第15話 陽動

 そのため、普通ならばミスリルが単独で対処するだろうけど、そうもいかない状況になったのはほんの三日ほど前だ。


 なんと、アストラムの軍にトロンの旗印を掲げる兵士が何人か目撃されたというものだった。トロンの白い旗が敵軍の中で見つかった途端に、ミスリルの優位性は大きく失われることになる。


 ミスリルとアストラムの戦力はほぼ互角、銀狼部隊を除けば相手の国に侵攻することはかなわないほどに拮抗していた。だからこそ、お互いに味方を作ることで少しでも優位に立とうとしている。ミスリルはアンドロマキアと、アストラムはトロンと。


 その関係は、アンドロマキアが帝政だったころからの歴史だ。

 そのため、ミスリルはアンドロマキアを復興させるレジスタンスを支援する。そして、レジスタンスはミスリルに助力する。ミスリル上層部はその報告があがったと同時にミスリルはレジスタンスへと救援を要請。


 それでナナたちが派遣されてきたのだ。


「まあ、仕方ないんじゃない?」


 ナナもどこか不満そうだ。ハクライもそうだが、好戦的なのは考えものだ。


「ただ、擬人兵はこの場合には時間稼ぎに使うのが有効だろう。元々、そういう役目に適した部隊だ。とにかく、現状をもう一回確認しておこうぜ」


 スガリの広げた地図に、全員があつまる。


「まずは、こっちの戦力だな。とりあえず、南方戦線の防衛を受けたのが俺たちの五千。そのうちに擬人兵がだいたい五百くらいだな」


「ほんとに大変なのよ。五百人も一斉に命令するの」


 ナナの愚痴ともとれるその言葉をスガリは無視して話を進める。


「それで、ミスリルの本隊が約三万だな。これが北部戦線を担当する。目標は陽動で、首都付近まで侵攻するらしいが、おそらく無理だろうな。さすがにトロンが出てくれば銀狼でも出さない限りは、突破できないだろう」


「まあ、そうよね。トロンの部隊は恐らくこちら側にくるだろうけど」


 ナナの大きな役目は、やはりトロンの部隊を抑えこむことだ。

 しかし、それも厳しい。


 なぜなら、ナナたちの部隊はあくまで時間稼ぎのための部隊であり、本格的な戦闘を想定してはいないからだ。五千人も、どちらかと言えば優秀ではない人員を集めている。帝都の防衛が何よりも優先だから、これは仕方がない。


「トロンはどれくらいいる想定で話が進んでるのかしら」


「さあ、それに関しては言及されてなかったな」


 もちろん、同数から三倍くらいまでの軍勢ならば抑え込むことは難しくない。


 攻撃には敵の三倍の兵力を用意しろとはいうもので、裏を返せば防衛側は守ることに専念すれば三倍くらいまでの相手はなんとかなる。ましてや、擬人兵部隊だ。

 トロンの軍隊ももちろん怖いけれども、擬人兵部隊の心強さは何よりも強く、ナナが絶対的に強者であるためのカードだ。


「ただ、増援でわずか五千人なんてあまりにもちんけだわ」


「その通りだな。アストラムとトロンの交流を考えれば一万を出しても驚かない」


「一万対五千。まあ、無理な数ではないでしょう」


 正直、擬人兵以外の指揮をとった経験がないナナにとっては、普通の兵士をそのまま計算にいれてもいいのだろうかと迷う。人と擬人兵には明らかな違いがある。


 それは、恐れだ。擬人兵はナナの言う通りに最適解の行動をする。たとえば、帝都を防衛するために橋を落とす必要がある、だがその橋を落とすためには妨害されないために前線にある程度は確実に死ぬ兵士を置く必要がある。


 この場合は、いくらアンドロマキア軍人だとしても敵に下ろうとナナはそれを攻めたりはしないし、逃げ出してほしいとすらも思う。だが、擬人兵はたとえ自分たちが死ぬことなども気にせずに淡々と橋の防衛に徹する。


 それを強さと呼ぶのか、それとも弱さと呼ぶのか。


「それで、敵の本体であるアストラムの軍勢はどれくらいなの」


「少なくとも南部には三万。北部にも同じくらいの数がいるらしいな」


「はぁ」


 もちろん、相手はトロンのみではなくてアストラムも同じだ。三万もの軍勢にどれだけトロンの軍勢が混じっているのかわからないが、それほどの軍勢を一手に引き受けるなんて。嫌な役を受けてしまったものだ。


「ま、やるしかないんじゃない」


 ナナの言葉に恐れがないことが、スガリにとっての救いだった。最悪なら、もちろん逃げ出すことも考えなくてはいけない。その判断が、ナナが得意では無いからスガリがする必要がある。どこまでが、最終ラインか、その見極め。


「とにかく、私には申し訳ないけれども兵士たちを指揮して全力が発揮できるとは思いません。その経験をするためというには、トロンという相手は強すぎる。なので、四千五百人の兵士たちはハクライさんに預けます。街道の封鎖を急いでください」


「でも、擬人兵でどうするの? 五百人ではなにも」


「いえ、あくまで戦うのは私たちです。できることなら、四千五百人の兵士には死どころか、傷一つも追わせずにアンドロマキアへと帰してあげたい」


 そう言いながら、ナナは地図にある山間の街道地点を指さした。ちょうど、周りには丘陵が控える中で一本の道が整備されている。しかし、その入り口には標高が三千メートル級の山が控えている。まさに、天然の要害だ。


「私たちは、この上に陣を張ります」


 ナナの作戦としては、あくまで遅滞戦術。なので、別にトロンとアストラムの連合軍が丘陵側を抜けていくのならば止める必要はない。三万もの大軍で道なき道を移動するのはひどい苦労だろう。疲れ果てたところを奇襲すれば、トロン側の士気は低いはずだ。すぐに撤退する。


「でも、山側に攻撃された場合は?」


「そうなれば、私たちの勝ちです。街道を封鎖するハクライさんの部隊が気になるのでおそらく三万の軍隊が全て山に上がるわけではないでしょう。なら、山の奥地へと引き込んでから殲滅する」


 ハクライから見れば、それは穴だらけの作戦だった。兵学校で学んだような戦術とは全く違う。高地を取ることや、相手の嫌がる街道の封鎖などは正しいけれど、兵学校でならば丘陵や街道の脇に潜んでゲリラ戦術をとるだろう。


 だけど、ナナの声には力強さがあった。無条件に信じられた。


 それは、優秀な指揮官の特徴でもあり、独裁者の特徴だった。

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