4-8-1 ……一緒に、入る?
「……水吸った服って、予想以上に動きにくいよな……」
「そんなに歩いたわけでもないはずだけど……なんか、疲れたね……」
そんなことを愚痴りあいながら、二人はようやくヤナギのマンションにたどり着いた。
お互い、疲労困憊で息も絶え絶えだ。雨の中を全力疾走した挙句、喧嘩っぽいことまでしたうえでの、ちょっとしたウォーキングだ。ハードな運動をしたと言えるし、雨で体も冷え切っている。
玄関に上がり込むと、ヤナギはそのままその場にへたり込んだ。上着を脱ぎ捨ててシャツ姿になる。服の下までずぶ濡れだ。それはアマツマも同じようで、貸していたジージャンを脱いで抱えていたが。
体のラインに沿ってへばりついたシャツの生々しさについそっぽを向くと、そのままぶっきらぼうに呟いた。
「とりあえずお前、さっさと風呂入ってこい」
「え?」
「なんか着れるもん用意しといてやるから。このままだとマジで風邪ひくぞ」
「……ヒメノは?」
「お前が出てから入るよ。それまではまあ……あったかいもんでも飲んで待ってるさ」
牛乳のストックはまだあっただろうか。そんなことがふと気になりだす。冷蔵庫の中身がどうだったか、もう覚えてない。
まあ最悪の場合、水をレンチンでもいいか、などと考えて、ヤナギは立ち上がった。服も体も重くて仕方ないが、家主が上がらなければアマツマも動きにくいだろう――
その背後から、ぽつりと……悪魔的に響いた、声。
「……一緒に、入る?」
「…………」
それを聞かされて、自分がどんな表情をしたのかがわからなかった。
ひとまずわかったのは、意図して眉間にしわを寄せなければ、全く別の表情を浮かべていただろうということだけだ。
なので、思いっきり顔をしかめながら呟く。
「なあ。最初からもっかい説教しなきゃダメか? 俺さっき、無防備ふざけんなってお前のこと怒らなかったっけか?」
「う……い、いや、言うとおりだとは思うんだけど……」
「けど、なんだ」
「……………………」
「……?」
いやに沈黙が長いことに気づいて、きょとんとヤナギは振り向いた。
アマツマは変わらずそこにいたが。
「今、は……独り、には……なりたくない、から……」
寒さか――あるいは、別の何かにか。うつむきがちな視線のまま、身を抱くようにして震えているその姿に……つかの間、ヤナギは呼吸を止めた。
身を小さくしておびえているようなアマツマの姿は、いつもの王子様然とした姿とは似ても似つかない。昨日から、そんな姿ばかりを見てきた。
慰めてやればいいのか、それとも笑い飛ばせばいいのか。そんなことさえわからないまま、ヤナギは言い訳めいた語調で告げた。
「……だとしても、ダメだ。そういう仲でもない男女が、一つ屋根の下ってだけでも十分アウトなんだぞ? そのうえ風呂まで一緒にとか、ぶっちぎりでアウトだろ」
「誰にも言わなければ、よくないかな……?」
「そういう問題じゃねえよ。ダメなもんはダメ」
「……どうしても……?」
「……どうしても」
「…………」
告げたが……アマツマは納得していない。というよりも、すがるようにしてこちらを見つめてくる。うるんだ目でまっすぐに、一度も逸らすことなくヤナギに食い下がってくる。
正直に言えば、その目に負けた。
だからつい、実現可能な言い訳を探してしまった。
「服着たままでなら……」
「……え?」
裸を見るわけではない。ただ濡れた体を温めるだけなら――服を着たままなら、別に今と何も変わらないのでは。ついそんなことを考えて、うっかり口を滑らせた。
結果、即座に後悔した。
「……いいの?」
「…………」
据わった瞳、とでも言えばいいのか。臆病にうるんだ瞳に期待の光を覗かせて……アマツマが静かに、訊いてくる。
大げさに喜んで、訊いてきたのなら即座に冗談だと言い返せた。だがこうもおっかなびっくりに、それでも期待するように訊かれてしまっては――
頭を抱えてから、ヤナギは観念した。
「……服着たままじゃ体洗えないから、あとで入り直せよ」
「――! うん!!」
「……現金なやつ」
アマツマがあまりにも目を輝かせて頷くものだから、ついぼやく。
なんにしろ、決めてしまえばあとは早い。床が濡れるのはあきらめて部屋に上がると、ヤナギはそのまま風呂場に直行した。
給湯器を使っては時間がかかりすぎると判断して、蛇口からお湯を出す。
と、背後からアマツマの声。
「……服ってどこまで? 下着?」
「……シャツとズボンは着ろ。さすがに下着は言い訳できん」
「誰にも言わないって言ったのに……誰に言い訳するのさ?」
「自分にだよ。明らかに間違ったことやるんだ、せめて言い訳くらい用意しないとやってられん」
「……ヤナギってさ」
「……なんだよ」
「変なところで律義だよね」
「うるせえ」
言い返してから、ヤナギは背後を振り向いた。アマツマは風呂場の入り口から、覗き込むようにしてヤナギと浴室を見降ろしていたが。
「…………」
浴室と脱衣場には段差がある。そのためヤナギはアマツマを少し下から見上げていた。今のアマツマはズボンにシャツとラフな格好だが。
濡れた白系のシャツはアマツマの体のラインを克明にするだけでは飽き足らず、服の下に隠れているはずのアマツマの色を透けさせていた。ヤナギとはまた違う、白さの多い肌色と――
普段なら見えるはずのない生々しい艶めかしさに、ヤナギは言い訳を一つ追加した。
「……どうせなら電気も消すか」
「え? なんで?」
「気分」
一答のもとに両断して、ヤナギは浴室と脱衣場の電気を落とした。「あっ」とアマツマが声を上げるが、転ぶようなものは足元にはないし、完全に真っ暗というわけでもないので大丈夫だろう。
と、アマツマに肩を触れられた。肩を探していたというよりは、ヤナギを探してたまたま肩に手が触れたというような感触だ。その後に服を握りしめられた。
その力の強さと反比例するように。暗闇から聞こえてきた声は、か細く響いた。
「ヤナギ……いる?」
「いる」
「いなく、ならない?」
「ならねえよ。なんでそんなこと訊くんだ?」
「だって……お風呂、一緒に入るの嫌がってたから」
「……ここまで来て逃げるほど、薄情じゃあないよ。そこまでひどいやつにはなれん」
「……そっか」
安堵したとも、納得したとも言い難い、そんな微妙な声に。
苦笑すると、ヤナギは暗闇にアマツマの手を探した。肩をつかむ手をほぐして、自身の手のひらで捕まえてから、歩き出す。
無言のアマツマを連れて、ヤナギは浴室に入った。普段なら浴槽につかる前には髪と体を洗うが、今回は服を着ているし、体もすっかり冷え切っていた。アマツマも同じだろう。
なので、ヤナギは浴槽にそのまま直行した。先に湯船につかり、スペースを開けるために壁に背をつけて胡坐をかく。もはや狭いのは仕方がないが、それでも対面に座ればもう一人くらいは入れるだろう――
と、思っていたのに。
アマツマは湯船に入ると、なぜかそのままヤナギを背もたれにするように身を預けてきた。
体でアマツマの体と熱を受け止める。仄かに香る汗と何かの甘い匂いに、つかの間ヤナギの思考が止まった。その間にもアマツマは据わりが悪そうに身じろぎする。鼻先でアマツマの髪が踊って、そのくすぐったさに何を思えばいいのかもわからなくなった。
やがて。安定した座り方でも見つけたのか、ようやく落ち着いたアマツマにぽつりとつぶやく。
「おい、狭い」
「ごめん……でも、ボクはこれがいい」
「……お前な」
だがそれ以上言えることも――ついでに言えば言うことも――なく、ヤナギはそのまま黙り込んだ。
アマツマは、ダメ? とは訊いてこなかった。
だから、それが彼女なりのワガママだとわかった。
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