15

 エミリオの声はそうとわかるほど強ばっている。 


「僭越ながら、申し上げます。殿下ほどの高貴にして誉れ高い方ならば、大陸中の、殿下にふさわしい高貴な美姫がこぞって心身からお仕えしたいと望んでいることでしょう。刻印を持っていても……いえ、持っているだけで、その末席に連なるのは、ミレイアには荷が重すぎます」


 ひどく緊張した様子で、それでもエミリオが自分を奮い立たせるように言い切る。

 ミレイアは驚きに目を瞠った。

 ――ラウルに意見するのは、エミリオの立場では本来ならば許されない。それでも言葉を選び、正面から対峙することにしたようだった。


 言葉を失うミレイアの横で、エミリオはなおも続ける。


「――刻印を除けば、ミレイアはただの女です。殿下にふさわしい女性ではありません。どうぞ、お慈悲を。このミレイアを哀れんで、心を弄ぶような真似はおやめくださいますよう」


 静かに力をこめ、エミリオは言い切った。

 音楽は控えめに流れている。だが誰もが固唾を飲み、その眼差しを三人に向けていた。

 大国の王子から求婚者を守ろうとする健気な青年――あるいは無謀な青年。そう見えているのかもしれなかった。


 エミリオは精一杯謙譲を示しながら、だが求婚を取り下げさせようとしている。

 そうわかっているのに、ミレイアの中にわいたのは純粋な喜びではなかった。


 ――刻印を持っているだけの。刻印を除けば。哀れみ。

 いままで疑ったことなどなかったその言葉が、濃い翳りとなって胸に差す。


 ラウルは一度、ゆったりと瞬いた。そして、


「くだらん」


 一撃で斬り捨てるように、言った。

 ラウルの目がはっきりと不快げに歪んだ。


「ではお前は、と? 刻印をのぞけば、これはだというのか」


 実際に斬りかかられたかのように、エミリオは怯んだ。

 それと同時、ラウルの言葉にミレイアもまた胸を衝かれた。

 鬱屈していた気持ちを、思いも寄らぬ相手に代弁されたように感じた。


 エミリオは口ごもる。そんなことは、と言いかけ、だが続かない。

 ――ラウルの言葉を否定すれば、ミレイアを諦めてくれとは言いづらくなる。

 刻印以外に特別なもののない女。それを理由に諦めてほしいと説こうとしていたのだから。


「お前は刻印の価値を認めながらそれを否定しようとしている。それほど――この女が刻印に適応したことが、刻印に選ばれたことがのか」


 ミレイアはいきなりこめかみに一撃を食らったような衝撃を受けた。


 ラウルは何を言っているのか。

 意味の分からない言葉だ。

 そのはずなのに、呆然とした。まるで、いままで見えていなかったものが急に見えるようになったかのように。


 エミリオの反応はもっと露骨だった。

 声を失ったあと、かっと顔が赤くなった。温厚な幼なじみの顔に憤りが浮かんだのを、ミレイアは見た。


「何を……そのようなことは、ありません!」

「お前はかつて自らが刻印を受けようとして失敗した。だがその女は適応した。それも両手両足に」


 エミリオが絶句する。なぜそれを、と震える声でもらし、今度はミレイアの血の気が引く番だった。

 ――ミレイアが刻印を得るまでの経緯を話したせいで、ラウルはおそろしいほどに察しているようだった。


「お前は頑なに、ミレイアに刻印を使わせまいとしているようだな。――ゆえに使ってはならず、ミレイアが己を忌み、萎縮するように仕向けている」

「な……っ、僕はそのような!」


 エミリオが蒼白になり、だがはっとしたようにミレイアに振り向く。

 ――君がそんなことをラウルに言ったのか。そんなことまで話したのか。

 信じられないというような眼差しに、ミレイアは竦む。必死に頭を振る。それだけで、精一杯だった。


 頭の奥で、ラウルの冷ややかなほどよく通る声が反響していた。

 ――己を忌み、萎縮するよう仕向けている。

 そんなはずはない。無意識に、手首を押さえる。


 急に干上がった喉で、必死に声を絞り出す。

 それでもエミリオは違う。わざとそんなことを刷り込むような人じゃない。


 だがラウルの声はいっそう鋭さを増して、ミレイアの言葉を斬り捨てた。


「くだらん考えに足をとられるのはやめろ、ミレイア。その男は己が手に入れられなかったものを踏みつけ、貶めたいだけだ。忌まわしいものと思い込むことで、それに価値がない、ゆえに手に入れられなかった自分を正当化したいだけだ」


 ラウルの声には、息の詰まるような冷厳さと侮蔑が露わになった。


「違う、違う……っ!!」


 激しく叫んだのはエミリオだった。

 輝かしい夜会の場で招待客に遠巻きにされ、まるで敵国の王子に糾弾されているような光景は、滑稽を通り越して歪にすぎた。


 ラウルはひどく冷めた眼差しでエミリオを一瞥したあと、呆然とするミレイアに向いた。

 夜のように底のない目が、ミレイアを見つめる。


「ミレイア、貴様は自分を哀れむのか?」


 研ぎ澄ました一撃のように、その問いがミレイアの胸を衝いた。

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