクロイド公爵閣下のもとへ嫁がせようとでも考えてるの?」


 不安そうな表情をしていたからだろうか。サイラスが慌てて違うと首を振った。


「それはありえない。父上も俺も、他の貴族だって、まだ若い彼女たちを叔父上のような男に嫁がせることは反対だ。だから結婚なんて絶対ない。安心しろ」

「それならいいんだけど……じゃあ、どうしたの?」

「メイベル。彼らはおまえとリーランド辺境伯の仲を疑っている」

「え?」


 いや違うか、とサイラスは言い直した。


「おまえを別の男と結婚させようって企んでる」


 メイベルは息を呑んだ。


「そんな。でも、私は教会に認められて……」

「教会の不手際でおまえを危険に晒したのは事実だ。だから、とりあえずは結婚を承諾した。でも、いったん結婚しても、また何かしらの理由をつけて離婚させれば、おまえをまた別の男と結婚させられる」

「離婚……」


 アクロイド公爵とだろうか? メイベルは両手をぎゅっと握りしめた。


「あなたがここへ来たのは、そのため?」

「そうだ。教会が誰と再婚させるかはまだわからないが……そうならないよう、俺はもっとおまえに相応しい、おまえを守ってくれるやつと結婚させた方がいいと思った。打算抜きでおまえを愛してくれるやつと」

「……ハウエル様は相応しくないと?」


 少し厳しい声音でそう尋ねると、彼は一瞬迷ったものの、こくりと頷いた。


「いざとなれば、彼はおまえを容赦なく切り捨てるだろうって俺は会った時に思った。それに……」

「それに?」

「彼がおまえに結婚を申し込んだのは、おまえを政治的に利用するためだと思ったんだ」

「政治的……ハウエル様の辺境伯としての地位を盤石なものにするために?」

「いや、それもあるだろうが……王都の政治に口出しするために」


 メイベルは目を瞠った。


「それはいくら何でも……」

「ありえない話か?」

「だって、ハウエル様はこのウィンラードのことだけを考えていらっしゃるわ。中央の政権についてまで口を出そうとなんて……」

「そう振る舞っているだけじゃないのか? 中央でそれなりに地位を固めておけば、結果的にこのウィンラードに優位な政策をとれることにも繋がるだろう? それに何も彼が中央に出てこずとも、弟のレイフや親族が活躍する機会を作るためだと思えば、十分おまえと結婚する価値がある」


 たしかにそうだ。いや、よく考えればそうだ。どうして今までそんな初歩的なことを自分は考えなかったのだろう。


(私が、ハウエル様を信じたいと思ったからだわ……)


 だからあえて、メイベルは考えないようにしていた。


「メイベル。おまえはおまえ自身が思うよりずっと稀有な存在だ」

「……わかっているわ」


 暗い顔で答えるメイベルに、サイラスは憐れみを含んだ目で見つめた。


「時々、おまえが聖女でなければいいのに、って考えることがあるよ」

「……そうね。でも私が普通の女の子だったら、あなたや、ミリア、ハウエル様にも出会えなかったわ」


 だから、とメイベルは明るく言った。


「私はここでやっていくわ。たとえ教会が離婚するよう何かをしかけて来ても、大人しく従ってあげるもんですか」

「……そうか。わかった。おまえを信じるよ。レイフも、ああ言ってたしな。俺は大人しく王都へ帰るよ」


 そう言いながらもサイラスの顔はどこか寂しげであった。彼の表情を見ていると自分までその感情に呑まれそうで、メイベルはばしんと彼の背を叩いてやった。


「もう。しっかりしなさいよ! 明日には帰るんでしょ?」

「~~~~そ、そうだな。シャーロットも待っているだろうし」

「そうよ。きっと色々誤解なさって、不安になっているだろうから、さっさと帰りなさい!」

「わかった、わかった。これ以上ここにいると、またさっきみたいな強烈な一発を食らいそうになるからな」

「もう一発いっとく?」

「いやっ、もう勘弁してくれ!」


 慌てて距離をとったサイラスに、メイベルは声を立てて笑った。



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