3-4 わかったよ、脱ぐよ。脱げばいいんだろ

 部屋の準備といったところで、やることはそう多くはない。押し入れにしまってある布団を引っ張り出して敷くだけだ。

 殺風景な部屋に雑に布団を敷くと、ヤナギはリビングに戻った。アマツマも当然そこにいる――辞儀するように身を縮こまらせて、椅子に座ってうなだれていた。

 テレビもつけずに思いつめたような表情で小さくなっているせいか、明かりはあるのに暗く感じる。


(どうにも、らしくねえなあ……)


 そんなことをふと思う。ヤナギの知る“アマツマ テンマ”は、学校で見るあの“王子様”がほとんどだ。凛々しくて、誰にでも優しくて、時折女子に口説いてるようなことを言っている、そんな王子様だ。

 だがこの部屋にいるときのアマツマは、不思議と“王子様”らしさがどこかへ消えてしまう。そのらしくなさに、何を思えばいいのかいまいちわからないでいたが。

 そのどちらとも違う今のアマツマに、ひとまずヤナギは声をかけた。


「準備できたぞ」

「……ありが、とう」


 返ってきた反応は鈍い――上に、声をかけても動き出す様子はない。

 というか、この期に及んでアマツマはまだカッパを脱いでいなかった。雨も降っておらず、加えて室内でのカッパ姿だ。冷静に見ればシュールな光景のはずなのだが、状況が状況だけに笑いにくい。

 こっそりと息をつくと、冷蔵庫のほうに向かいながら、務めて平坦な声音で言った。


「とりあえず、さっさとカッパ脱げよ。というかいつまで着てんだ?」


 こう言っては何だが、ヤナギのカッパは安物のカッパだ。着心地のいいものでは断じてない。大して防寒性に優れているわけではないくせに、蒸れるのだ。ついでに言えば妙にゴワゴワしている。着ていて楽しいものではないはずだが。

 冷蔵庫から牛乳を取り戻して振り向くと、アマツマはようやく思い出したかのように自分の格好を見つめていた。

 本当に忘れていたのかもしれない。先ほどまでの思いつめていた顔とは違う――なんというべきか、形容しがたい顔をした。気まずそうな、恥じ入るような、そんな顔だ。言葉にするなら、一番似合うセリフはおそらくこれだろう――ああ、どうしよう。

 ひとまず気にせず牛乳を鍋に入れて火にかけていると、ぽつりと背後から、消え入りそうな声が聞こえてきた。


「……ジャージ」

「……は?」

「……ジャージ、貸してほしい……」

「はあ?」


 思わずヤナギは背後を振り向いた。さすがに気まずい思いがあるのだろう。アマツマは視線を合わそうとはしてこなかったが。


(なんでこの状況でジャージ貸せなんて言ってくるんだ?)


 さっぱりわからずアマツマを見つめる。カッパを脱げという話から、どうしてジャージを貸せという話になるのか。

 普通なら、カッパの下に何らかの服を着ているはずで――

 そこまで考えて、ハッと。気づいてヤナギは愕然と呟いた。


「お前、まさかその下――」

「え? あ……い、いやちが――違う! 裸じゃない!」

「裸じゃなくて下着だからセーフかっつーと、そんなことはないぞ」

「下着でもない! ふ、服ならちゃんと着てる! ただ……」


 と――急にアマツマの声が失速する。

 怪訝に眉根を寄せて見つめ続けると、観念したようにアマツマは言ってきた。


「カッパの下、パジャマだから……見られたく、ない……」

「…………」


 いきなり何を言い出すんだ――なんでパジャマ――別に気にすることなくないか――他にもまあ、いろいろ言いたいことはあったが。

 ひとまず生ぬるい目でヤナギはつぶやいた。


「パジャマの上にカッパ着て家出か。意外にアグレッシブだなアマツマ」


 対する返答は、唇をへの字に曲げながら。羞恥から逃げるように視線を背けて、


「……慌ててたんだよ」

「カッパ着る余裕はあったのにか?」

「逆だよ。慌ててたけど、パジャマじゃ外に出れないと思って。でも急いで家を出たくて、そうしたら、カッパがあったから……」

「だからってカッパ着れば大丈夫ってのも変な話だろ」

「…………」

「派手にテンパってたんだな」

「……ねえ。ボクをからかって楽しいか?」


 意外に楽しい、と言いかけてやめた。さすがに頬を赤く染めて、半分涙目な相手に追い打ちをかけない程度の分別はある。

 だからそれ以上そのことについては触れずに、だがヤナギは要求を断った。


「悪いけど、今日はジャージ貸せねえぞ?」

「え?」

「学校に置いてきたんだよ。明日体育の授業あるし」


 完全にジャージを当てにする気だったのだろう。顔を青くするアマツマに、ヤナギは思わず訊いた。


「そもそもお前、パジャマ着てんだろ? それで寝りゃいいだろ。何が問題なんだ?」

「それは……そう、だけど」

「俺にパジャマ見せたくないって話か? だったら覗かねえから気にすんな。うっかり見ちまったとしても、お前のパジャマがどんなに変でもからかったりはしねえよ」

 

 自分で言ってから、こいつが恥ずかしがるパジャマってどんなのだろうなとふと考える。

 学園の王子様で通っているボーイッシュなアマツマが恥ずかしがるパジャマというと……意外にガーリッシュな服とかだろうか。ネグリジェとか。

 だがヤナギはネグリジェなる寝間着を言葉で知っているだけで、実際にそれがどんな服かは知らなかったりする。貧困な想像力ではアマツマの恥ずかしがる寝間着など想像できず、早々にヤナギは妄想を諦めた。

 と、意識をアマツマに戻せば、じっとりとした目でこちらを睨んでいた。

 半ば喧嘩腰で、噛みつくように、


「……わかったよ、脱ぐよ。脱げばいいんだろ。脱いでやるよ。見ても笑うなよ」

「いや、ヤケクソみたいにンなこと言われても。俺の前で脱がなくてもいいだろ別に――」

「うるさい。笑ったら恨んでやる」


 そう言ってアマツマは、いっそ豪快にばっとカッパを脱ぎ捨てた――

 そしてヤナギは真剣に首を傾げた。


「……ほら、笑えよ。何か言いたいことがあるなら言えよ。ほら。さあ!」

「いや、さあ! とか言われても……」


 コメントを求められても困る。本気で困る。

 なんというべきか。普通に普通のパジャマとしか言いようがなかった。

 黒一色の、飾り気の一切ない細身のパジャマシャツにズボン。

 睨まれつつも傾けた首をさらにもう十五度ほど傾けて。ヤナギがどうにか絞り出したコメントは、これだ。


「……なんで男性用?」


 どこがとは言わないが、窮屈そうに見える。着崩していればちょうどいいのかもだが、ボタンをきっちり止めている今はキツそうだ。それを言ったら間違いなくセクハラなので、いくら相手がアマツマでもそんなことは絶対に言わないが。

 とにもかくにも、意表をついたコメントだったらしい。きょとんとまばたきしたアマツマは、少しだけ黙り込んだ後、ふっと微笑んで、


「母さんの趣味、かな……母さん、昔からボクに男装させたがってたから。そのせいで、今はこういう服じゃないと馴染めないんだよね」

「母親の趣味ねえ。そういやお前、学校でもずっとスラックスだよな。それも?」

「いや、違うよ。ただ……今更女の子らしくなんて、できなくて」


 どこか深刻ぶって言うアマツマに、ほんの少しだけ眉根を寄せる。

 何か暗いものがありそうな、そんな言い回しだ。まあ服の趣味などヤナギがどうこう言ったところで仕方がない。なので彼は、見たままを素直に告げた。


「まあ別にいいんじゃないか。よっぽどアレな格好なのかと思ってたけど。普通だろ」

「そう? ……変じゃないかな? 女が男物の服着てるの」

「男が女物着てたら変だろうけど、逆はよくねえか? 普通に着こなしてるようにしか見えねえしさ。身構えて損した気分だ」

「……さっきから微妙に言い方が辛辣なのなんなの?」

「眠いんだよ。丁寧に扱ってほしかったらもっとこっちの事情考えて来やがれ」


 適当に言い返してから、ヤナギは鍋の牛乳に砂糖を入れてさっとかき混ぜた。甘すぎない程度に甘いほうが好みなので、砂糖は多めだ。

 砂糖が溶けきったところで火を止めて、コップ二つに注いでアマツマに持っていく。


「……これは?」

「ホットミルク。それ飲んで寝ろ」


 アマツマにコップを片方押し付けてから、ヤナギは自分の分をゆっくりとすすった。

 ホットミルクには安眠効果がある、らしい。ヤナギにはあまり実感できないが、それでも寝れないときには夜食感覚でたまに飲む。牛乳はあまり好きではないのだが、ホットミルクはなぜかときどき無性に飲みたくなるのだ。

 なにか不思議なものでも見るようにコップを見つめていたアマツマは、不意に弱々しく訊いてきた。


「……訊かないんだね」


 こんな時間に家出してきた事情を、か。

 普通に考えれば、家庭のトラブルか何かだろう。というより、それ以外で家から出ていく理由がない。だが家庭の事情など他人には関わりがたい。

 だからというわけでもないが、苦笑交じりに告げた。


「訊いて楽しそうな話題なら訊くがな。いい歳こいた高校生が、ボロ泣きしながら家出って時点で楽しそうには見えんだろ」


 放り出すように肩をすくめて見せると、アマツマは一度だけむっとしたような顔をした後、すねたようにぽつりと、


「……泣いてなんかない」

「なら、なおさら俺が出る幕じゃないな。言いたいなら聞くが、そうじゃないならどうでもいいよ」

「またそういう言い方をする……君はやっぱり、ひどい奴だ」


 開き直って肩をすくめてみせると、アマツマは困ったように苦笑してみせた。多少でも笑える元気は戻ってきたらしい。

 だがそれで家出してきた理由を語るかというと、そうでもない。十秒ほどの沈黙で見切りをつけると、ヤナギはそっけなく告げた。


「それ飲んだら、コップはキッチンに置いとけ。俺はもう寝る」

「……うん、わかった」

 

 うなずいたのを見届けて、「んじゃな」とリビングを後にする。

 消え入りそうな声で“ありがとう”と聞こえた気がしたが、ヤナギは気のせいということにして、何の反応も返さなかった。

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