帰り際のソナタ

梶浦ラッと

開演

第1話『帰り際』

「腰いてぇ……」

 副島そえじま悠衣ゆいは、韋駄天の如く駆け込み乗車をした。

 持ち前の低身長で鬱蒼とした人混みを駆け抜けて、誰もが譲り合って一つ空いていた座席に座った。そこまでは良かったのだが、勢いを持って座った電車の椅子は想像より硬く、副島の腰を鈍くも鋭く痛めつけたのだった。

 副島は一息ついて、今日の学校説明会で貰った資料をリュックから一掴みで取り出して確認する。

 えーと。教科書の注文はこの茶色の封筒で、入学式までの宿題はこれか……分厚ちーな。まあ、明日からこつこつやれば十分終わる量か。

 最後に副島はリュックからスマートフォンをポケットに突っ込んで、資料たちを片付けた。手持ち無沙汰に取り敢えずMP3アプリを開き、左耳にワイヤレスイヤフォンを捩じ込む。その時、ある女子生徒が目に入った。

 あ、今日の行きの電車の時に陽留にぶつかってた人だ。よく見たらあの制服、うちの学校の人だったのか。もう着てるってことは先輩か……可愛いい人だな。いつか話す機会があれば良いけど。

 陽留――そう陽留はるは副島の中学校からの友達である。およそ少し前まで中学生だったとは思えない背の高さとルックスで女子人気はすさまじかった。しかし流石高嶺の花とも言うべきか、告白した者たちは残らず玉砕し、その噂で人知れず恋破れた者は数多という。副島とはすこぶる馬が合っていたものの、宗が副島の高校よりワンランク上の偏差値のところに行ってしまった為、高校は離れてしまった。幸い、方向が同じだから二人で電車に乗って、行きは一緒に向かうことが出来た。

「えーまもなくーまもなく峡西きょうさい駅で御座いますーお出口はー右手側で御座いますー」

 ブレスレスな車掌の声が響いて、自宅の最寄り駅がすぐであることを知った副島はイヤフォンを外そうとしたが、丁度サビが来てしまったが為に外すタイミングを逃した。

 電車が完全に止まった時の慣性に揺られてから出ようとした瞬間、さっきの女子高校生の先輩と話しているのが一人見えた。その人は笑っていた。

 しかし副島は気にも留めなかった。聴いている曲が意外にも長かったのである。

 改札はマナカを低空飛行させて通過して。


「やっべぇよ。やっべぇよ」

 峡西駅を出て自転車を漕ぐ副島は漏らす。

「誰とも喋れてねぇ……。同じ中学の奴らが一人残らず知らねぇやつだなんて、それを知ってたら違う高校行ってたよ」

 副島を取り巻くものは、いとも簡単に跡形もなく変化を遂げる。

 だがしかし、副島はもう既に常識の風に乾いていた。潤った粘土のように柔靭でなく、真っ白なキャンバスでもない。

 むしろ真っ黒の方が近いのだ。

 どす黒い濁流は、例えおどけてばかりの赤鼻ピエロにもぐるぐる渦巻いている。

 副島は純粋無垢ではないが、純粋無垢でもあった。ミジンコの目は片方にしかないように。

「あーーーっ!!!!!」

 副島は憂い、嘆くのだった。

 変化を後悔していた。

 無常に童貞だった。

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