#3 Orange
「今日もルーンプレナは平和、だな」
フィリオが言う。
ルーンプレナはフィリオの生まれ育った街で、四季のはっきりとした気候が特徴だ。彼はこの街の唯一の画家として、それなりに名の知れた人物となっている。
警吏の駐在所から帰る途中、二人が海辺の石レンガの道を歩いていると、前から背中に矢筒を担ぎ、茶色の髭を蓄えた大男がフィリオに話しかけてきた。
「おお! これはフィリオじゃないか! だいぶ久しぶりだな」
男は二人の前で立ち止まって言った。
「タウルさん! お久しぶりです」
タウルはフィリオよりも十歳年上で、この街に住みながら狩人をしている。約一年前にフィリオが絵を売っているところを見つけ、フィリオの絵に惚れて話しかけたのをきっかけに仲良くなり、それから男は度々フィリオに会いに行くようになった。
「いや、最近は俺も仕事が忙しくて、なかなか会えなくてな。どうだ、調子は?」
「相変わらずって感じです」
「そうか。ま、健康ならそれでいい……おい、ちょっと待て、その子どうしたんだ?」
男はレイネに目をやって驚いたように言った。彼女はじっと地面を見つめて、フィリオの手をしっかりと握っている。
「あぁ……この子は身元が分からなくて……警吏は預かってくれなかったんで、僕が代わりに家族を探してるんです」
「はぁ、それは大変だな。この子、名前は?」
「レイネって名前です。それ以外のことは、まだよく分からなくて……」
フィリオは小さくため息をついた。
「それは難しい事案だな。おし、俺もそのレイネってやつについて訊いて回ってみるな」
タウルは顎に手を当てて言った。
「本当ですか! ありがとうございます!」
「おう、それじゃ俺はこれから仕事があるから、お互い、やるべき仕事を頑張ろうな。じゃ」
「はい!それじゃ、また」
二人はお互い手を振って、タウルは急いで去っていった。彼が一歩一歩進む度に矢筒がガチャガチャと揺れる音がする。
「あのひと……だれ?」
レイネがフィリオの顔を見上げて尋ねた。
「あの人は僕の知り合いのタウルさん」
「こわいひと?」
「あー……確かに見た目は強面かも知れないけど、すっごく良い人だよ」
「……」
レイネは突然黙り込んだ。そして彼女は何かを思い出したように突然苦しそうな顔をした。
「どうした、レイネ? 具合でも悪いか?」
フィリオは腰を少し曲げて、レイネの目線に合わせて言った。
「……だいじょうぶ」
フィリオの顔を見たレイネは、安心したようにほっと息をついて呟いた。
レイネはどうやら人を異常に怖がるようだ。
「そんなに人を怖がるなよ。少なくともこの街の人はみんな優しいからさ」
フィリオはレイネの頭をそっと撫でた。彼は少しずつではあるが、彼女との信頼関係を築いているように思えた。
彼はわざと遠回りをして家に帰ることにした。彼はレイネと街を歩くこの時間が幸せだったからだ。
二人は商店街の前を通った。レイネは人混みも苦手らしく、フィリオの右腕にしがみついて離れない。
「ひと……たくさん」
レイネが怯えながら言った。
「ここは商店街って言ってな、物を売り買いする場所なんだ。街の人達の交流の場にもなってるから、結構人がいるんだよね……こういう場所はやっぱり苦手だったか、ごめん」
フィリオはすぐ商店街を離れようと速度を上げて歩こうとしたその時、彼女の声が彼を引き留めた。
「……あれ、なに?」
レイネは花屋の店先に凛と咲くカラフルな花の数々を指差した。どうやら人への恐怖心より未知への好奇心の方が勝った様だ。
二人は商店街に寄ってみることにした。フィリオは一輪の赤い花を取って言う。それは今にも綻びそうなつぼみだった。
「これは花って言って、色んなところに色んな種類の花が咲いてる」
「もってるのは、なに?」
「これは、薔薇って言う花で、春に咲く花だ。うちの花壇にもあるやつだよ。今はまだつぼみだけど、咲いたらすっごく綺麗なんだ」
「……きれい?」
「見れば分かるさ」
「あれは?」
レイネは今度、八百屋の方を指差した。二人は八百屋の前まで歩いていって、フィリオが言う。
「これは野菜って言って、こいつらは果物って言うんだ」
「やさい……? くだもの……?」
「うん、結構美味いぞ。なんか食べたいのとかあるか?」
フィリオがそう言うと、レイネはゆっくりと橙色の果物を一つ手に取った。
「オレンジか……いいね。じゃあ僕とレイネの分で、二つ買おう。すいませーん! オレンジ二つください!」
「はいよ、これ紙袋。お代金3ナイルと20イールね」
店主である老婆がこっちへやってきて言った。
彼はポケットから半月の様な形の硬貨を五枚取り出して、店主の手のひらに出した。ルーンプレナ含むこの国では半円状の二種類の単位の硬貨が使われている。一つはイール。もう一つはナイル。100イールで1ナイルとなる。先人達がどのような意図でこの形状の硬貨を作ったのかは分かっていないらしい。
「毎度あり」
「よし、じゃ、お家帰って食べよっか」
フィリオはオレンジがニつ入った紙袋を持って言った。
よく晴れた日の昼下がり。だいぶ遠回りをして二人は家に帰って来た。さっき買って来たオレンジをテーブルに置いて、レイネは興味深く観察した。そして彼女は白く細長い手でそれをそっと掴み、大きく開けた口に入れようとした。
「あー、オレンジってのは皮は食べないもんだ。そのままは無理だ」
その姿を見たフィリオの指摘に驚いたレイネは、すぐに口を閉じて何事もなかったかのようにオレンジをテーブルに置き直した。
「今切ってやるから、ちょっと待ってな」
フィリオは二つのオレンジを台所に持っていき、包丁でオレンジを切り始めた。包丁でオレンジを切る音に興味を持ったレイネは台所へ行った。
「レイネ、包丁は危ないから下がっててね」
レイネはオレンジが綺麗に八等分をされるのをまじまじと見ていた。
しばらくして、オレンジが二つ、切られた状態で一つの皿に乗せられた。フィリオが一切れのオレンジをペントの籠の中に入れると、ペントはすぐさまそれを皮ごと丸呑みしてしまった。
「えっと、まぁ、こいつは特殊だから。君は皮ごと食べなくていいからな」
レイネはペントの食べっぷりを見て驚いたような顔をしたので、フィリオが真似しないように注意をした。
「さ、食べようか」
フィリオは器用に皮を綺麗に剥いた。レイネはそれを真似るように両手でしっかりとオレンジを持ち、皮を剥いて口へ運んだ。
「……おいしい」
レイネは頬に手を当てながらオレンジをゆっくりと咀嚼した。
「そうか。良かった」
フィリオはそう言って、レイネの頭を優しく撫でた。彼女のさらさらとした長い髪が、彼の手にそっと触れた。
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