17

 ミレイアはかすかに息を飲み、同時になぜか笑いたくなった。とてもラウル・ヴィクトールらしい。

 捧げられた剣を取る。刻印無しには、ずしりと重く感じられる。


「ミア、だめだ! こんなの、間違ってる! 君に刻印を使わせようとしているだけだ……!!」


 エミリオが焦ったように声をあげる。


「刻印なんか使っちゃいけない……!!」


 これまで幾度となく聞いてきた言葉。

 だがそれを聞いたとたん、ミレイアはふっと苦笑いした。


(……殿下の言う通り、なのね)


 使。エミリオがまず口にするのはそれだ。この身を案じるでも、ラウルに提案された勝敗の先の条件に抗議するでもなく。

 力を使うな――それが、エミリオにとって最も大事なことなのだろう。


 忌まわしいと言い続けてきたのは、エミリオの羨望や憎悪の裏返しだったのか。

 確かに刻印を熱望していたのは自分よりもエミリオで――なのに、そのことの意味を気づかなかった。


 ミレイアは、鞘をゆっくりと滑り落とした。


「私ね、本当は、この刻印を疎ましいってあまり思っていないの」


 エミリオが息を飲む。


「確かにおそろしいかもしれない。でもこの刻印が力をくれたおかげで、私は守りたいものを守ることができた」


 ミレイアは右手で柄をしっかりと握り、手首に、足首に意識を向けた。

 熾火のようにじわりと熱を帯び――眠っていたものが起きる気配がする。

 頭のどこかで一瞬、獣のように泣き叫んでのたうった過去がよぎった。刻印の激痛。嘔吐き、おののかれ、朦朧とし――それでも、耐えた。


 ミア、とエミリオが狼狽したように呼ぶ。

 使うな、使わないでくれ――懇願するように、悲鳴のように言う。


「私は、哀れんでなど、ほしくなかった」


 感じていた剣の重みがふっと消える。手に馴染む。体の一部になったような。両足は、雲を踏むように軽やかだった。踵の高い靴を履いていてもいまは問題ない。

 いまや《力の刻印》は完全にミレイアの意のままだった。


 聖女、英雄と褒めそやされたかったわけではない。

 ただ――。


「認めてほしかった」


 子供のように、そんな言葉がこぼれた。

 鋭い氷片が一瞬だけ胸をなぞったように、痛みがよぎった。

 だがすぐに解けて消えた。


 ミレイアはもうエミリオを振り向かなかった。目の前の相手だけを見つめる。そうしなければ渡り合えない相手だった。

 ――おそろしく美しく、奔放で、誇り高い武人。

 刻印に適応したこの身にこそ価値があると言ってくれた男。


 抑えることをやめたとたん、刻印が歓喜するように熱をあげ、手首と足首から全身へと力を巡らせていく。


「これは、私の望みのために手に入れた力。私自身で、勝ち取った刻印――」


 カツ、と音をたててミレイアは一歩踏み出す。

 応じるようにラウルも踏み出す。


 周囲の者はほとんど逃げ出している。

 華やかな宴の場で、聖女と黒の死神はかつて戦場でそうしたように二人きりで向かい合う。

 どちらともなく、両者の唇には淡い微笑が浮かぶ。声なき声。言葉なき言葉。


 自分だけを見つめる男を見つめ返しながら、聖女はいつかの戦場でささやかれた声を思い出す。


 ――

 

 そして、両者は同時に地を蹴った。

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