3話

 艶やかな色を含んで、ちょい、と細い指を曲げる。糸を引っ張るような動作は、月音を呼んでいるらしい。


 品のある態度、口調が強引に月音の気を引き付ける。応えねばと思わせる堂々たる風格に抗えないでいた。 


 逡巡の後、月音は捻挫した足を引きずって男のそばによる。数歩進み、すぐ横に突っ立ち、やはりと頷いた。


「そちらこそ、大丈夫なんですか」 


 心配からではない。探る質問に男は唇に指をそえて、くすくすと上品に笑った。「大丈夫ではないな」けろりとした語調だ。


 しかし。

 月音は視線を巡らす。男の座る場所から、薔薇よりも濃い色が広がり模様を描いていた。それはどんどん大きくなり、この瞬間も流れ続けているのだと容易に察した。


 黒のスーツだからわかりにくいが、おそらく月音と同じかそれ以上の重傷を負っている。これだけの出血で微笑むなど、正常とは思えない。


 それに――首筋から除く、血液のような色で咲く花。


 鮮やかな花に月音は、ひっそりと深呼吸をする。

 雨音がうるさい、神経を尖らせて見定めるために男を注意深く観察した。


 もし、この人間が、あいつらの味方ならば。


「きみのナイフか、それは」


 表情ひとつ変えず、目線で示す。月音はぴくりと肩を揺らしてから、無言で握る力を強めた。指先が白くなるほど、馴染ませる。


「似合うな」

「……ずいぶんと、変わった感性ですね」

「そうか?」

「アクセサリーでもない、凶器が似合うと言うなんて、普通の女性なら引いてますよ」

「そうだな。だが、きみは普通の女性ではないだろう。そもそも、この町に普通な人間はいない。まともなやつなら、別の場所に住む」


 その通りだ。ここは――壊れたやつが闊歩する羽無はなまち。正しさを説く者が、さじを投げた壊れた町。警察も行き届かない。

 

 羽無はな、という綺麗な名前で覆い隠した闇夜と混沌が支配する場所。


「なぁお嬢さん。取り引きをしないか」


 男が芝居がかった動作で手を差し出す。助けを求めているようで、ダンスに誘うかのように優雅に。


「お互い、怪我で身動きがとれない。その上、俺には追っ手がいる。きみもだろう?」


 遠くの方から、月音を探す怒号が聞こえる。

 おそらく諦める気は毛頭ないだろう。月音の体力は既に限界を迎えている。見つかるのも時間の問題だ。


「俺も頼れる人間と連絡がつかなくてな。追われてる身としては、きみと手を組みたい」

「ただの子供に、過度な期待をしていますね」

「ただの子供だからこそ、だ」

「取り引き、とは」

「簡単だ。俺の家まで運んで欲しい。そこなら追っ手からきみを隠すことも可能だ」


 月音は帰る家がない。

 施設から逃げ出した身としては、一時的に避難場所を与えられるのは助かる。カタギではない男からも、施設の人間からも逃げなくてはならないのだ。 


 だが、しかし。

 あまりに出来すぎており、罠ではと疑う。

 都合がよすぎるのだ。


 彼の血を睨めつけたが、それが本物かどうかは月音では判断がつかない。雨でも流せない金気臭さが辺りを覆っているが、月音のものかがわからない。


 しばしの沈黙。答えは出ない。いっそ疑わしきは罰するのは。手のナイフが濡れて光り、月音の視界に入った。

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