19.ローマは一日にして成らず

総じて、何事もなかった。

あの後は森木先生がやってきて、普通にショートホームルームSHRが行われ、それから何の変哲もなく時間は過ぎて行った。


そんなこんなで無事に昼である。

泰禪乙川高等学校へと入学して初の昼休みであり、初の昼食だ。


この高校には学食が存在しないので基本的には弁当を持参するのだが、近所のパン屋やコンビニへと買い出しに行く生徒も少なくはない――と、姉が言っていた。

今後どうなるかはさておき、俺と佐々木さんは初日という事もあり、二人とも弁当を持参していた。


普通に教室内で食べても良かったのだが、折角なので初日くらいは変わった場所で食おう、という流れになった。

今朝の出来事で意図せず注目された事もあり、教室内に居るのが気恥ずかしかったから……というのもある。


そんな訳で、二人で人気ひとけの無い落ち着ける場所を求めて歩いていると、すぐに校舎裏の隅に良い感じの木製ベンチを発見した。


周囲は木々が生い茂り、丁度木陰になっている。

これ幸いと二人並んで腰を下ろすが、日光が当たりにくいせいで若干じめっとしている事に座ってから気付く。

座面は一応乾いているものの、ひんやりとした湿気を感じる。

なんならベンチの側面を見ると苔が生えていた。先客がいなかったのはそのせいだろう。

二人で顔を見合わせる。


「……どうする?移動した方がいい?」


「あ、いえ、私はどっちでもいいですよ」


佐々木さんに確認するが、特に気にしていないようだった。

こちらに気を遣っている訳では無さそうだったので、今日のところはここで昼食を摂る事にした。

まぁ、初日から良い場所は見つからなくて当然だろう。良い感じの昼飯ポジション探しという新しい楽しみが増えた。


黒いナイロン製のケースから無骨な弁当箱を取り出して膝に乗せる。デザインよりも機能美優先である。ちなみにケースは保温機能付きだ。

佐々木さんはデフォルメされた可愛らしいゴリラがあしらわれた巾着袋から、丸い弁当箱を取り出した。この子ゴリラ好きだな。


しかし、ゴリラよりも気になったのはそのサイズである。


「佐々木さんのお弁当箱小さすぎない……?」


「え?そ、そうですかね」


俺の弁当箱の半分もない。

前世に比べればかなり小食な俺から見ても、これで物足りるのだろうか……と、何故か不安になってくる。


「あ、あの……安城さん。なんでそんな不安そうな顔を……?」


「足りないんじゃないかと思って……あっ、からあげ一個あげようか?」


「い、いやいや、大丈夫です!これでもちょっと多いくらいなので!」


佐々木さんはそう言いながら手を振る。

どうやら余計なお世話だったようだ。ついついこういう所におっさんの生態が滲み出てしまう。ついつい仲の良い若者に飯とか奢りがちだった。


穏やかな時間だ。

朝の寒さをすっかり忘れてしまうような春の陽気である。

それでいて頬を撫でる空気はしっとりと冷たく、このベンチだけが周囲から切り離されているかのようだ。


そのまま静かに食事をするのも悪くは無かったが、折角なので和やかに食事をしたい。

弁当箱を開きつつ、先程思った事を口に出した。


「佐々木さんってゴリラ好きなの?」


「はい。かわいいですよね」


かわいいんだ。

かっこいいなら割と普通に分かるんだけど……いやまぁ感性は人それぞれだ。


ゴリラについて、他愛の無い雑談を交わしつつ弁当を食べる。ゴリラについての他愛の無い雑談ってなんだよ。


マウンテンゴリラとニシローランドゴリラ、それぞれの生息域に関する話や、胸を叩いて縄張りをアピールする行為……通称ドラミングはオスしか行わないこと等。

ゴリラに関する定番の話題でひとしきり盛り上がった。いや定番なわけねぇだろ必死で相槌打ってたわ。


とはいえ。総じて興味深い内容ではあったのも事実だ。

なんなら普通に勉強になった。



「ご馳走さま……卵焼き、甘くて美味しかったね」


「あっ、こちらこそ唐揚げ美味しかったです」


互いに完食し、交換したおかずの感想を交わした。

腰の下のベンチを見る。寒い日や梅雨の時期は厳しそうだが、晴れた日の食事場所としては中々悪くないかもしれない。


それと心なしか、今日の佐々木さんは生き生きとしていた気がする。

恐らく人目が無い分、普段よりも素に近い部分を見せてくれたのだと思う。

まぁ、あるいは大好きなゴリラの話をしていたからだろう。

高校に入ってから知ったのだが、正直かなりおもしれー女だと思う。



ふと。自然と。

そんな佐々木さんと、友人としてもう少し距離を詰めたいと思った。


「……あのさ、佐々木さん」


声をかけると、佐々木さんは弁当箱を仕舞いながらこちらを見た。


俺は、朝からずっと胸につっかえていたものを取り出すつもりで言葉を紡ぐ。


「実はさ、昨日――」


先日、佐々木さんと別れた後にC組で起きた出来事。

それについて昨日からずっと不安を抱えていた事。

通学時、佐々木さんに伝えようとして、途中でやめた事。

そして、今朝の教室での騒動はそれに付随するものである事について。


佐々木さんは俺の話を黙って聞いていた。

生徒会長とのやりとりについては、生徒会に勧誘された事と、それを断った事。

会長の姉に対する恋愛事情は伝えなかったものの、嘘は交えずに事実だけを伝えた。


「――ってな感じだったからさ。今朝はかなり混乱したよね、言っとけばよかった。ごめん」


「……そうだったんですね」


佐々木さんは、静かにうつむく。

その表情は少し寂し気に見えた。


ちゃんと謝るべきだろうか。

それとも、やっぱりこうして馬鹿正直に伝えてしまった事を後悔すべきなのだろうか。

俺と佐々木さんは、一体どちらを正解に選ぶのか。それが分からない。


「あ……いえ。そ、そんな顔しないで下さい、安城さん」


俺の、そんな考えが滲んでいたのかもしれない。

佐々木さんはそう言うと、気まずそうに息を吐き出した。


「いや、その……ごめんなさい。なんと言うか。安城さんからその事を聞いていたとしても――私は、大したお力添えは出来なかったんじゃないかな、と」


そこまで言って黙り込んでしまう。

彼女から透けて見えるのは無力感。それと罪悪感だった。


「あーいや、ごめん!」


俺は、慌ててこの話を切り上げる。

佐々木さんに心労を強いるつもりは無かった。

ちょっとしたノリと勢いで、俺の中によどんでいた何かを、少しだけ佐々木さんに晒してみようと思っただけなのである。


「急にこんな事言われてもね。飯食った直後なのに胃もたれするって。わはは!」


笑顔で気まずい空気を押し流す。

ベンチから立ち上がり、木陰から出て背伸びをした。日差しが心地よかった。


木陰に座ったままの佐々木さんは、なんと言えばいいのか分からないようだった。

半端に何かを言おうとして、その言葉を飲み込んだ。


俺はそんな彼女を見て、とりあえずこれだけは伝えておこうと思った。


「佐々木さん」


「あ、えと……はい」


「ワタシらさ、中学時代はまともに話した事無かったのに、こうして毎日話すようになったじゃん?」


「え、あ……そ、そうですね」


「それって友人として、大きな進歩だと思うから……お互い焦らず、仲良くなっていけたら嬉しいと思ってるよ。は」


「あ……、……うん……うん。ありがとうございます。私も、そう思います」


佐々木さんが頷き、少しだけ微笑んでくれた。

俺の言わんとする事は、多く見積もって五割くらいは伝わっている事だろう。


まぁ、仮に全く伝わっていなくとも焦る必要はない。

ズッ友ローマは一日にして成らず。そういう感じの話だ。

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