第30話 命よりも重い秘密

 は神と崇められるに相応しい、畏怖すら憶える圧倒的な存在感だった。

 周りの島民達はソレを崇め、熱心に祈りを捧げていたが、俺は易々とはこれを受け入れることは出来ずにいた。俺の中の何が抗っていた。

 

「そんな馬鹿な…みんな騙されてるんだよ!

本物の人魚な訳がないじゃ無いか!良く出来たマネキンとか…、蝋人形とか…、そうだ!マダム・タッソーの蝋人形館にだってあれくらい精巧な蝋人形が置いてあったぞ!」


 などと俺は必死に強気なことを言って見たが、動揺を隠せない俺の足は知らず知らずに二歩三歩と後ずさっていた。

 その時だ、俺の背中が何者かにぶつかった。



「…生憎だがこれは本物だよ。ホンモノの人魚だ。正確には人魚の剥製とでも言うべきかな」



 聞き覚えのある陰気な声が背後から聞こえた。

 柔らかく、だが決して好意的では無いこの声。

 俺に振り向いた井上の目が俺の背後を凝視したまま固まっている。

 驚きに半開きになった唇がわなわなと小刻みに震えていた。


「せ、瀬尾…っ、」


 井上の切羽詰まった声や固まった表情が、それが誰であるか決定的に俺に教えてくれていた。


「が、学園長…っ…?」


 分かった途端、俺は総毛立つていた。振り向くまでも無い。いや振り向くことが出来なかったのだ。

 学園長の骨貼った指が俺の肩にじっとりと置かれた。


「そうですか、この所ちょろちょろと嗅ぎ回っている小鼠が気になってはいましたが、やはり君たちだったのだね、瀬尾君。そして井上君。

君達は学園始まって以来の問題児ですね。

どうやらお仕置きが必要なようだ」

「なっ…!やめっ…!」


 自分の首で鈍い音がした。俺と井上は背後から強烈な手刀を喰らって地面に膝から崩れてしまったのだ。


「い、いの…うえ…!」


 俺の弱々しい呼びかけに井上の反応は無かった。

 俺は心の中では必死に彼の名前を叫んでいたが、実際には切れ切れに、たった一度だけ名前を呼べたに過ぎなかった。


「連れて行きなさい」


 学園園長の平坦で冷徹な声がしたかと思うと、慌ただしい複数の足音が聞こえて俺は勢いよく何者かの肩に担ぎ上げられるのを感じた。争おうとしたがどうにも体に力が入らない。

 担がれた肩の上で男の低い声が俺だけに聞こえるように呟いた。


「馬鹿な奴らめ、俺が何度もビビらせてやったのに何で逃げなかった。

…お前達は深入りしすぎた」


「…フラン…ケン…っ…?」


 それはフランケンの声だった。

 だがその声は馬鹿めと罵っておきながら、俺達を嘲っているようには聞こえなかった。

 まるで罠にかかった小動物を憐れむ言葉のように俺には聞こえたのだ。

 そう感じた時、薄れて行く意識の中でなぜか脳裏を過ったのは、黒い墓石でフランケンに見つかった時の彼の目だった。

 その目はわざと「行け」と俺達を見逃がそうとしていた。


「男女の二人組も逃げたようだ。捕らえなさい」


 誰かに命令している園長の言葉が聞こえたが、それを最後に、俺の意識は完全にフェードアウトしたて行った。



…音無さん、

  

  逃げろ……。



 

     

…ゴォォ





  …ゴォォ…

  

    ゴォォ…



「島民達の退避は終わっています。後は我々だけです」


「満潮まであと三十分です。学園長、そろそろ退避をしませんと」


 最初に俺の目覚めを誘ったのは滝の落ちるような水音と、立ち昇る濃厚な潮の香り、そして人の話し声だった。


「逃げた鼠の捜索はどうなりましたか?」


「申し訳ありません!まだ見つかりません」


 ゴォォ…


  ゴォォ…


 


ここは…どこだ…?

俺は何を…?


 薄暗がりに目を凝らし、俺は必死になって現状を把握しようとしていた。

 先ほどまでい境内のような広い場所では無さそうだ。

 どちらかというと神社の社務所のような学園の事務所のような、そんな印象を感じる場所だ。


いったいここはどこだ?

俺達どうしたんだ?


 ざっくりとは分かるのだが酷く散文的で考えが纏まらない。


ええと、ええと…。考えるんだ!

確か学園長に見つかって、殴られて、フランケンに担がれて…。


そうだ!井上は?

井上はどうなったんだ?




「…せお…」


 俺の自問自答にまるで応えたかのように、井上の微かな声が俺のすぐ傍から聞こえた。


「井上?!」


 声のする方に振り向くとそこには無事に生きている井上が眼鏡の奥で困ったように笑っていた。

 だがその片方のレンズにはヒビが入り、フレームは酷くひしゃげていた。


そうだ。俺達は学園長に捕まって、どこかに監禁されているんだ!


 頭がクリアになると、まるでパズルのピースがはまって行くように次から次へと今までのことを思い出した。


「井上…!お前無事か?!随分と殴られたのか?

大丈夫か?」


 咄嗟に井上に触れようとして自分が後ろ手に縛られていることに気がついた。


「くそっ!何だこれ!」

「まったく、しくじったよ。君こそ大丈夫か?

呼んでも君がなかなか目を醒さないから心配したよ」

「あ、ああ…そうだったのか、心配させたけど何とか大丈夫そうだ…つっ、」


 強がって見せたが本当は首がむち打ちにでもなったようにズキズキと痛んでいた。


「それより井上、ここどこだ?

あいつらは何なんだ?」


目の前を白い作務衣姿に雪駄を履いた見慣れない男達が忙しそうに右往左往しているのが見えた。


「…さあ、どこかな。僕もいま目が覚めたばっかりでさっぱり……」


 話途中で井上の言葉が何かに気を取られて不意に途切れた。

 視線の先を追ってみるとそこには台車に丁重に載せられたガラスケースの人魚が運ばれて来るのが見えた。

 白い作務衣の男達に恭しく運ばれて来る様子は牛車に乗った平安貴族の姫君を思わせた。

 やがて俺達の目の前をゆっくりと人魚が通り過ぎて行く。

 近くで見ればきっとボロが出るに違いない。そう思っていた俺の考えをそれは易々と打ち砕いた。

 人魚は遠目で見た時よりも瑞々しく、かつては本当に生きていたのだと納得してしまうほどの姿だった。

 俺達はその姿をただ呆然と見送るだけで何一つ言葉が出てこなかった。



「どうだね?近くで見た感想は」


「!!!」


 不意に間近で学園長の声がして俺達は飛び上がるほど驚いた。

 人魚に見惚れて人の近づく気配に全く気が付かなかったのだ。


「間違いなく、アレは本物の人魚だよ。瀬尾君、井上君。あれが君らの知りたがっていた本当の御神体だ。

これで満足かね?」


 学園長の声には余裕があり、その顔は勝ち誇ったようにも感じる。

 だが同時に見下されているようにも感じた。

 

「…な、何故ですか、なぜこんな立派な御神体がありながらそれをこうも必死で隠そうとするんですか?

 昔から鮫人伝説がある鮫人神社だったはすなのに、なぜ突然龍神神社に変わってしまったんですか?」


 意を決したように井上がズバッと切り込んだ。

 だが学園長の表情は全く動じることは無かった。


「なら、私からもひとつ聞きたいですね。

考古学的探究にしては、君らは少々度が好きでやしないかね?なぜですか」


 その言葉を聞いて俺の心のタガが外れた。身体中の血が激しく逆流し、俺は前後不覚に立ち上がり、学園長に吠え立てた。


「なぜかって?

アンタには本当に分からないのか?!

アンタが井上を殺したからだ!

鮫人伝説かなんだか知らないが、まずい事を知られた井上をアンタ達が殺したんじゃないのか?!

どんな秘密よりも人の命が軽いなんて事はないはすだ!

…だから、だから俺達は…っ!」


 言葉に詰まる俺を学園長は眉一つ動かさずに淡々と見ていた。


「感傷的ですね。そして若い。

人の命より重い秘密は残念ながらこの世の中にはあるのですよ瀬尾くん」


 

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