第8話

 残された俺達も鞄にノートを詰め込んで帰る準備に取り掛かった。

「なぁなぁ、先生怪しくないか?」

 いつの間にかすっかり身支度を整えたコウキがこちらに身を乗り出した。

「怪しいって何が?」

「何って先生の様子だよ。だってさ、スマホ見た時の顔見たかよ? すっごいデレデレだったじゃん。あれ、もしかして浮気相手とか」

 生き生きとしたコウキの声に思わず苦笑してしまう。コイツは人の色恋の話になると途端に生き生きするのだ。

「あのなぁ、普通に考えれば奥さんからの連絡だろ? 第一、愛妻家の先生が浮気なんてする訳……」

「なんだユータ知らないのかよ」

 食い気味にコウキが俺の言葉を遮る。

「ジョン先生って言えばコレの噂だろ?」

 そう言って小指を立てて見せた。

「阿呆くさ、てか古くさ。そんなジェスチャー俺のじいちゃんしかしてるの見た事ないんだけど?」

「もう何臭くってもいいよ。とにかく先生には嫁以外に女がいるんだって」

 コウキが喜々としてそう言った時だった。

「そそそんな事言うの止めてくださいっ」

 突然、左側から声が割って入って来た。俺は、それと多分この場に居た全員が、驚いて声の主に視線を送った。

「先生っ、先生は、そんな人じゃないです」

 顔を真っ赤にして息も絶え絶えな様子で抗議するのはタクマちゃんだった。まさか彼女が、しかも先生の事で声を荒げるとは思ってもみなかった。

「あ……っと、ごめん」

 あんなに目を輝かせていたコウキはすっかりしおらしくなって椅子に腰を下ろした。

「タクマちゃんを怒らせる気は無かったんだよ。本当にごめん」

「え、あ、私こそすみません……」

 すっかり神妙な顔つきになって頭を下げるコウキに、タクマちゃんは我に返ったようにハッとして、こちらもみるみる内に小さくなっていった。そんな二人のやり取りにエイミーがニンマリと笑って口を挟んだ。

「タクちゃんもしかして先生の事好きなん?」

「エミ」

 イーサンがエイミーの肩に手を置いた。振り返るエイミーに窘めるように小さく首を横に振った。

「ごめんケンゴ。タクちゃんも今の質問は無しで。ごめんね」

「私の方こそお騒がせしてごめんなさい」

 イーサンに注意されてエイミーはちょっと泣きそうになっているし、そのせいでタクマちゃんは見る影もない程に恐縮してしまっていた。なんだか変な空気だ。俺がワタルに視線を送ると何故か親指を立ててきた。嫌な予感がする。その瞬間、ワタルが徐に立ち上がった。

「ね、こう言うのはここで終わりにしよ? 気持ちを切り替えてさ、みんなでご飯でも食べに行こうよ」

 浮かれたような声色が、しんと静まる空気に無様に漂う。

「え? 無理。今日デートだもん」

「俺バイトだし」

「あ、あの私もこれからサークルで……」

 当然のように断られる。最後の望みをかけるようにナミちゃんの方を向く。彼女はその目を受けるとスッと立ち上がった。まさか来るのか、一瞬そう思ったが、彼女は深々とお辞儀をすると鞄を肩に掛け颯爽と出て行ってしまった。まったく、言わんこっちゃない。ワタルは昔からちょっとズレてる、と言うか空気の読めない所がある。ただ、本人の纏うホヤホヤした雰囲気か、はたまた顔か、今までこれを理由にイジメに遭ったりした事は無いらしい。

「ワタルもういいからとりあえず座れ」

 俺が服の裾を引っ張ると項垂れて椅子に沈み込んだ。

「コイツは俺が連れて帰るからみんなは行って大丈夫だから」

 俺がみんなを見回しつつそう言うと、互いに顔を見合わせつつそれじゃあ、と一人また一人と帰って行く。

「あ、あの、本当にすみませんでした」

 一人最後まで残ったタクマちゃんが俺達に向けて頭を下げた。

「私のせいでワ、ワタルくんやユータくんに気を遣わせてしまって」

「いいよ。俺達は気にしてないから。それよりタクマちゃんもサークルあるんでしょ?」

 俺がそう声を掛けるとオドオドと視線を彷徨わせて小さく頷いた。

「こっちは本当に大丈夫だから、早く行きなよ」

「あの……本当にごめんなさい」

 彼女は何度も頭を下げてこちらを気にするように何度も後ろを振り返りながらカフェテリアを後にした。俺はその後姿を、後半は苦笑をもって見送った。

「タクマちゃんて本当に気が小さいよな。あんな謝らなくても誰も悪いなんて思って無いのにさ」

 既に見えなくなった後ろ姿を見送り続けて俺は呟いた。

「いいんだよ。タクマちゃんはそれでさ」

 いつの間に元気が戻ったのかワタルも一緒になってタクマちゃんを見送っていたようだ。なかなかに現金な奴だ。

「そう言えばさ、バカ真面目なワタルが、どうしてメモ一つ取らなかったんだ?」

 ずっと気になっていた事を聞いてみた。するとワタルは机に置かれたスマホを取ると、ささっと操作してまた机に置いた。

『よし、それじゃあ今日は死後の話でもしようか』

 そこから、さっき聞いたジョン先生の声が聞こえてきた。

「録音してたのか」

 ワタルがニヤリと笑うとスマホを鞄に仕舞った。なるほど、板書の無い授業では良い考えだ。ただしさっきのドヤ顔がウザい。

「よし、俺らも帰ろうよ」

 そう言ってこちらを見上げてくる笑顔に俺はデコピンした。

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