第32話

 ピン ポォーン。玄関から壊れかけのチャイムが呼び掛ける。

「誰だろ」

 その音でスッといつも通りの穏やかで楚々としたワタルに戻った。はーい、と玄関に向けて声を掛けつつ、そちらへと小走りで向かう。ガチャリと扉が開く音がした。

「あれ? コウキ? どうしたの?」

 コウキだって? 俺は飛び起きて玄関へと向かった。そこには今までに見た事無い程に神妙な顔付きのコウキが立っていた。

「よぉ、一週間振り」

「あ、うん。一週間振り」

「これ授業のノート。ゼミの奴らで手分けしたから取りこぼし無いと思う。あとこれ差し入れ。レトルトばっかだけど」

「ありがとう。有難く受け取っとくね」

 廊下から顔だけ覗かせて二人の会話を聞いていたが、まさかワタルずっと学校行ってないのか? 俺が覗いている事に気付いたのか、一瞬だけワタルがこちらを振り向くと眉尻を下げた。

「あのさ、イーサンから聞いた。ユータ、何処にいるか、まだなんの手掛かりも無いんだろ?」

「……うん」

 間があった。そりゃそうだ。ユータの体は見つかってないけど幽霊はさっきから覗いてるよ、なんて言える訳が無い。と言うか、さっきから首まで丸出しにしているけど、コウキからは何の指摘も無い。コウキには俺は見えてないんだ。

「その、俺等も探してるからさ、気を落とさずに、な? 学校は無理して来なくても何時でもノート持ってくるしさ」

「それなんだけど、明日には行こうかなって」

「えっ? 大丈夫なのかよ? だってまだ……」

「うん、それはそうなんだけど、どうしても知りたかった事は知れたと言うか、俺のやる事はもう家の中には無いと言うか」

「なんか良く分かんないけど、ワタルが元気になったのは良い事だと思う」

 コウキの顔にハテナが浮かんでいる。こんな抽象的な事言ったらそれもそうだろう。

 俺はスっとワタルの隣に移動した。ワタルが目だけでこちらを見るのが視線から分かる。

「でもさ、本当に無理すんなよ? 辛い時は休むのも大事なんだぜ?」

「うん、ありがとう。でも本当に大丈夫だから」

 不安そうに言うコウキだが、こちらには全く視線を寄越さない。まぁ、見えてないなら当然だ。俺は、玄関に降りるとコウキの真正面で止まった。無理矢理目を合わせるが合ってる気がしない。

「おーい、聞こえるかー? 俺はここだぞー?」

 無反応。肩に手を掛けようとしたら案の定手はそのまま下にすり抜けた。俺は見えないし聞こえない。もう、コウキの世界に俺はいない。

「なぁ、気付けって」

 乱暴に大声を上げてコウキに更に詰め寄る。それでもコウキは微動だにしない。俺は右手を振り上げていた。

「ユータ!」

 鋭い声が背後から響いた。厳しい表情のワタルと目が合った。そうだ、ワタルには俺が見える。俺が聞こえる。そう思うと途端に自分が恥ずかしくなった。俺は慌ててその場から飛び退った。

「え? どうしたんだよ突然」

「ご、ごめん。何でもないから」

「何でもない訳ないだろ? なぁ、悪い事言わないから明日も休めって。無理かもしんないけどさ、ちょっと落ち着く時間が必要だって」

 コウキが心配そうな表情でワタルの腕を掴む。

「俺、そろそろ帰った方が良いか? それとももうちょい一緒に居ようか?」

「大丈夫。本当に大丈夫だから。コウキ今日バイトじゃないの?」

「でも……」

「俺はバイト前にわざわざ会いに来てくれただけで本当に嬉しかったんだから。その気持ちだけで充分」

 ワタルが穏やかに笑ってみせると、やっとコウキも納得したようだ。何度も何かあったら連絡するようにと念を押してコウキは帰って行った。

 その後ろ姿を見送ってワタルは玄関の鍵を掛けた。そして静かに瞬きすると上がり框で立ち尽くす俺をしっかりと見据えた。

「ユータ、アレはどういう事」

「ごめん。もうあんな事しないから」

「違うよ。俺が聞きたいのはどうしてあんな事したのか」

 ワタルの静かな声に心臓がギュッと縮まる気がする。今の俺に心臓があるのかは謎だが。

「コウキにも俺の事見えて欲しかったんだよ。コウキだけじゃない、みんなとまた喋ってバカやって笑って……もう無理だって思ってるのに諦めがつかないんだよ」

 思わず俯く俺の目にワタルの手が差し出された。顔を上げるとワタルが泣きそうな顔で俺を見つめていた。

「大丈夫だから。俺がずっと側にいるって約束するから」

 ワタルはいつもこうだ。真面目で融通が利かなくてでもそんなところに俺は救われてる。

「な、本当に悪かったと思ってるんだぜ? ここだとちょっと寒いだろ? 居間戻ろうぜ」

 俺がそう言うとワタルは素直に従った。

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