第19話 こっちへ来いよぉ

 放課後、いつものように武道場へ行くと、羽黒はいつかのように道場の真ん中でごろりと仰向けに寝ていた。


 今日は制服姿のままだ。


 制服姿のメガネ羽黒も結構かわいいんだよな、おさげのせいでかなり幼く見えるけど。



「どうしたんだよ」



 と声をかけると、



「どうしよう」



 という返答。


 なにがだよ。



「あのね、野上先生に頼んで、近くの高校に電話してもらったんだけど……やっぱり、受け入れてくれるところ、ないって」



 そうなのだ。


 関節技をまったく知らない羽黒が関節技の練習をしたくても、教えてくれる人がいない。


 そこで、近くの高校で合同練習を受け入れてくれるところを探してたのだが、どうやら男子校だったり、柔道部が廃部や休部になっていたりで、受け入れてくれる学校がなかったらしいのだ。


 何しろここは田舎。柔道事情は本当に厳しいみたいだ。


 自転車で一時間近くの高校ならOKをもらえたらしいが、家のためにバイトをしている羽黒には通えない。


 はあ、と大きくため息をつく羽黒。


 外から吹き込む風が、羽黒のおさげの黒髪、その毛先を揺らす。


 天井を見つめる大きくて黒い瞳がちらりと俺を見て、



「そういえば、寝技の練習そのものをあんまりしてなかったよね。今日から、しよっか?」


「寝技……?」


「うん、そう……」



 羽黒の言うとおりで、今まで寝技の練習なんかしたことなかった。


 だってさ、十五歳の男女が二人きりの武道場で、寝っ転がって身体を重ねあわせてくんずほぐれつ……とか。


 二人とも口には出さなかったけど、無理無理、恥ずかしいというかなんというか、とにかく練習にならない、と思っていたのだ。



「…………」


「………………」



 二人黙りこんでしまった。


 天井を見ながら寝っ転がってる羽黒と、そのそばに立つ俺。


 しばらくのあいだ二人そうしていたが、



「よし、決めた! 今日から寝技もやる!」



 そういって羽黒がぴょん、と跳ね起きた。



「着替えてくるね!」



     ★



 さて結論から言おうか。


 くんずほぐれつ、といったけど、そんなもんじゃなかった。


 痛い。


 くっそ痛い。


 柔道の寝技って、関節技じゃなくても痛いのだ、ってことを俺はこのとき初めて知ったのだった。


 たとえば有名な袈裟固けさがため。


 右手で相手の頭を抱えるようにし、自分の左手で相手の右手をロックする。


 オリンピックとかでも見たことある人はいるんじゃないだろうか。


 これ、痛いのだ。



「あのさ、月山くん。抑えこみってのはさ、つまり頭を押さえるの。人間仰向けになっているときに、どこを抑えられたら立ち上がれないか、っていったら頭なの。頭と首。ここだけ抑えておけばあとはなんとかなるの。首をロックする。これ重要。だからさ……」



 俺を袈裟固めで抑えながら、羽黒がそういう。


 女子と付き合ったこともなかった俺にとって、女の子に抱きつかれるような格好で床に組み伏せられてるってのはなかなか新鮮だった。


 最初はさ、そりゃ多少よこしまな感情もありましたよ。


 だって羽黒っていい匂いするし。


 でもな。



「だからね、こうやって自分の全力で持って相手の首を……こう!」


「ぐぎーっ! ふぎーっ!」



 痛い苦しい息ができない。


 あのさあ。


 なんなのこの柔道って競技。


 体重四十キロ代半ばしかない女の子が、体重六十キロをこす男を簡単に押さえつけるばかりか、その男が涙目になるレベルで傷めつけることができるとか。


 首をロックされると、正直まじ動けない。ピクリとも動けない、動こうとすると痛いし。


 ふわりと香る羽黒の優しい香りに、今後は凶悪な悪魔の痛みを呼び起こす条件反射がつきそうで怖い。



「んで……これが……えっと、…………縦四方固たてしほうめ、ね」



 今度は俺にまっすぐ抱きつくような形で俺を抑えこむ羽黒。


 あのさ、寝た状態で、同級生の女の子に全力で抱きつかれたこと、あるか?


 俺はない。


 なかった。


 今はある。


 感想?


 そうだな。



「んでね、よくこうやって肩固かたがためにしてね……」


「ぐぎーっ! ふぎーっ! ふぐっふぐっふぐぅぅっ」



 痛い! 苦しい! 息ができない!


 なんじゃこの競技!


 痛い痛い痛い! まじ! まじだから! まじで息ができないから! 息ができなくなるのは絞め技だけかと思った。



「絞め技? そうね、片羽絞めっていって……月山くん、勘違いしてるよ、絞め技はね、息ができなくなるんじゃないの、頸動脈けいどうみゃくをしめつけて脳を酸欠にさせるんだよ、だからこうやって、こう!」


「………………! ……………………!! ●〒▲※■#$!!」



 そして俺は意識を失った。


 広いお花畑で死んだはずのひいじいちゃんが、



『おーい淳一ーっ。こっちへ来いよぉ』



 と呼んでいた。


 呼ぶんじゃねーよ!


 ふつうまだこっちにくるなっていうところだろう、くそじじい!



「はっ!?」



 目が覚めて目に入ったのは、いつもの羽黒の大きな瞳だった。


 今俺は確かに首を絞められて意識をうしなっていたのに、たいして心配そうな顔もしていないのがまたむかつく。



「……あれ、今月山くん、落ちてた?」


「…………俺、今どのくらい気絶してた?」



 体感一時間くらいなんだが……。



「一秒くらいだと思うけど……やっぱり落ちてたんだ……ごめん、落とすつもりはなかったんだけど……。先生いないところで絞め技の練習はしないほうがいいね、怒られるかも」



 俺の心配はほんとしないのな。


 不満そうな俺の視線に気づいたのか、



「あ、ごめんごめん。あはは、だって落ちるのってそこまで珍しいことでもないから……」



 なんなのこの競技?



「でも、気持ちよかったでしょ?」



 と言われて、うむ、確かに意識を失う瞬間、とんでもなく気持ちよかったなあ、などと思ってしまった。



「でも気持ちいいからって一人でやっちゃだめだよ、それで死ぬ人いるんだから」


「まじかよ」


「まじ」



 もういろいろつっこみたいけど、身体がだるくてしかたがない。


 今日は少し休ませてもらうことにした。


 なんなんだ、この競技。


 でもやっぱり柔道って、格闘技なんだな。


 絞め技とかって人を殺すための技だし、関節技は人を壊すための技だ。


『嘉納治五郎先生によって柔術が健康的な柔道として昇華されたんだよ』と羽黒はいっていたけど、正直危険なスポーツであることは間違いない。


 これ、生徒二人だけで練習しちゃあ駄目な奴じゃないか?


 そしてその懸念は本当のことになってしまうのだった。


 俺が落とされたその瞬間を、たまたま通りがかったレスリング部員に見られていたのだ。





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