第31話 9、朴 麗娜

「先生、洗濯おわりましたー」


 掃除を終えて大量に洗濯したタオルを店内に干し終えると事務所で、と言っても二畳程しかないスペースで咥えタバコをしたまま帳簿を付けている先生に報告した。灰皿にはこんもりと吸い殻が溜まっている。


「あ、吸い殻。捨ててきますよ」


 麗娜が灰皿に手を伸ばすと「いいから、いいから、早く帰りな、明日はせっかくの休みなんだからさ」と言って咥えていたタバコを灰皿に押し付けた。


「あ、はい、ではお疲れ様でした」


「麗菜、最近なにかあったのかい?」


 事務所を出ようとした所で先生から声がかかる。美容室では代表、つまりオーナーの事を先生と呼ぶ所も多い。


「え、いや、なんか変でした?」


 この女性オーナーは観察眼がするどい、顧客のちょっとした変化も見逃さないために占い師の方が向いていると本人も言っていた。


「なにか、心配事でもありそうな顔してるから」


 麗娜は少し考えてから先生に、姉が別人のように変わってしまった事を話した、もちろん在日朝鮮人の事や、独立国家うんぬんは話せないので曖昧に濁す。


「大人になれば大なり小なり変化していくもんだよ、それに中々家族には本音を話せない事もあるしね」


「お姉ちゃんが、お姉ちゃんじゃなくなってしまいそうで怖いんです」



 ――死んでもらうわ、事故にでも見せかけてね。



「友達は? 道を踏み外しそうになったり、横道に逸れそうになった時、正しい道に引き戻してくれるのは友達よ」



オンニの友達かあ。麗娜は帰りのバスに揺られながら長崎典子の事を考えていた。あの日、石川孝介の家に三人で乗り込んだ日のことを思い出して自然と笑みが漏れた。


 ――この、くそ変態野郎が! いい加減にしろ。


 強烈な人だったなあ、麗娜の中で彼女は、もう一人のお姉さんのような存在だった、それだけ可愛がってもらったし尊敬もしていた。


 聚楽の事件から一度も会っていないがオンニとは今でも親交があるのだろうか、二人は間違いなく親友同士に見えた、と言うより典子以外の友達を麗娜は知らない。


 家につくと奥の部屋にあるタンスに一直線に向かった、途中で酒を飲んで潰れているハルボジを踏んづけると「ぐぅ」と言ったままイビキをかいている。


 タンスの引き出しを上から開けていき中を漁る、三段目に目当ての品は見つかった、中学生の時に使用していた手帳だ。


「あった」


 パラパラとページを捲ると最後の方に電話番号が羅列している、石川孝介の他に長崎典子の名前を見つけた、やはり番号を聞いていたようだ。


 手帳を持って家の電話の受話器を上げた所で壁に掛かっている時計が目に入る、二十二時十五分。さすがに非常識だろうと、受話器を元に戻した。



 翌朝起きるとすでに十時をまわっていた、毎日の激務で若い麗娜もさすがに疲れている事を痛感する。


 ハルボジの姿はないがどうせパチンコだろう。美容室の休日は火曜日が多い、理由は分からないが大体のお店が火曜定休だった。


 麗娜は布団からでると歯も磨かずに受話器を上げた、手帳に書いてある典子の電話番号を押すと呼び出し音が聞こえてくる、平日の朝なのでもう仕事に出かけている可能性が高いと思ったがどうして、三度めのコールで「もしもし長崎です」と受話器から聞こえてきた。


「あ、もしもし木下と申しますが典子さんはご在宅でしょうか?」


 一瞬の間がある、もしやすでに違う人が使っている番号だったのだろうか。


「典子は私ですが、どちらの木下さんでしょうか?」


 本人だった、ついている。


「典子ちゃん、わたし、麗娜、えっと、宣美の妹の麗娜」 


「え、麗娜ちゃん?」


「うん、そうだよ覚えてる? 一緒にトランプしたり、ゲームしたり。こうちゃんの所に忍び込んだりした麗娜だよ、あとはえっと、えーっと」  


 本人と分かりテンションが上った麗娜を典子は「落ち着いて」と窘めた、偶然にも休みでさっき起きたばかりだという彼女に麗娜は久しぶりに会いたい旨を伝えると二つ返事でOKがでた。


 夕方からなら時間が取れると言うので一七時に赤羽駅の噴水前で待ち合わせをすると電話を切った。


 典子ちゃんなら何とかしてくれる、元の優しいオンニに戻してくれるはず、ひとまず安心すると再び眠気が襲ってきた、どうせやることもない休日、堂々ともう一眠りするために芋虫のように布団に入り眠りについた。



「かんぱーい」


 赤羽にある古い居酒屋のテーブルで典子と膝を突き合わせて乾杯をした、久しぶりにあう彼女は高校生の頃よりも数段大人っぽくなっている、周りの人間を拒絶するような尖った雰囲気もさらに洗練されて、もはやオーラは大女優のそれだった。   


「しかし、わかっていたとは言えとんでもない美人になったわね」


 典子は一気に半分ほどジョッキに入ったビールを飲むと、まじまじと麗娜を見て言った。


「あ、ありがとう、典子ちゃんこそすごい綺麗、モテるでしょ?」


 典子は鼻を鳴らして残ったビールに口をつける。


「寄ってくるのは馬鹿と爺ばっかりよ」


 相変わらずの毒舌を聞いて少し安心する、性格は昔とあまり変わっていないようだ。一年間の語学留学の後に大学在学中に司法試験に合格、母親から裁判官の道に進むように言われたが典子が選んだ職業は弁護士だった、理由は公務員なんてかったるい、だそうだ。


 テーブルに並んでいく居酒屋メニュー、だし巻き卵に、ホッケの塩焼き、冷奴に枝豆、一八歳と二十三歳の女子が頼むには渋すぎるラインナップだったが、麗娜も典子もどんどん箸がすすみ片っ端からなくなっていく。


「あんた、そんなに食べてなんで痩せてるのよ」


「典子ちゃんだって痩せてるじゃん」


「あたしは普段は節制してるの」


 そう言いながらチーズオムレツをウーロンハイで流し込んでいる、お互いの仕事の話に始まり、いい寄ってくるしょもない男、使えない人間の話をしていとアッという間に時間が過ぎた、互いに五杯目の飲み物を頼んだタイミングで典子が聞いてくる。


「それで、今日はなんの要件なの」


「あ、そうだ、忘れてた」


 本当に忘れる所だった、久しぶりに飲むアルコールと話題豊富な典子と話しているうちにすっかり宣美の事を失念していた、心のなかで手を合わせて謝る。


「典子ちゃんはオンニと連絡とってないの?」


「え、あたし? とってるわけないじゃない」

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