#5 Green

 今日もルーンプレナに日が昇る。フィリオとレイネが満月の夜に出会ってから三度目の事だった。


「レイネ、今日はいい天気だから、ちょっと遠くに出かけようと思う」


 フィリオはそんな事を言っているが、彼はどんな天気でも一日一回は外へ散歩に行き、街の空気を吸わないと気が済まないのだ。まるでそうでもしないと死んでしまうかの様に彼はそのルーティンを欠かさない。そしていつも、雨や雪が降っている時以外は、キャンバスやイーゼル、画材やらを持って出かける。常に絵の題材を探し求めているのだ。

 彼が行なっている散歩という日課は、彼自身の絵描きとしてのこだわりであり、ノルマなのである。


「……どこいくの?」


「んー、内緒。でも、とっても素敵な場所」


 二人はそう言いながら街に出た。フィリオはいつもの画材やらを抱えている。


「それ……もつ」


「レイネ? 持ってくれるのか? ありがとう。まさか君がね……」


 レイネは初めて自分から進んで誰かを手伝った。フィリオはそんな彼女の姿を見て、はにかんで笑った。

 相変わらず街の中心部は賑やかで、おば様方の井戸端会議や吟遊詩人の歌声、子供達が笑いながら駆ける音なんかが、そこかしこから聞こえてくる。そんな賑やかな雰囲気も、二人が歩みを進めていく内に段々と消えていく。

 いつの間にか辺りは閑散とした空気に包まれていた。


「……ここ、どこ?」


 レイネがフィリオの服の裾を引っ張って訴える。


「ここは街の外れの方だ。この先をもっと奥に行ったところに目的の場所がある。僕のとっておきの、秘密の場所だ。今日はそこで絵を描くつもり。いつもは気まぐれだけど、今日は特別」


 フィリオはそう言ってにこやかにレイネに笑いかけた。

 さらに二人が歩いていくと、辺りはすっかり鬱蒼とした森の中になった。地面は舗装されていない土の道で、両脇に道を覆う様に生えた木々の葉が大空を隠し、天然のトンネルを作り出している。


「あれ、なに?」


 レイネが上を見上げて、木の上で小さく動く何かを見つけた。


「あれは鳥。ちゃんと見ると結構可愛いぞ? そんで、今ちょうどあの鳥が木の枝を咥えてるだろ? この頃あいつらはせっせと巣を作る時期なのさ」


 フィリオが頭上の鳥を指差して言うと、その鳥は目線に気が付いたのか、どこかへ飛び去って行ってしまった。


「す?」


「そう。僕らで言う家みたいなもんだ」


 二人はやがて小さな池のある場所にたどり着いた。土の道はこの池を終点に途切れている。フィリオとレイネは歩みを止めてその池を見ていた。池は葉の間から溢れる陽の光を反射して、水晶の様に煌めいている。深緑の葉が木から悠然と水面に落ちて、超然と浮く。遠くで小鳥たちの鳴き声が聞こえた。すると二匹の青い小鳥が木の隙間を器用に潜り抜けながら、互いを追いかけているのが見えた。


「……きれい」


 レイネは池の方へ歩き出し、水の前まで来てゆっくりと手を入れた。


「つめたい」


「そりゃそうだ。池の水だからな。お風呂とは違うんだよ」


 フィリオがイーゼルを置きながら言った。


「レイネ、こっちおいでよ。今から絵、描くからさ」


フィリオは自慢げに言った。

 

「……え」


「そう。見てるだけでいいからさ」


 フィリオは手のひら程の大きさのキャンバスをイーゼルに乗せて、大きな左ポケットから筆を取り出す。彼は明るいグレーの絵の具で下地を作った。

 それから彼は舌を少し出して、その筆を立てて持ち、片目を閉じて突き出した。

 レイネは池から離れて、目を輝かせてフィリオの手に注目した。


「んー……いい感じ」


 絵の構図が概ね決まったフィリオは、薄い茶色の絵の具を使ってデッサンを始めた。


「レイネ、絵は積み重ねが肝心だ。何度も何度も、上から新しい色、新しい形を描いていく。人の歴史と同じことだよ」


 「……ん……?」


「あ、ちょっと哲学的過ぎたかな」


 そう言ってフィリオは続けて言った。


「どうせ忘れてるだろうから説明しておくけど、この世界は昔の人達の積み重ねで出来ている。文字を使い、火を扱い、時には争いをし、時には愛し合った。絵はいつかは完成するものだけど、歴史ってものは完成が無い。でも絵と歴史は似ているもんで、積み重ねでもあり、塗り替えでもある。だから、僕らもいつかは誰かに塗り替えられるのさ。儚いもんだよ」


 デッサンをしながらフィリオが語る。


「……れきし」


「そう。レイネ、君も歴史だ。そして僕も。みんな歴史という絵の一部なのさ」


「おなじ……?」


「そ、どんな個性も、塗り替えられてしまえば、みんな同じさ。どうせみんな忘れっぽいからな。後は、めぐりあいだよ」


「めぐりあい?」


「うん。僕と君がこうして出会えたのもね」


「そう……なら、うれしい」


 彼はデッサンを終えた。そして彼はパレットに絵の具を垂らし、混ぜ合わせながら絵に平筆で色をつけていった。木漏れ日が差す森と煌めく池に、命を吹き込む。生気の無かった絵の中の木々が、だんだんと活力に溢れた植物として描かれていく。絵の具の光沢がますます木々の生を実感させる。それからもペインティングナイフや丸筆で色が重ねられていった。まるで人類が歩んできた歴史の様に。


「よし、今日のところはこんなもんかな」


 彼は朝からこの絵を描き続けていたが、作業が終わった頃にはもう日は西の方にいた。


「……おわり?」


「いや、まだ終わりじゃないさ。この絵はこの後アトリエに持って行って、絵の全体の調子を整えるんだ。だから今日はこれで終わり」


「え、きれい」


「そ、そうか……ありがとうな……!」


 フィリオは彼女の恐ろしいほど純粋な心から放たれた褒め言葉に照れながら答えた。


「そ、それじゃ、そろそろ帰りますか」


 フィリオがそう言って用具一式を片付けようとしたその時だった。レイネの手に美しい羽を持った水色の蝶が止まった。蝶は池の水面の様に陽の光を反射して輝いている。


「これ、なに?」

 

「それは蝶」


「ちょう」


レイネが呟くと、蝶はひらひらと、どこかへ飛んで行った。

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