眠神/ネムガミ

翔龍LOVER

第一章

人生を変えよう

 目を擦りながら目覚まし時計を探す。

 ぼんやりとした視界に映る時刻に、俺は身体中の毛が逆立ち、飛び起きた。


 会社の近くに住んでいる俺は、ダッシュで会社へ走って社用車である二トントラックに乗り込み、もうすでに朝のラッシュで混み始めた高速道路を縫うように走る。ハンドルを指でトントンしながら、俺は、タバコを一本取り出して火をつけた。


 俺が勤める会社は建築系。戸建住宅の、外壁工事現場を管理・監督する仕事。


 今日の現場は遠いから、朝八時から建築現場で行う打ち合わせへ間に合わせるには、高速道路の混み具合を考慮すると朝六時には家を出発しておきたかった。


 にもかかわらず、本日の起床は六時三〇分。


 現場に着くと、得意先である工務店の監督がすでに到着していた。その隣には、同じく先に来ていた俺の上司である高田係長の姿が見える。


 時刻は八時二〇分。約束の時間を二〇分も過ぎている。得意先の顔は曇っていて、高田は眉間にシワを刻んだままアゴが突き出ていた。


 俺はトラックを降りるや否や、一目散に駆け寄って詫びと挨拶をする。

 遅れた理由を説明するにあたり、さすがに「寝坊」とは言えなかったので、俺は運転中に考えていた別の理由を話した。正直、この辺りのことも、もう慣れた作業だった。


「おっ、おはようございます! 大変申し訳ございません、思いのほか、道が混んでまして……」

「じゃあ、なんで俺たちは間に合ってるんだ寝咲しんざきよ。その程度のこと、想定して動くのが社会人だろが、このボケ」

「すみません……」

「それはそうとよ。この現場の建築部材、どこにも見当たらんぞ。どういう手配になってるんだ?」


 途端に、嫌なゾワゾワ感が身体中を走る。

 まさか……とは思ったが、俺は部材の発注具合を確認した。

 


 ……しまった。配送の朝イチ指定、忘れてる。



「すみません。今日届くんですけど、何時になるか……」

「はあ? 今日の朝イチから職人が仕事すんのに、なんで部材の着時間指定を『今日中』にすんだ。バカかお前は!」

「高田くん、君のところは一体どうなっとるんだ」

「大変申し訳ございません! 直ちに対応させますので……」


 俺は、腕を組んで渋い顔をする得意先と、怒号を撒き散らす上司と、部材がなくて仕事にならない職人さんから同時に睨まれ、ただただ謝った。


 流用ができる他の現場から今すぐ部材をもってこい! と上司から命令が走る。午前中に回る予定の他の現場を全てキャンセルして、トラックですぐさま走り出す俺。


 そのおかげで何とか朝イチの現場は形になり、次は昼イチの現場。ここも打ち合わせが必要で、嫌なことに、またさっきの上司と合流する予定なのだ。


 予定外に走り回ったせいで、この現場は一〇分ほど遅刻した。当然、現場前で腕を組んで、到着したばかりの俺のトラックを睨む上司の姿が目に入る。 


「何回遅れたら気が済むんだ寝咲ぃ……」

「すみません、いろいろ走り回ったもんで」

「俺のせいだってのか? ああっ?? お前のつまらんミスのせいだろが! できねえ癖にいちいち言い訳すんな」

「すみません……」

「おい、こっちの現場の部材は、うちの倉庫にある在庫品だったよな! 発注する必要すらないんだから、もちろん大丈夫だよな!」

「はい! 大丈夫です!」


 俺はトラックの荷台へ走り、あらかじめ積載していたたくさんの部材をひっくり返した。

 

 あれ? あれ?


 恐る恐る高田の顔を見ると、高田はまぶたをピクピクさせながら、俺が視線を向ける前からすでに目を細めていた。


「どうした」

「……持ってくるの、忘れました……」


 高田は大きく息を吸い、あえて音を強調させながら吐く。

 ついでに、呆れたような表情を付け加えながら、今度は得意先がいないのをいいことに遠慮なく俺を罵倒した。


「お前ほんと、真のクズだな……。どうせ家でもそんなふうゆったりと育てられたんだろ? お前の親がどんなのんびり屋か想像がつくわ。やらなけりゃならんことは命懸けてでもやれ、ボケ! 次にこんなことになったら、お前はもう死んで詫びろや」


 高田は吐き捨てるように言い、俺はまたもや部材の調達に走る。


 結局、朝イチと昼イチの現場のためにほとんど一日を費やしたので、その他の現場でしなければならなかったことは累積負債のようになり、明日以降の俺の予定を著しく圧迫した。

 いつもいつもこんなことが続く俺は常に寝不足で、運転しながらも瞼が垂れ下がってくる。エナジードリンクを一気飲みし、目をパチパチしながら足をつねって眠気を強引に覚ました。



 今日の外回りをいったん終え、黄昏どきの高速道路を走りながら、俺は長かった一日の終わりを実感して感傷にひたる。

 スマホに記録している音楽を無線通信でカー・オーディオから流し、ついでに自分の運転するトラックが奏でる騒々しい走行音もBGMに加えながら、タバコの煙を窓から車外へ吐き出す。ゴールデンウィークも過ぎて、トラックの窓にかけた右手にあたる風圧が生ぬるく、それがまた眠気を誘った。


 もう夕方だから、さっさと事務所に帰って事務処理を終えたい。本当だったら、今日はきっと早く帰れただろう。

 でも、明日以降に押しやられた予定を考えると、それぞれの現場でできることは今すぐにでもやっておきたい気分だった。たとえ、仕事終わりが何時になろうともだ。

 だから俺は、ここでエナジードリンクをもう一本開け、太ももの内側あたりをつねった。


 チリリリン、と黒電話に設定されたスマホの着信音が鳴る。


 同僚の後輩女性社員、新堂ミミ。俺が呼ぶこいつの愛称は「ミー」だ。

 俺は、ハンズフリーのスイッチを押した。


「よーっ、ネムちゃん、おっつー。今、どこーっ?」


 元気のいい、しかし完全に「何か」を知っているような声。ニヤニヤしながら小馬鹿にしている表情が目に浮かぶ。


「なに嬉しそうに言ってんの?」

「聞いたで! 今日も派手にやらかしたらしいなぁw 高田のおっさん、今日は『本当に殺す』って言うとったで。事務処理まで終えて会社出んの、深夜一時コースやな」

「うるせ。誤算がなきゃあ、俺だって、もっと早く帰れんだよ」

「へー。毎日毎日、誤算ばっかでエキサイティングやね! とりあえず今からどこの現場行くんw 何か配送に行くんやろ? 手伝てつどうたるわ」

「手伝わんでいい」

「意地張んなって! あたしはネムの味方やでぇ」


 ため息をつきながらも、これからしなきゃならないことを思い浮かべると正直死にたくなってくる。

 だから、俺は嫌々ながらもミーに頼むことにした。

 

 電話を切って次のタバコに火をつける。

 赤く染まり、徐々に暗くなっていく空を眺めながら、俺は深く煙を吸い込んだ。


 再び、チリリリン、という黒電話。

 

「へい」

「センパーイ、今どこすか?」


 相変わらずの軽い声。こいつは同じ会社の後輩男性社員、中原達也だ。


「もう会社の近くだよ」

「早いじゃないっすか! この感じなら、今日は九時頃には仕事終われるんじゃないですか? 明日も早いから、今日は飲みじゃなくて、ちょっくら、いつものビリヤードでも行きましょうよっ」


 こいつの軽い声とは真逆で、どんどん気が重くなって沈んでいく俺の心。


「いや、まあ……。これから、まだちょっと行くところがあって」

「はあ? こんな時間から? どこ行くんすか」

「……どこでもいいだろ」

「あ──……。なんかミスりましたね」


 先輩としてのプライドを袈裟斬りにする、全てを読み切ったような呆れ声。

 こいつらは俺のことを分かり切っているから、誤魔化しても無駄だった。

 まあ、どうせミーの奴がペラペラ喋るんだろうから誤魔化す必要などないんだが。 


「しゃあないよ。まあ、仕事終わったら先に帰っといてくれ」

「今、どのあたりすか?」

「もうすぐ会社に着くとこ」

「俺も行きますよ、今、会社着いたとこだから」

「ああ? いいって。俺のせいなんだから……」

「貸にしときます」


 俺と全く同じ業務をする後輩二人は、辛いことも、仕事の事情も全てわかっている。

 馬鹿にしてくることもあるが、こんな俺を、こいつらはいつも助けてくれるのだった。


 俺の尻拭いを手伝い終わった二人は、だいたい同じくらいの時間──午後九時前に都内にある事務所へ戻ってきて、俺たちは会社の駐車場でバッタリと会った。

 一人だったら帰社が日をまたぐのは確実なほど積み上げられた俺の仕事だったが、二人が手伝ってくれたおかげで、素晴らしく早く終えることができたのだ。


 俺たちは三人とも喫煙者なので、会社へ着くなり阿吽の呼吸で喫煙所へ直行。

 それから事務所へ上がると、他の部署の社員が一人いたのみで、それ以外は帰ってしまってもう誰もいなかった。


「さあー、ちゃっちゃと事務処理終わらせて、ビールでも飲みながらビリヤードするかぁ! ネムよ、今日こそはコテンパンにしちゃる!」


 まだまだ元気の有り余っているミーは、腕まくりをしながら自席に座ってパソコンの電源を入れる。

 アホみたいに仕事ばかりやってると、襲いくる睡魔の荒波に飲まれてしまいそうだったので、俺は事務所のテレビをつけた。ドリップコーヒーを淹れ、俺と中原も自席に座って事務処理を始めた。

 

 テレビはちょうどニュースの時間。特に興味はなかったが、いったん座ってしまうとチャンネルを変えるのも面倒くさくて、そのままにした。


「さて、今日は度肝をぬく新サービスが、政府から発表されました」


 いつもなら、ニュースなんて俺にとってはただ流されていくだけの番組だ。しかし、アナウンサーの発したこの一言が、妙に俺の意識に引っかかる。

 俺は、気付くとテレビのほうを向いていた。


「その新サービスの名は『ゼウス』。全知全能の神の名を冠したこのサービスは、先日発表されたばかりの世紀の大発明、生ける金属『ネオ・ライム』を利用した次世代ネットワークシステムだということです。今日、政府からこのシステムの運用計画について発表があり、それに関連する法案の提出がなされました」


 この時点で、ミーと中原が首だけテレビのほうへ向けた。



 生ける金属「ネオ・ライム」のことについては、さすがの俺もネット記事で見たから知っている。 

 柑橘系の香りが漂ってきそうなネーミングの由来は「リビング・メタル」が元になっているようで、それぞれの英単語の上から二文字ずつを取って「ライム」と名付けられたのだ。


 この金属のすごいところは、例えば欠損した腕へ、この金属で製作した義手を取り付けると、一定期間後には人間の身体と完全に同化して、肉体の完全復元ができるようになるらしい。


 今はまだ様々な形状・用途には対応できていないようだが、失った肉体を補い万病を治す希望の光として広報されたのである。



 そうこうしていると、ニュース番組のスタジオに呼ばれた専門家がゼウスの説明を始めた。


「この『ゼウス』の仕組みはですね、まず、生ける金属『ネオ・ライム』で造られたICチップを頭の中に埋め込み、脳の一部として同化させます。すると、ネオ・ライムは人間の脳内で形作られた『思い』を信号へ変換し、通信によって外部機器へ飛ばすことが可能となる。このシステムを使うことで、人間は『思うだけ』で様々なことができるようになるのです」


 専門家の説明に対し、アナウンサーが質問していく。


「この『ゼウス』を使うと、具体的には、どのようなことができるようになるのですか?」


「そうですね、例えば、『インターネットに接続しろ!』と頭の中で命ずれば、その命じた方のですね、『頭の中』に、取得した情報とか、映像などが表示されます」


「え! 頭の中って、それは、どこに、どういうふうに表示されるんでしょうか? 想像がつきませんね」


「ええ、ええ。そうでしょう。これは人類が初めて体験することです。『どこに』というご質問については、まさしく『頭の中』とか『意識の中』としか言いようがありませんが、『どのように』というご質問については、頭の中に現れた『映画館のスクリーン』のようなものだと申し上げておきましょう。これは、目で見た視覚映像とは全く別に、頭の中に表示されるのです」


「人間同士の意思疎通については、今後どうなりますか?」


「『相手に伝えたい』という意志を込められた『思い』はまるで実際に声帯から発せられたかのように音声として相手へ伝わります。このシステムは声による『言語』を使わないため、言語の違いが意思疎通の障害になることはなくなるでしょう。口で言葉を喋る時代は、もう終わりを告げたのです」


 ミーも、中原も、気が付けば椅子をくるりと回してテレビに正対し、口を開けたままテレビに視線を固定していた。


「知識は勉強して覚えずとも、システムと脳の接続によっていくらでも手に入ります。よって、『勉強』とは今後、知識を覚えることではなく、それをいかに使うかを学ぶ言葉として定義されるでしょう」


 だんだんボルテージの上がってきた専門家は、ここらで少し息継ぎをする。


「ふう。……さらに、この世の中のほとんど全てと言っても過言ではない数多くのシステムが、この『ゼウス』と連携して運用される予定です」


「銀行や政府の業務を含めた非常に重要なシステムさえも連携させるということですが、セキュリティには問題はないのでしょうか?」


 専門家は軽く咳払いをして、得意気に眉を上げて言った。


「オホン。そこはですね、何人たりとも破ることのできない史上最高のセキュリティが採用されています。『生ける金属』の特性で常に自動進化し続けるゼウスの高度セキュリティ・システムは、ハッカーとの『イタチごっこ』の前側を行くことになるでしょう」


「各ユーザーとゼウス・システムとの通信は、やはり山岳地帯など都心部意外では電波が入らなくて使えないのでは?」


 専門家は、机を叩いて立ち上がった。


「ところが、です! ネオ・ライム同士の感応性を利用したゼウスの通信システムは、絶対に断たれることはありません!」


「ええ〜っ! 信じられませんね! すごい、そんなことできるんだ。……でも、ゼウス・システムを利用するためには、脳に『生ける金属』を入れて同化させるための手術が必要なんですよね? 多くの人々は、その点に不信感と恐怖を感じるように思うのですが……」


「確かに、初めてのことですから誰しも怖いと思うでしょう。しかし、そのリスクを遥かに超える、まさに『神』になったかのような体験のできる未来が、今、すでに、私たちの手の中にあるのです!」


 

 ニュースが終わると、俺たちは、言葉をかわすことなく自然と目を見合わせた。 


 このサービスは、才能や努力なんてなくても、「思うだけ」で何もかもを動かせる。

 俺がよく忘れる部材の発注だって、このシステムを使えば「思うだけ」でいい。必要部材を期日までに抜けなく発注することなんてわけはないだろう。「思うだけ」なら、誰にでも、そう、バカであろうが関係なく、誰でも簡単にできるはず。


 仕事ができれば早く帰れる。こんな仕事漬けの毎日じゃなくて、人間らしい生活をして。余裕ができれば、自由な時間だって自分で作ることができる。


 その上で、今、俺が心の底から望むもの。それは──

 

 どうしても、可愛い彼女が欲しいっっ!!!


 だから手始めに、まず、俺の人生を圧迫している元凶の、この仕事を何とかしなければならないのだ。



 人生を変えたい──。



 俺は、すでに違うニュースに切り替わったテレビを眺めながら、汗ばむこぶしを握りしめていた。

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