二日目 アンチ・アムネスティ。

「どちらの腕にする?」


 日本刀を構えた男に真顔でそう尋ねられた場合にどう答えるべきか、義務教育で教えるのも一考の余地はある。


 ──ど、どうしてこうなった?


 牛山大悟は喉をゴクリと鳴らした。


「いや、自分で治せるのだから、どちらでもいいか」


 なお、この状況に狼狽えているのは彼だけではない。


 教団本部まで連れ立って来たアヤメ、ミカ、クラリス、京極、さらには三代目コウちゃん益田も怯えを見せていた。


 三代目コウちゃんは後悔もしている。


 ──日本刀、持ってこなきゃ良かったっ!!


 だが、天王寺キララだけは、物騒なことをのたまうオサムの背中をうっとりと眺めていた。


 ◇


 映画がスタアを生み出す活力に満ちた最後の時代に現れた女優──高峰沙織。


 けがれを知らぬあどけない少女のような風貌と、かすれたハスキー・ヴォイスの織り成す絶妙なアンバランスさに大衆は心を鷲掴みにされた。


 高峰沙織のデビュー作『タータンチェックと手榴弾』は歴史的な興業成績を収め、彼女は一躍スタアの仲間入りを果たしたのだが──。


 不慮の事故が、彼女から女優という天職を奪った。


「あのには、期待しているの」


 後期高齢者となってなお保たれている彼女の美しさは、不断の努力と亡夫が遺した天王寺家の莫大な財力に支えられている。


「もちろん、気持ちは同じでしてよ、お母様」


 沙織の座る車椅子の背後に立っているのは、彼女の娘であると同時に天王寺キララの叔母でもある。


「自分の子供以上に、キララちゃんの将来を大切に考えていますもの」


 母におもねるような口調で語りながらも、目元は決して笑ってなどいなかった。


 奔放な姉が遺した娘のキララを女優として育て、沙織が果たせなかった夢を成就させる──。


 それが莫大な遺産を受け継ぐ条件なのだ。


「そう──ただね、疑うわけではないのだけれど、やっぱりアイドルなんて下らないし遠回りが過ぎないかしらねぇ」


 子役としては泣かず飛ばずだったキララなのだが、ヤケクソになった叔母の受けさせたオーディションが運命を一変させた。


 スーパーロリアイドルの爆誕である。


 世は、グループアイドルからKPOP完璧アイドル、そして逆輸入昭和リバイバルアイドルブームを経て、いよいよロリアイドルという原点回帰を果たしたのだ。


「お母様、戦略です。これこそが現代芸能における戦略なのですわ! アイドルから女優、さらには本格女優への脱皮を大衆と共に共有する。さらには、その育成過程を包み隠さずSNSで公開することで──」


 そう熱く語る叔母の声など、虚ろな瞳でスマホの画面を見詰め、ひたすらに文字を入力し続けるキララの耳には届かない。


 < 消えたい >

 < 私は、どうしたら消えられるのかな? >


 キララが爆速でつらね続けるテキストは、思春期の厨二魂が発露されているわけではなかった。


 彼女は本当に限界だったのだ──。


 打算的な叔母の敷いたレールの上を、父母が失踪したという負い目のみで走らされ続けてきた。


 ──私の言う通りにしないと、間違いなく不幸になるわ。

 ──姉さん──キララちゃんのお母さんがそうだもの。ホントに可愛くって学校でも人気者で、そういえば私が最初に付き合った先輩だって……。


 叔母が憧れる全てを、キララの母親は持っていた。


 ──なのに勝手に家を飛び出して、戻ったら父親も分からない子供を……。


 幾度も幾度も聞かされた話である。


 最終的には、叔母の言うことに全て従えという話に帰結していくのだ。


 何の興味もない、芝居、ダンス、歌のレッスンに勤しみ、バカバカしいドラマやバラエティのオーディションを受けさせられてきた。


 スキャンダルの芽を作らない為に同世代の友人を持つことは禁じられ、学校では常に孤立している。


 アイドルという奇妙な役割を与えられて以降は、その孤立はより一層深刻になっていた。


 台本通りに演じる虚像がメディアで拡散し、手前勝手な崇拝者とストーカー紛いのファンまで生んでいる。


 全てがドロドロとまとわりつき、その全てが不快だった。


 だからなのだろう。


 < あたしも……消えたい…… >


 どこの誰とも分からない。


 < だから消える……予定。明日、消える予定 >


 場末のオプチャで無責任に流れ続ける後ろ向きなメッセージ。


 < ってか、逃げる、消える、バックレる、世界を出てく >


 その時のキララには、特別な言葉のように思えてしまったのだ。


 ◇


 実に迂闊だった。


 さらに言えば、運も悪かったのだろう。


 絶対数なら世間の少数派であるタガの外れた変質者に出くわしたのだ。


 夜、熱に浮かされるようにして家を飛び出したキララだったが、数時間後には手足を拘束された状態になっているなど想定外にも程がある。


「ぐふふ」


 黒い覆面をした小太りの男は自身に舞い込んだ幸運を逃さず、躊躇なく犯罪行為に及ぼうとしていた。


 いや、既に誘拐・略取は犯しているのだが、その他の罪状も重ねようと準備万端の状態なのである。


「ずうっとキミを追いかけてきたからさ。これはご褒美だよね、ぐふ」

「──!!」


 ガムテープで口を塞がれており、悲鳴を上げることも叶わない。


 至るところに天王寺キララのポスターが貼られたマンションの一室。


 空々しい笑顔を浮かべた自分に四方から見られている──。


「ぐふぐふ」

「!!!」


 全てに虚無を感じていた無気力なキララとはいえ、さすがにこのシチュエーションには恐怖心が勝った。


 ──た、助けてっ!!

 ──誰でもいい。誰でも──お、おかあ──、


 彼女が必死に身悶え抵抗する──、その時のことだ。


 部屋にインターフォンの音が鳴り響いた。


 深夜の訪問者など想定していなかった変質者が、慌てた様子でベッドから離れドアモニタで外を確認する。


「ちっ──ウーバーかよ。頼んでねぇよ! 帰れ──くそっ」


 舌打ちして人違いだとドアフォンに叫んだが、配達員が帰る様子を見せないため変質者は苛々と戸口へ向かった。


 その直後、ドアの開放音と共に短い悲鳴が上がり、ゆっくりと土足でフローリングを歩く音が響いた。


「──ん?」


 顔に縫い傷のある男が、変質者を引きずり部屋に入ってきた。


 拘束されたキララに気付き、片眉を上げる。


「屑に懲罰を与える契約を交わしたのだが──、さっそく悪事を働いていたようだ。実に多忙な男だな」


 そう言って彼は胸元からコンバットナイフを取り出し、何かを思い出したかのようにして呟いた。


「ふむん──、状況を考えるならキミに権利があるな」


 迷いのない男の瞳が、天王寺キララを見据えていた。


 学校、芸能界、SNS、家──いかなる場所、媒体でも見たことのない、あまりに澄んだ彼の眼差しが、その後のキララの運命を決めたのだ。


「どちらの腕にする?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る