第18話 膝蹴りと鬼子母神とスカウトと
八月一日 午後七時二十分
私は今、ベッドでコーンスープを飲みながらソファに座る松永さんと話している。
ベッドサイドにあるランプのみ点灯させた室内は暗い。その上、松永さんは日サロで焼いた肌が十円玉みたいな色になっていて、白目と白い歯と白いタンクトップしか見えず傍から見ればちょっとしたホラーだろうなと、暗闇に浮かぶ白目を見ながら思った。
「中山さん、元気じゃないですか」
「チンパンジーに喉潰されたよ?」
「潰したのは松永さんでは?」
「違うよ。俺は膝蹴りしただけだよ?」
あの天井裏に潜んでいたのは松永さんと須藤さんだけだった。誰かがいたのではなかった。
準備期間がいつもより少なく、私が体を絞り切れずにいた姿を見た二人は、私たちを天井裏で襲う計画を立てたという。
私は試されていたのだ。
そして、私は喉にナイフを突きつけられ、私を助けようとした中山さんは須藤さんに首を締められたそうだ。
私と中山さんは薬で眠らされ、保護シートで簀巻きにされてその建物を出たらしい。
いつも任務が終わると気力体力を使い果たし、最後に集中力が途切れた瞬間に私は倒れる。それを松永さんは肩に担いで移動させる。
今回は体を絞り切れず、重かったと言われた。
「一般的には細い……細過ぎるけど、ね?」
「すいませんでした」
「何で出来なかった? 今後の参考にするから何でも言って」
「うーん……三十歳を過ぎて、脂肪がつくようになったんです」
食べる量で調整出来るかと思っていたが上手くいかない。
後任を育てることは二年前に実行したが該当者がいなかった。いなかったというより、私が目を付けてスカウトするとすぐに妊娠が発覚してそれどころじゃなくなったのだ。
五人連続して妊娠が発覚した時、松永さんは『少子化に貢献してるね』と言って、鬼子母神奈緒の称号を与えられたが、当初の目的は達成出来なかった。
「ババアになった、ということです」
「ふふふっ……熟女だ」
「んふっ」
熟女と聞いて私はふと思い出した。
松永さんとスペインバルの店内に入った際、私が腕にしがみついたままでいたことを嫌そうにしていたことを。
「あの、私が腕にしがみついたのは嫌でしたか?」
「ん? あー、あれか。ふふっ、嫌じゃないよ」
松永さんは、胸が当たっていたことに居心地の悪さを感じていたという。普段、松永さんは私にパンツ見せてとかストッキング破きたいとか土下座するからケツ揉ませてとかロクでもないことを言うが、胸については何も言わないことを不思議に思っていた。松永さんは脚フェチなのだと思っていた。
「だってさ、奈緒ちゃんのおっぱいが大きくて柔らかくてさ、そんな風に思ってなかったから、何となく、離れた――」
その時、松永さんが振り向いて暗闇にタンクトップだけが浮かび上がった。
松永さんは首を締められた、のだと思う。暗くてよくわからない。
私はランプの照度を上げて部屋を明るくすると、松永さんの背後に中山陸さんがいた。
松永さんをスリーパーホールドで落とし、だらりと横たわる松永さんの髪を掴んだ中山さんは松永さんの顎を膝蹴りした。
「……お疲れさまです」
「俺もおっぱい大好きだよ」
振り向いて笑う中山さんは声が掠れていた。
◇
中山さんがいつ、どうやってこの部屋に入って来たのかはわからない。松永さんも真後ろに中山さんが来るまで気づかなかったようだ。
こういうことはよくあるが、毎回の任務で慣れた。
だがスリーパーホールドと膝蹴りはダメだろうと思うが、よく考えたら中山さんが須藤さんと松永さんからやられたことだから仕返しされても仕方ないと納得した。
中山さんからスープを飲みたいと言われ、コーンスープを作っていると、中山さんは私の背中越しに謝罪した。『守れなくてすまなかった』と。
私は振り向いてベッドに腰かける中山さんにコーンスープを渡して、中山さんの横に座った。
「体を仕上げなかった私の責任です」
「いや、違う」
熱いコーンスープを冷ましながら、横目で私を見る中山さんは落ち込んでいる。
天井裏に潜んでいたのが松永さんと須藤さんでなかったら、私たちは生きていなかっただろう。
ならばいいではないかと、私は思う。お互いに命を預けたのだから。
「私の命は中山さんにあげましたよ」
「ああ、ふふっ、そうか」
私たちの正面のソファには松永さんが伸びている。
その姿を見ていると、中山さんは『そろそろ起きるから松永の前に座ってよ』と言った。
私は言われた通りに松永さんの前に座ってもたれかかると、間もなく松永さんは息を吹き返した。
顎を押さえて咳き込む松永さんは私が座っていて身動きが取れず、悪態をついていた。
「松永さ、お前も気抜いてんじゃん。人のこと言えねえだろ」
「うるせー! バーカバーカ!」
「最初のうちは俺に気づいてたくせに何だよ、お前」
「バーカバーカ!」
「それしか言えねえのかよ」
「バーカバーカ!」
同期同士のしょーもない会話だが、この状況だと松永さんは本気でムカついているのだろう。
私が口を挟む余地はないなと黙っていると、中山さんは突然、真剣な顔をして言った。
任務の時と同じ、厳しい顔だった。
「お前も加藤を守れてねえじゃん」
松永さんは何も言い返さなかった。
◇
八月四日 午前五時五十一分
目が覚めると、また私は中山さんの腕の中にいた。
知らぬ間に忍び込み、私のベッドに入っているのはいつものことだ。そしてもうひとつ、これからいつものことが起きる。
中山さんの背中越しに松永さんがいて、松永さんが中山さんの頭を引っ叩いたら松永さんの勝ちなのだが、今回は六連敗中だ。
松永さんが連敗しているということは、私が松永さんに引っ叩かれているということでもある。中山さんは私を盾にして逃げるから。
「痛いっ!!」
「あっ!!」
「バーカバーカ!」
――この遊び、そろそろやめてくれないかな。
私がベッドから抜け出すと、松永さんと目が合った。松永さんは悔しそうな顔をしていたが、私は気づかないふりをした。
「おはようございます。コーヒー淹れましょうか?」
「……いいです、俺が淹れますから」
「俺も飲みたーい!」
「バーカバーカ!」
朝っぱらから元気だな。私はそう思った。
◇
午後二時三十二分
目覚めるとまた私は中山さんの腕の中にいた。
また頭を引っ叩かれるのは嫌だなと思ったが、中山さんの背後に松永さんがいない。
「松永はまた落とした」
薄く笑いながら「嘘だよ」と言う中山さんは、夜に葉梨が来ると言った。
「俺の葉梨将由くんがお世話になっているようで」
――俺の、とはどういう意味だろうか。
私の疑問を見透かしたかのように、中山さんは答えた。『高校生の葉梨を駅でスカウトしたのは俺だよ』と。
続けて、葉梨にこの仕事をさせるために動いたが、体格が良くて骨太だから無理だったという。葉梨の能力はこの仕事に向いているが、骨格の問題ならば仕方ない。
「葉梨は有能ですね」
「だろ? いろいろ教えてあげてよ」
「でも、私が教える必要は無いと思いますけど」
「そんなことないよ」
そう言うと、私の肩を抱く腕に力を込めた。
「松永はいないから、守ってくれる人はいない」
そのまま私はシーツに沈められ、耳元で囁かれた。
「お前が欲しい」
私は中山さんの顔に手のひらを添わせて、指先で頬をなぞった。少しだけ力を込めて顔を寄せると、中山さんは顔色を変えた。
想定外の同意のサインに中山さんは私から離れようとしたが、もう遅い。
「痛っ!」
「バーカバーカ!」
中山さんはいつの間にか部屋にいた松永さんに頭を引っ叩かれて、今回のしょーもない遊びは八戦目で終わった。
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