第5話 蜜蝋の指

「…毒…」


 傍で呟いた井上の一言に、頭の中の俺のリアルが追いついた。そう思えばあの壮絶な倒れ方にも納得がいった。


だが…。

「何で!誰が!何のためにだ!毒を盛られるような何があるって言うんだよ!俺達は…学生だぞ?」

「龍神に選ばれた事で恨まれたとか、好きな女を巡って恨まれたとか…」

「馬鹿言え、そんな理由で毒なんか盛るか?それじゃあまるで小説だ!」


 そう言ってみたものの、現実には小説のような出来事が目の前で起きたのだ。

 俺達は3メートルほど先の舞台に広がる生々しい血溜まりを恐々と眺めた。

 この時、誰もいなくなった舞台の上を気にしていたのは恐らく俺と井上だけだっただろう。

 その舞台の上で挙動不審な何者かが目に留まった。巫女装束の何者かが人混みからふわっと抜け出したかと思うと、一瞬だけ周囲を伺う素ぶりを見せて足元の血溜まりの中から何か小さな赤い袋を拾い上げ、何食わぬ顔でそれを懐へと仕舞ったのだ。


「オイ!お前待てよ…!」


 咄嗟に俺は声を上げたが、その人物は人混みに溶けるようにその場から消えてしまったのだ。

 顔はよく見えなかったが、あの白い袖からのぞいた細い指に俺は見覚えがあった。

 さっきまで神楽鈴を振っていた印象的なあの美しい指。


「井上、今の見たか…!」

「ああ見たよ。だった」


『あの子』そう、それは蜜蝋のようなすんなりとした海堂の青白い指だったのだ。

 



 今年の龍神祭は恐怖の出来事で幕引きになってしまった。夕食までの時間、学生達には部屋からの外出禁止令が出た。

 何が起こったか分からない今は、生徒達が外部や殊更マスコミと接触する事は避けるべきだからだ。

 俺と井上は都合のいいことに寮でも同室。とことん一蓮托生の運命にあるらしい。

 佐々木が死んだのか息があるのか、全く情報はもたらされずに俺達はジリジリとした気持ちで部屋に篭っていた。

 ただ漠然とあの時見た海堂らしき巫女の不審な行動の意味を考えていた。


「なあ、井上、海堂の奴ははあそこで何を拾ったんだと思う?」

「うん、僕は何か赤い袋のような物のように見えたけど…。

もう一つ僕は気になってることがあるよ。瀬尾君は覚えてるか?佐々木君があの時変な事を言ってたろう。お前が知ったら飛び上がって喜ぶようなスクープがあるって。あれは何の事だったのかずっと気になってるんだ」

「俺も気になってたよ。その事と今回の事件と海堂はきっと繋がってる。そう思わないか?」


 二人とも全く結論は同じだった。この一連の事は繋がっている。そう思い始めたら俺達は部屋でじっとなどしていられなくなっていた。二人とも海堂に合って確かめねばならないと言う気持ちに駆られていた。


「雅楽科の寮は確か僕らと反対側だったよね、普通科と同じなら一年生は二階だ」


 即断即決で俺達は忍足で部屋から抜け出していた。

 学生達は皆んな言いつけ通り自室に篭っているらしい。廊下に出ているのは俺達だけだった。


 やけに静かな廊下を床の軋みを気にしながら俺達は一階まで降りた。

 雅楽科の寮に移動するには一階の食堂と百畳もありそうな広い和室を通らなければ行かれない仕組みになっている。

 食堂の前に差し掛かるとカレーの匂いが漂っていて、湯気の立ち上る厨房の中を、夕食を作る割烹着姿のおばちゃん達が忙しく立ち働いているのが見えた。

 

ギュルルル…


 突然、静けさの中で俺の腹の虫が鳴いた。咄嗟に俺は腹に手をやり井上を見たら目が合った。柄にもなく俺は照れた。


「まったく、こんな時だってのに腹が減る自分が恨めしい」

「仕方ないよ、人間の三大欲求の第一位は食欲だからね。君が健康だって言う証拠さ」

「じゃあ性欲は二位か?」

「三位。もっとも君の場合はどうか僕は知らないけどね」


 声をひそめてそんな下らない事を言いながら、体勢を低くした俺達は食堂をやり過ごし、和室に差し掛かった時だった。

 和室の中から緑川先生と誰かの声がして襖の影で立ち止まった。僅かに空いた襖の隙間から中を覗くと、学園長の五島いつしまと緑川が言い争っているのが聞こえた。


「まったく、面倒なことをしてくれましたね緑川先生。何故、彼を起用などしたんですか」

「すみません、急だったものですから。彼ほどあの巫女舞を踊れる代役がいなくて…」


 海堂の事を話しているんだ。咄嗟に俺達は目を合わせた。


「ただでさえマスコミが押し寄せている時に困るんですよ!あんな目立つことをされては…!」

「しかし、何故ですか。才能のある子をまるで隠すように…」

「黙りなさい!入学当初から注意したはずです。周君は目立たぬようにして欲しいと」

「でも、おかしいじゃありませんか!生徒の才能を開花させてあげる事が何故いけないんですか?」

「それを貴女に言う義務はありません、私のお願いを聞いて頂けないなら学園を辞めて頂くしか無い」


 あまねとは海堂の名前だろうか。いったい何の話をしているのだろう。

 この学園はいわば目立ってなんぼの学生が入ってくる事は学園長だって百も承知のはずでは無いのか?

それを目立たぬようにとは一体どう言う事なのだろう。


「お前達、何をしている」


 全く気配は感じなかった。不意に野太い声と共に、ズシンと肩に重い手の感触が伸し掛かった。


見つかった…!


 恐る恐る振り返ると、そこには灰色の作業服を着た陰気な男が無表情で立っていた。


「げ!フランケ…」


 俺は慌ててフランケンと言う言葉を飲み込んだ。


「こんな所で何をしてる。学生はみんな自室待機になっているはずだぞ」


 フランケンとはこの男のあだ名だ。この学校の用務員で男子学生寮の監督官。

 いつも仏頂面でニコリともせず、挨拶すらまともに返ってきた試しがなく、学生達からは敬遠されてフランケンなどと言うあだ名がついたのだ。


「雅楽科の生徒に用事があったので…部屋を探しに行く所でした。…すみませんでした」


 俺の経験では、こう言う時は下手な嘘はつかないほうがいい。さっさと謝るに限るのだ。


「普通科の生徒が雅楽科の生徒にどんな用事だ」

「海堂と言う一年生が落とし物を拾ってくれたと聞いたので」


 七割はデタラメだが三割は本当の事ではないか?


「誰だね!」


 その時、和室の襖が開いて学園長の不機嫌そうな顔が現れた。俺達はまずいことに学園長にも気づかれてしまったのだ。

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