4-2

 長身の男は、全身を漆黒に包んでいた。ともすれば喪服のように見えかねないのを、上着の袖や襟元に施された煌びやかな金の刺繍、長い足を包む脚衣が青みを含んでいることで、夜そのもののような濃淡を描いている。

 金の留め具と長い紐飾りで止められた短いマントは、右肩からぐるりと上体を包む。


 衣装のみならず、男の髪もまた艶やかな漆黒だった。肩を越す長さを、首の後ろでひとまとめにしている。

 そして吸い込まれそうな深い目元――長く濃い睫毛に縁どられた目もまた、黒に近い紺色だ。

 形がよく、気位の高さを表すような鼻。冷笑を浮かべているようにも見える薄い唇。引き締まった顎と頬。

 息を飲むような美男子だ。


 その男がミレイアを通り過ぎる瞬間――ふいに深い紺色の目が、ミレイアを射た。


(な、……)


 瞬間、ミレイアは目のくらむような強烈な既視感に襲われた。


 男の端正な唇に、ほんの一瞬冷笑が深くなったような気がした。

 だがミレイアが正気に戻った時には男はもう通り過ぎてこちらに目を向けようともせず、王の前に立っていた。


 男に従っていた護衛と思しき二人が下がり、壁に寄る。


 まだ心にざわつきを覚えたまま、ミレイアは夜をまとったような男の背を見た。王とは親子ほど年が離れていそうな男は、だが自分こそがこの場の主であるかのように傲然としていた。


 そして朗々たる声で、黒をまとう男は言った。


「――リジデス国王陛下に、テンペスタ王が第一子、ラウル・ヴィクトールがご挨拶申し上げる」


 そのあまりによく通る、力を持った言葉を聞いたとたん、ミレイアの全身は総毛立った。

 ――


 王が怯んだように言葉を返す。だが男――ラウル・ヴィクトールはそれを無視して振り向く。


「それともう一人に」


 短く告げた次の瞬間、ラウルの護衛の一人がミレイアに歩み寄る。

 

 ミレイアは半分痺れたまま意識を現実に戻し、とっさに身構えた。

 冷ややかな目をした護衛が、両手で剣を差し出してくる。まるで贈り物であるかのように。


 ミレイアは警戒しながら訝る。だが護衛は「お受け取りください」とだけ告げ、ミレイアに半ば無理やり押し付けて素早く下がる。


 何のつもりかとミレイアがラウルに目を向けたとたん、黒い影を残してその姿が消えた。


(――!)


 殺やられる。


 全身に落雷を受けたように本能が直感する。


 両手首、両足首に焼けるような熱がはしる。体が勝手に動く。鞘走りのかすかな残響、


 ――ガキン、と剣の噛み合う咆哮が響き渡った。


 考えるよりも先に、ミレイアは押し付けられた剣を抜き放っていた。

 その抜き放った剣に交差して押し迫ってくる剣がある。

 そしてその向こうに――まるで恋人が見つめあうような至近距離に、笑う男の顔がある。


「ど、ういう……おつもりです、ラウル・ヴィクトール殿下!!」


 剣を握る手に力をこめながら、ミレイアは叫んだ。

 両手首と両手足がひどく熱い。――かつて剣戟けんげきと怒号の中で何度も感じた、《力の刻印》が発動しているときの感覚。


 男の紺色の瞳が輝きを増し、ミレイアを睨む。

 ――その目に、見覚えがあった。

 忘れようとしても忘れられない。焼けつくような記憶。


「はっはァ! 多少鈍っているようだが、まだ折れてはいないな!」


 記憶の中と変わらぬ声で、ラウルは声をあげて嗤った。


 夢にまで出てきた、全身を黒い鎧で包んだ男の正体をミレイアはいまはじめて目の前にしていた。

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