既に人が変わってしまっている

「あの、私、なにか、とんでもないことに……!」

「あああ、違うんです。どうぞ落ち着いてください。これ、悪いカードじゃないですから」

「ええ?」


 僅かに顔を蒼褪めさせたキディ先生に慌てて弁解する。


 死とは区切りであって、終末ではない。

『蝶』は、誰しもに訪れる運命さだめを搬ぶ使者。

 それは一つの終わりであると同時に、新たな世界への始まりでもある。

 キディ先生の現状を考えれば、先生自身にとっても、今回の大抜擢が人生における大きな転機であるのだと言えるだろう。この状況でこのカードが出たあたり、先生は結構引きが強いタイプなのかもしれない。


「はあ。驚いてしまいました」

「ですよね。ごめんなさい。ただ、どちらかというと左下のカードの方がちょっと不穏でして」

「えっと、この可愛らしいカードが……」


 池に浮かぶ五輪のデイジー。

 それを池の縁から眺める一羽の白ウサギ。

 デイジーは四元素の土を象徴するシンボルであり、現実的、物質的な財貨・財産を意味している。それが手元から失われ、流れてしまっている。


「これは問題に対する近未来の予想。つまり、今回の教育係、何かしら困難な状況が予想されます」

「まあ」

「ただ、なんというか、御年八歳の王子殿下がお相手ですから、それも当然といえば当然かとは思います。やはり、それなりに難しいお仕事とはなるようですね。先生は、王子殿下については何かお聞きになっているんですか?」

「いいえ。ただ、多少気難しいところのあるお方だとは、お伺いしましたけれど」

「ううん。どうなんでしょうねぇ。私にとっては王家の方々なんて、雲の上のさらに上みたいな存在ですので、ちょっと想像できないですけど。お目にかかったこともないですし」

「あら。昨年の殿下の誕生日パーティーは、確か国内の幅広い貴族家を招かれたとお聞きしましたけれど」


 ああ、それ、うちはバックれました。

 領内で農作物が荒らされる被害が出てて、一家全員その対処にかかりきりだったので。

 いや知らないよ、王家の男子が七歳を迎える節目の伝統行事なんて。こちとら畑半エーカーだって貴重な収入源なんだ。

 はて、あの時は、父はなんと言い訳をしたのだったか。


「ま、まあまあそれは置いておいて。取りあえず上のカードを見てみましょう。これは今回の問題に対する障害がなにか、を示しています」


 五本のチューリップを右手に抱えるウサギが、更にもう一本を左手に掲げ、赤い花弁を通してどこか遠くを見つめている。

 チューリップは水のシンボル。愛情、優しさのイメージ。

『6本のチューリップ』は、追憶・懐郷・温かな過去を暗示するカードだ。


「シンプルに考えれば、やはり今まで先生が教えていた生徒と比べ、ひと際幼い殿下がお相手ですから、良くも悪くも親身になりすぎてしまうのかもしれません」

「ううん。そうですねえ。このところ、小さなお子さんを見ると、ついつい甘やかしたくなってしまって。これも年を重ねたせいなのかしら」


 そうですね、とは流石に言えないが、そんなことないですよ、とも言えない。

 うちの母も、兄に子供が生まれたときには人格が変わっていた。

 子供なんだから可愛がるのは当然でしょう、などと言ってはいたが、絶対に私や兄が子供の頃にあんな可愛がり方はしていない。

 初孫は人を変えるのだ。キディ先生も昨年にお孫さんと対面している。恐らくは既に人が変わってしまっているだろう。


「それ自体がいけないことだとは、私は思いません。むしろ、先生の優しさは子供にとっても嬉しいものですし、それを無理に抑える必要はないかと思います」


 というより、無理だろう。王子殿下がよっぽど小憎たらしい(自主規制ピー)でないかいぎりは。

 なので、必要なのは最後のカードだ。


 夜空の下で木の幹を背にくつろぐウサギと、それを囲むように10本のデイジー。

 幸福と繁栄、その継承を暗示するカード。意味合いとしては今回の4枚の中で一番良いイメージのカードだ。


「このカードは、問題やその障害に対するアドバイスを示してくれます。『10本のデイジー』は財産や技術の継承、それによる繁栄や成功を表しますが、それは親から子へ、師から弟子へ、正しい形式による継承を意味します」

「正しい、継承ですか」

「はい。愛情をもって指導に当たること、それはキディ先生の美点であって、それをこそ皆様が評価してくださったものと思います。ですが、改めて正しい手順、正しい基準、正しい手続きを以てそれを行うことを意識してみましょう。それが何より肝要かと思われます」

「愛情をもって、正しく……ですね」

「ええ、つまりですね――」

「つまり……」


 私の言葉に困惑したような顔をしたキディ先生に、私は精一杯の笑顔で告げる。

 つまり、答えはシンプルで、当たり前のこと。

 確かに、最初から分かり切っていることなのだ。



「いつも通りのキディ先生でいれば、万事うまくいきます。大丈夫ですよ」



 少しだけ、虚を突かれたように固まったキディ先生は、直ぐに私の言ったことの意味を理解し、飲み込んだ。

 やや遅れて、はにかんだ笑みを浮かべたキディ先生の表情は、とても可愛らしくて、素敵だった。


「はい。ありがとうございます。メオ様。私、気が楽になりましたわ」




 ふう。

 なんとかなったか。

 その後、談笑などする間もなくお暇されたキディ先生を見送り、私は占いに使ったカードに簡単な手入れをして、箱に戻した。

 しかし、いやはや、王家のご嫡男にマナー講義とは恐れ入りますなぁ。そんな方に私なんぞの先生などを務めさせてしまってよいのだろうか。いや、だからこそなのか。

 申し訳ありません、先生。明日からまた頑張ります。


「なるほど」


 その時、僅かに渋みを感じる張りのある声が、私の部屋の入口から聞こえてきた。

 私の体がびくりと震え、恐る恐る顔を上げると、そこにおわしますは、私の素敵な旦那様。

 アイスブルーの瞳が、冷たく私を射抜いていた。


「それが君の占いか、メオ」


 ひぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいい。

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