7-1

 王宮から帰宅し、逃げるように眠って一晩経った後、ミレイアの元に急遽きゅうきょエミリオが訪れた。


「テンペスタの黒王子が君に求婚したというのは本当なのか……?」


 半分訝しみ、もう半分は不安げに、エミリオは言った。

 ミレイアはやや口ごもりながら首肯する。


「新手の挑発とか、悪ふざけでしかないと思うのだけど……」

「僕という婚約者がいるということは、言ったんだよな?」

「も、もちろん」


 ミレイアは慌てて首を縦に振った。

 エミリオは眉根を寄せた。


「それでも引き下がらなかった? いや……テンペスタの王太子なら、僕程度の存在なんて歯牙にもかけないだろうが……」


 ミレイアはまた緩く頭を振った。


「別の意図があるのかもしれないわ。突拍子もない話題で注意を引き付けておいて、別のところに真意があるのかも」


 言いながら、ミレイアはその推測がもっとも正しいように思えてきた。

 つまりは陽動。攪乱。そういったもののためではないのだろうか。

 エミリオは難しい顔のまま、腕を組んだ。


「そうか。揺さぶりをかけているのかな。でもそうなると厄介じゃないか? 今回、我がリジデスが交渉のために向こうを招いたんだろう?」


 ミレイアは静かに肯定した。

 ――グエラの戦いは、こちらが壊滅的な痛手を負う前になんとか停戦協定を結べた。

 だが協定にはリジデス側に不利な項目が多々盛り込まれていたはずだ。


「……向こうテンペスタがこちらに来てくれるというのも、妙といえば妙だったわ」

「君の身柄こそが目的……ということはないだろうか。協定を交渉してやるかわりに、君の身柄を要求する、というようなことは」


 まさか、とミレイアは息を飲んだ。だがすぐに、ありえないことではないと思い至った。

 ――黒の死神とも言われるラウルにとって、おそらくもっとも目障り・・・なのが、《四印の聖女》であることには変わりない。


 そうなれば、事態は黒王子のただの戯れとか酔狂などといったものではなくなってくる。


 黙り込んだミレイアに、エミリオはふと不安げな顔をして言った。


「いまさらミアの身柄を要求するなんて……。ミアはもう、《力の刻印》を使っていないのに。刻印を使わない……もう聖女じゃないというのを、ラウル王子は知らない可能性は?」


 ミレイアの心臓はどくんといやな音をたてた。

 とっさに、左手首の刻印を抑えた。知らず、視線が下がっていく。

 ――刻印を使わなければ、もう聖女じゃない。ミレイア自身に特別な力などないのだから。むしろそうなろうとしてきたはずだった。


 だが――とっさにラウルに剣を向けられたとき。

 考える力が吹き飛んでしまった。一つだけでなく、四つすべてを発動させた。

 そうしなければ殺されていたかもしれないというのは、言い訳かもしれない。

 ほかの手段を、まるで考えられなかったのだから。


「……ごめんなさい。ラウル王子に剣を向けられて、刻印を使ってしまったの」


 エミリオがかすかに息を飲む。


「それは……その、向こうの挑発だったんじゃないか……?」


 ミレイアはきゅっと唇を引き結んだ。

 ――おそらく、エミリオの言葉が正しいのだろう。

 確かに、ラウルが《力の刻印》の効果を確かめようとして剣を向けてきた可能性は大いにあるのだ。ミレイアがまだ、《四印の聖女》であるかどうかを確かめようとしたために。


 あの殺気がどれほどのものかは、向けられた者にしかわからない。ミレイア自身が過剰反応していた可能性もある。


 このまま力を使わず、ミレイアが普通の人間になるために誰よりも協力してくれていたのはエミリオだ。――その彼を、失望させたかもしれない。


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