第7話 伯爵家での日常
人の悪意に晒されて泣いているセシルに、母は何度も言い聞かせた。
『セシルは、そのままで生きてくれているだけで尊い存在なのよ』
セシルの気の強さやめげない気持ちは、こういった母の教えからのものだった。
『セシル。あなたの幸せをいつまでも願っているわ』
その言葉を発した間もなく、セシルの母は死んだ。その後、教会でのセシルへの扱いが酷くなり、王宮へ追いやられる。その王宮からも追放を言い渡されて‥‥
そうして辺境伯との契約結婚に至った。愛のない、契約結婚だったはずなのに。
セシルは日常的に、アルベールから木や花を贈られていた。
「いや、意味が分からない」
セシルは庭の真ん中に立ち、途方に暮れた。記念の木が贈られてから数日。
セシルは討伐から帰ってから毎日、かの木を見に来ていた。その木はまだ、セシルの背丈より少し高いくらいにしか育っていない。
しかし、ちょうど季節なのか、白い花が木の上で可愛らしく咲いていた。
見たことのない植物だったので、屋敷にあった書庫を使用する許可を得て、調べてみた。
なかなか見つけることが出来なかったが、異国の、それも東方の植物について詳しく書かれてある書物にその名前はあった。
その木の名前は、『サクラ』というらしい。
少し風が吹けば、その花は散ってしまうほど儚く、脆い。少し、悲しい気持ちになる花だと、セシルは思った。
「部屋に戻ろ‥‥‥」
レインには秘密で、ここまで来たので早めに戻らなければ心配させてしまうかもしれない。
セシルが屋敷に入ると、やはり聞こえてくるセシルへの疑いの言葉。「どうして、追放された聖女が由緒正しきウィンスレット家に嫁いできたのか」と。
それは、セシルの聖女の力を旦那様が欲しがったからだが、それを知らない周りはセシルを許さない。
更に、最近は領地での魔物の出没が増えており、「追放された聖女がいるから神が怒っているのでは?」といったことを言っている人もいた。
そんな中でも、レインや公爵家の騎士団の人たちは友好的に接してくれていて、とてもありがたい。
(‥‥‥‥‥‥‥旦那様も親しくしてくれるけど)
そこで、セシルはアルベールのことを思い出した。
(どうして、こんなによくしてくれるんだろう)
「契約結婚だ」と言いながら、セシルの幸せを保証すると言う。過剰なほどに物を与えてくる。守ろうとしてくる。
セシルには、アルベールの真意が分からなかった。
その時。
パシャリという音と共に、何かがセシルにかかっていた。
見上げると、そこには誰もいない。しかし、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
「汚ーい」
「元からでしょう」
「あんな女、すぐ捨てられるわよ」
顔をあまり見られたくないのか、すぐにどこかに行ってしまったけれど。
このくらいなら仕方がないと思って、セシルは何も言わずに部屋へと戻った。
「おっと!」
戻っていく途中、人とぶつかりそうになってしまう。そこにいたのは、執事のデニスだった。
「セシル様、すみません。大丈夫っすか?」
「ううん。こちらこそ、ごめんね」
デニスはすっと目を細めて、探るような目線を送った。
「どうして、濡れているのですか?」
「ああ‥‥‥」
セシルは少しだけどうしようかなと考えた。
「少し、水を浴びたくなってしまって」
「‥‥‥ああ、なるほど!そろそろ暑くなってくる時期ですしね」
素直な反応を見て、嘘をついてしまったことに、キリリと罪悪感を覚える。しかし、水をかけられたことくらいで、わざわざ報告することも嫌だった。
(レインの耳に入ったら、当該の人物を抹殺されてそうだし)
何よりレインの手は汚したくない。だから、仕方ないのだと自分に言い聞かせた。それでもデニスと目を合わせられないでいると、やがてふわりと何かが頭にかかった。
「?」
「濡れたままだと風邪を引いてしまいますしね。使って下さい」
頭にかかるのは白くてふわふわのタオル。デニスは「失礼します」と断って、セシルの頭を優しく拭いた。
「デニスさんって、優しいですね」
「そうですか?弟がいるので、面倒見はいい方だとは思いますが‥‥」
セシルは、「お兄ちゃん」と腕を弟に引っ張られているデニスの姿を想像して、少し笑ってしまった。
「何ですか?」
「ごめんなさい。イメージ通りだなって思って」
「そうすっか?」
彼は、少しだけ表情を明るくした。
「俺、いつも弟みたいって言われるんですけどねえ」
「そうなの?」
「そうなんすよ。アルベール様も‥‥‥レインさんまで、俺を弟扱いしてくるんですよ」
「三人は、本当に仲がいいんだね」
「そうっすね。俺、教会に住んでた孤児だったんすけど、そこで結構酷い目にあってて」
「‥‥‥」
「もう限界って時に、まだ幼かったアルベール様が俺を買い取って下さったんですよね」
確か、レインも似たような境遇だったはずだ。親に売られそうになったところを、セシルが助けて、その後、紆余曲折を経てアルベールに買い取られた。だから、レインはアルベールにも感謝をしているのだと言っていた。
彼らの話を聞いて、アルベール様は困っている人を放っておけない性質なのかもしれない、と思った。
「その頃のアルベール様は、屋敷の中でも難しい立場におられて‥‥‥だから、俺やレインさんはアルベール様をいつだって助けたいって思ってきたんです」
彼は懐かしそうに下げていた目線を、セシルに合わせた。
「セシル様にとって、この屋敷はまだまだ居心地は悪いと思います。それでも、俺はアルベール様の妻であるセシル様も助けたいって思ってますし、レインさんやアルベール様も味方ですから」
だから安心して下さい、と。彼は微笑んだ。セシルはその言葉に虚を突かれた。
「‥‥‥旦那様も味方なんですか?」
「誰よりも、何よりも、あなたの味方っすよ」
そして彼はにかっと笑った。
「だから、嫌がらせとかあったら、いつでも言ってくださいね〜」
「へっ?!」
彼はそれだけ言い残して、去って行ってしまった。
(もしかして、私が濡れてた理由に気づいてたのかも‥‥‥)
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