2.すぎた幸福を噛みしめるように

17話

 施設を出て平穏な日々が続く。祖父母が殺されてから命の危機に迫られる状況だったのが嘘のようだ。


 泰華について未だ不明瞭な部分が目立つが、悪意があるようには感じ取れない。過保護に接して食事を用意する、甲斐甲斐しく月音の世話を焼く。嫌な顔どころか幸せそうな顔をして。


 そんな彼に絆されないかと言われれば、認めたくないが徐々に変化が生まれていた。


「月音、ごはんを食べようか」

「……お手伝いできず、すみません」

「気にしないでくれ。俺がしたいからしてるんだから」


 肉体的にも精神的にも崩壊寸前だった月音にとって、このぬるま湯のような安心する場所を与えられるのは大きな意味を持つ。


 当然、彼の素性には疑念を抱かずにはいられないのだが、それでも。


 月音より遅く寝て、早く起きる泰華が食事を作り待っている。出会ってしばらく、日中はいないものの、寝食を共にして二週間も経てば、瞳の奥に見え隠れする敬意と微かな心配に気付かないはずもない。


 毎度装飾が凝ったケーキやらクッキーなどを土産に買ってくるものだから、ある日二人で向き合ってフォークを手に「甘味が好きなんですか?」と問いかけた。


 すると彼は苦い笑顔をすると「実は得意じゃない」と答えた。


 毎度一緒に食べていたから、当然好みなのだと疑っていなかった月音は驚きあまり、ぽかんと口を開けた。


 呆れたと勘違いしたのか、彼は少しだけ拗ねたように目線を逸らして女性には甘いのを好むだろう、とだけ呟く。


 どうやら月音が食事に興味がないと知ってから、色々与えて探っていたらしい。それで、一番反応が良かった芸術作品のように美しいケーキを基準に買ってきたと。


 その姿があまりにも可愛らしく見えて、器用なのに変なところで不器用なのだと、月音はひっそりと笑った。


 ――現実逃避を、したかったのかもしれない。


 根掘り葉掘り聞いてくる男ではない。

 だからこそ月音は彼という人間について問いかけにくかった。どこまで聞いていいのか不明瞭で、人付き合いが苦手だと自負する身としては、扱いづらい。


 そんな月音を哀れんだのか、もしかしたら別の理由があるのか。


 彼はいつの間にか、彼自身の話をほんのすこしづつ、教えてくれた。


 泰華が実は辛いものが好きだとか、犬や猫など小さい動物が苦手。ショートスリーパーだと知った。


 あとはその日に起きた問題とは無関係な、今日は黒猫が横切ったとか道ばたに咲いていた紫の花が綺麗だったとか。

 そんな小さな話を、ひとつひとつ、宝物を見せて貰うような気持ちで聞いていた。


「月音は、今日は何をしていた?」

「本を読んでました。女の子が現実から逃げるため、海に飛び込んで人魚に出会うお話」


 いつしか幸福を交換するように、月音も真っ白な部屋で起きた内容を差し出した。

 

 なんだかくすぐったい行為だが不思議と嫌ではない。


 彼も退屈しないようにと、本やテレビなどの娯楽をたくさん運んできた。宝箱が満たされていくのを月音は、静かに見つめていた。


 二人分の服、食器、食べ物。自分以外の生息する痕跡が、月音のひび割れしていた一部の心を癒やした。


 二人で丹念に、大切に編んでいく日々。


 朝と夜の食事は必ず二人で食べる。寝るときは「おやすみ」朝は「おはよう」出かける際は「行ってらっしゃい」と「行ってきます」を言う。二人の些細な取り決めを繰り返す、そんな平和は甘露のように、子守唄のような余韻を残して。


 月音は、それを。それ、を――。


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