1-3 キミのこと、嫌いになりそうだった

「……ヒメノってさ」


 それは今日アマツマと話をした中で、初めて血の通った声だったかもしれない。

 マヌケに救急箱を見せつけたヤナギにアマツマが返してきたのは、呆れを多分に含んだ苦笑だった。


「お節介だってよく言われない?」

「言われたことはないな。普段なら人助けなんかしないし」

「胸張って言うことじゃないよ、それ」


 何が面白かったのか、アマツマはくすくすと笑う。逆にヤナギはバツの悪さにそっぽを向いた。

 お節介だと自覚はしている。それも気持ちの悪いお節介だ。一度見捨てたかと思えばいきなり救急箱持って戻ってくるのだから、確かに奇妙ではある。変な奴だと思われても仕方がない。


「それで、どうすんだ。手当するのか、しないのか」


 切り出すと、アマツマはまた面白がって訊いてくる。


「しないって言ったら、キミはどうするの?」

「帰るよ、そりゃ。これ以上、恥の上塗りなんてできるか」

「恥?」

「訊くなよ。で、どうすんだ」


 唇をへの字に曲げて改めて催促すると。

 数秒ほど躊躇うように間をおいて。だが観念するように、アマツマは呟いた。


「仕方ない、か……うん、お願いします」


 頷くと、アマツマはおずおずと痛めた足の靴下を脱いだ。

 そうして差し出された素足に、慎重に触れる。

 肉付きの薄い、華奢な足だ。白く、丸みを帯びて柔らかく、滑らかな細さ。

 男とは――自分とは全く違う足の形。そんなことで、王子様だなんだと呼ばれてもアマツマは女の子なのだと再認識するが。


「……男子って女性の生足を見ると喜ぶって聞いたけど……ヒメノはそうでもないね?」

「うるせえ。状況を考えろ状況を」

「状況がよければ喜ぶの?」

「うるせえキレるぞ」


 噛みつくように茶々入れに罵倒を返してから、ヤナギはひっそりと顔をしかめた。

 考えていた邪な発想に自分自身うんざりとするが、それ以上に気づいてしまった事実に嫌気が差す。

 平静を装って呟かれたアマツマの茶々入れだが、その声はわずかに震えていたのだ。緊張しているのを隠している、のだろう。だがそれも当然か。大して仲良くもない異性に体を触らせようとしてるのだから。


(バカなこと考えるのはやめろ。それこそそんな状況じゃねえだろうが)


 こっそりと、だがそこに嫌なもの全てを込めたため息をついて、意識を切り替える。


「……やっぱり捻挫だな。腫れてはいるが、そこまで変色はしてないか。見た感じはそこまでひどくもなさそうだな……」

「大丈夫そうかな?」

「さてな。まあ折れてるわけでもなさそうだし、安静にしてりゃ治るんじゃないか? ホントなら保健室か医者行くべきだけどな」

「医者かあ……」


 あまり乗り気ではないようで、アマツマは嫌そうにうめく。

 保健室にも行きたがらないことを考えると、大事にするのを避けたがっているらしい。その辺りの事情に踏み込む気は――もう懲りたので――ヤナギにはないが。

 不安だったのか、アマツマは腫れた足を見つめて、恐る恐る訊いてきた。


「そんなにマズそうかな?」

「知らん。我慢できなきゃ行けとしか……ひとまず今できそうなことっつーと、湿布貼って固定だな。触るけど、痛かったら言えよ」


 断りを入れてから、ヤナギは慎重にアマツマの足に触れた。患部に湿布を貼り、上からテープで固定していく。


「……なんだか、手慣れてないかい?」

「昔、兄貴とよくケンカしてな。親が家にいないことも多かったから、自然と覚えたんだよ。兄貴は手当てしてくれねえし……そういや、肩脱臼させられたこともあったっけかな」

「肩を? 兄弟喧嘩って、そんなに派手なの?」

「どーだかな。特別うちが派手だっただけかも。年上のくせに手加減しやがらねえからさ」


 何がきっかけでそんな大喧嘩をしたのかはもう記憶にないが。兄とは四つ歳の差があるのだから、あちらが大人になってくれてもよかったと思わないでもない。

 どちらにしても、今はそんなことはどうでもいい。集中しなければ。

 自分のことなら雑でもいいが、人を手当てするとなると勝手が違う。時折聞こえてくるくぐもった声に怯えながら、ヤナギはゆっくりと時間をかけてテーピングを続けた。

 と――


「――正直に言うとね」

「……?」


 不意にぽつりと、アマツマが呟いてくる。

 その改まった物言いに、つい顔を上げてしまった。

 そして、後悔した。


「……キミのこと、嫌いになりそうだった」

「…………」


 思わず、じっとアマツマの顔を見入る。見入ってしまう――いつものように薄く微笑む、その頬を伝う一滴のしずくを。

 その涙から目が離せないでいるうちに。アマツマはぽつぽつと言ってきた。


「道を行く人はボクに気づいても知らないふりをして、何人も通り過ぎてって……誰にも助けを呼べなくて。どうしよう、どうやって帰ろうって悩んでたら、いきなり君が話しかけてきて……助けてくれるのかと思ったら、腹が立つこと言ってきて。少し言い返しただけで、さっさと帰ってっちゃってさ……見捨てられたって思ったんだ。その時の、ボクの気持ちがわかるかな?」

「悪かったとは思ってるよ……だけど、キミには関係ないって言ったの、お前だったろ」

「だとしてもだよ」


 それは理不尽だろ、とまで言い返したりはしなかった。

 それ以上アマツマの顔を直視することもできずに、逃げるようにテーピングに戻った。

 どうしていきなり、そんなことを言ってきたのか――どうして、泣いていたのか。ヤナギにはそんなことなどわからない。不安だったからか。ケガが怖かったからか。それともこちらに思うところでもあるのか。想像は出来ても正解はわからない。

 だからそれ以上は踏み込まない。無言でテーピングを続けた。

 この辺りでいいだろうと思えるところで見切りをつけて、ヤナギは顔を上げた。もう泣いてはいないアマツマに、何事もなかったかのように訊く。


「こんなもんか。どうだ?」

「……どうだろ。どうって訊かれても……まあ、今は痛みはない、かな。足首はちょっと動かないけど」

「動かないようにやってるからな。だから、無理矢理動かそうとするなよ。あくまで応急処置だ。しばらくは、それで絶対安静な」


 念押ししてから、救急箱を片付けて立ち上がった。ひとまずこれで安静にしていれば捻挫の方は大丈夫なはずだ。

 だがもう一つの問題はどうしようもなく、ヤナギは問いかけた。


「んで? 応急手当はいいけど、結局この後どうすんだ? 本当に帰る当てないのか?」

「……それなんだけどさ」


 案はあるようだが、どこか窺うような眼で。アマツマはおずおずと聞いてきた。


「ヒメノって、この近くに住んでるの? 救急箱持って、すぐ戻ってきたけど」

「ん? ああ、まあ。近くのマンションで一人暮らししてる」

「一人暮らし? なんで?」

「家庭の事情だよ。親が転勤族でさ。付き合いきれないから、俺だけ残った」


 高校受験が終わった頃の話だ。高校生になっての転校など手続きがめんどくさそうで、無理を言って自分だけ残った。母親と二人暮らしなんて死んでも嫌だったから、母親も父親についていくよう追い出して。それだけのことだ。

 家庭の事情、と聞いた時には表情をこわばらせたアマツマは、最後まで聞くと安心したようだ。ほっと一息ついて、


「なら、悪いんだけど……自転車、貸してくれないかな?」

「貸すのはいいけど。その足でこげるのか?」

「右足は使わないよ。左だけで、こいで戻して、こいで戻してで頑張るつもり。帰り道に坂とかはないから、たぶんいけると思う」


 本当に大丈夫か? 思わず半眼で見やってから、考える。ギアを最大まで軽くすれば、のんびりでも進んでは行けるだろう。ぎこちなくはあっても、それなら一人で帰れるか。

 最悪、二人乗りという手もあるが――

 

(いや、ねえな。誰かに見られたら面倒だろうし)


 ふと思い出すのは、昼にタカトと話してたことだ。アマツマと付き合った男は過激派だかに刺されるとかいう。実際にそんな刃傷沙汰になることはないだろうが、学園の王子様にゴシップはマズいだろう。

 アマツマも大事になるのは望んではいない、はずだ。


「わかった。自転車は明日……は、休みか。休み明けに学校に置いといてくれ。放課後乗って帰るから」

「いいのかい? それだと、休みは借りっぱなしになるけど」

「いいよ。どうせ遠出の予定はないし。怪我人に返しに来いって言う気はないよ。そこまで薄情じゃない」

「そっか……わかった。ごめん、ありがとう」


 律儀に頭まで下げてくるアマツマには手を振って返し、アマツマが乗りやすいように自転車をブランコまで運ぶ。

 手を貸してやりながらアマツマが自転車に乗るのを見届ける。片足がうまく使えないせいか、覚束ない仕草は見ていて危なっかしいが。

 それでもアマツマは自転車に乗ると、優しく微笑んで言ってきた。


「ありがとう、ヒメノ。この借りは、いつか返すよ」

「いいよ、別に。ただのお節介だし……見捨てようとしたのは本当だし」


 つい露悪的に言い返す。

 礼を言われるほどのことじゃない――礼を受け取れるほど、自分は立派な人間じゃない。それを思い知ったから目を背けたというのに。

 アマツマは身を乗り出すと、面白がるようにヤナギの顔を覗き込んでくる。


「……なんだよ」

「照れ隠し、バレバレだよ。そんなところはふてくされてる子供っぽくて、かわいいね」

「隠してるってわかってんなら言うんじゃねえよ」

「ごめんね、でもつい言いたくなっちゃって。ヒメノって、意外と可愛らしいところあるんだね」

「……そーかい」


 言い返そうと思ったが、ヤナギは早々に降参した。勝ち目がなさそうだと察したからだ。

 そんなこちらを見て何が面白いのか、アマツマはくすくすと笑っているが。こちらとしては面白くなかったので、ヤナギは唇をへの字に曲げた。

 なんにしても、それで話は終わりだ。

 小さくため息をつくのと同じタイミングで、アマツマが別れの言葉を口にした。


「今日はありがとう。じゃあ、またね」

「ああ。お大事に」


 振ってきた手に手を振り返す。

 アマツマは器用にも左足だけで自転車をこぎ始めた。後ろから見てると少しおっかないが、それでも姿勢は安定していた。この分なら、事故でもない限りは家に帰れるだろう。

 アマツマの姿が視界の外に消えるのを見送って――


「……また?」


 はたと、ヤナギは首を傾げた。奇妙な言い回しだなと、今更になって気づいた。

 まあ、どうせ同じクラスなのだ。話すことはなくとも、教室で会うことくらいはあるだろう。

 その程度に考えて、ヤナギもまたマンションへと歩き出した。

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