第15話 婚約相手センネフェル

 建物を出たら、明るい日差しが降り注いできて、私の両手首が明るみに出ました。

 弟に掴まれた場所は少し赤味が引いて痣になりつつあったのですけれど、キキの時のようにまた誰かを驚かせてはいけないと思い、色付きのリボンを巻いて隠していたのです。御洒落に見せかけたつもりが、逆に悪目立ちしていたみたいね。


「腕をどうした?」


 自分が握っている方の手を目の前に持ち上げて、イエンウィアは首を傾げました。

 弟と喧嘩した事を正直に話すと、


「元気だな」


 イエンウィアが温かい声で楽しそうに笑いました。


 あ、と思ったわ。その顔、あのにしていたのと同じものだとね。

 私今やっと、あのと同列になれたのかしら、と。


 街を抜けて、私達は北側に広がる農地に向かいました。

 

 イエンウィアと一緒に手をつないで街を歩くのは憧れだったけれど、まさかこんな形で実現するとは思っていなかったし、それ以上に全然想像と違うものだったわ。だって、手をつなぐというよりは、手を引かれている状態だったし、ゆっくり見物して回るというよりは、早足で通り過ぎる感じだったから。


 目的の農地についた頃には、私は少し息切れしていました。


 農地が見えると同時に、そこに数人の人々がいるのが確認できました。


 イエンウィアはその人達に気付かれる前に、農作業小屋のような建物の影に私を押しこみました。そして、自分も同じように身を隠して、建物の影からそっと顔を覗かせて様子をうかがったのです。


「いた。彼だ」


 イエンウィアが指を動かして『来い来い』とい呼んだので、私はイエンウィアと場所を交代して壁からそっと顔を覗かせました。


 そこには、農機具を持った農民数名と、数頭の牛。その真ん中あたりに、少し身なりの良い少年がいて、談笑していたのです。でも、結婚相手と思われる男の方は見当たりませんでした。


「どこに?」


 私はイエンウィアに顔を向けて訊ねました。


 人物を特定できなかったのが意外だったのか、イエンウィアは目を丸くして「石板を持って農民に囲まれている人物がいるだろう」と言って、指で石板の大きさを示しました。

 

 石板を持った人……と意識して再度探すと、先程見た少年の手に、丁度イエンウィアが指で示したくらいの大きさの石板がありました。

 私は自分の目を疑いました。


「……子供よね?」


 キキより幾分年上くらいに見えるその子は、どう見ても子供特有のおさげ髪を切り落として間もないくらいの男の子でした。


「十四だ」「十四!?」


 驚きのあまり間髪入れずオウム返しした私の声の大きさに慌てたイエンウィアが、「しっ!」と口に指をあててきました。


「割礼は終わっているから一応大人の扱いだ」


 そういう問題じゃありませんわよね。

 割礼が終わっている終わっていないの問題ではなく――いえ、終わっていないのならもっと問題なのですけれど。私が議題にしかったのは、精神面の方ですわ。


「性格は見ての通り」

「素直で明るく世の中の酸いも甘いも知らないと?」

「尻に敷けるぞ」

「馬鹿言わないで」


 ボールが転がるが如く軽快な冗談の後、イエンウィアはセンネフェルの釣り書の様な説明をしてきました。


「来月で十五になる。今は土地の管理を学んでいるが、来年からは父の後について他の仕事も学び始めるそうだ。優しい性格で頭もよく、領民からは好かれている。お父上は美食家で豪快な方だが、人となりは善良。奥方も朗らかだ。貴方は歓迎されるだろう」

 

 つらつらとよくもまあそれだけの情報をお持ちだ事。と感心しましたわ。

 まあお陰で、良い家族なのね、という事は分りましたけれど……。


 ああ、実際、宰相ご一家はとても善い方たちでしたのよ。流石に妊娠がバレた時は有無を言わさず実家にお返しされてしまったけれど。それでも奥方様は『本人の気持ちも確認せずあなたが押せ押せで嫁にくれなんて言うからよ』と、宰相様に文句を言っておられて。私は本当に、最低限しか責められませんでしたの。心に傷を負うくらい、もっと罵られても当然だったのにね。

 センネフェルも、夫婦でいた時間なんて無いに等しかったけれど、本当に優しくて良い子だったわ。

 あの子には、ちゃんと素敵なお嫁さんを見つけて幸せになってほしい。


 この日、宰相のお家は家柄だけでなく家族の人となりも最高の嫁ぎ先だというのはよく分りました。でもねえ、夫になる方が私より六つも年下とはねえ。逆ならよくある話なんですけれど。


「初恋もまだなんじゃなくて?」


 邪気のない初々しすぎる笑顔を見て、私はげんなりしました。これではまるで、夫というよりは弟がもう一人できる気分だわ、と。


「君がその相手になってやればいいだけのことだ」


 流石にこの台詞は配慮に欠けますわよね。

 私がどんな気持ちになると思って言ったのかしら、あの人。


「……あなたって残酷……」


 言いながらまた農地の方に目をやると、農民の一人が私達に気付き、指差してきました。そして、何やらごにょごにょとセンネフェルに耳打ちしたのです。


 耳打ちされたセンネフェルは、顔を真っ赤にしてこちらを見てきました。

 どうやら私の身元がばれたようでした。


「話してくればいい」


「ええ!?」


 イエンウィアに提案され、私は耳を疑いましたわ。

 この事が父の耳に入ろうものなら、私はまた大目玉を食らうに決まっています。そして二度目の外出禁止令。


 けれどイエンウィアは、「ここで帰るのも変だろ」と、ごもっともな事を言いました。


 確かに、ここで踵を返して逃げれば、心証を損なってしまうに違いありません。

 農民たちに冷やかされながら恥ずかしそうに私を待っているセンネフェルの姿に焦りを感じながら、私は出るか出まいか、まだ迷っていました。


 けれどイエンウィアに、とん、と文字通り背中を押されて建物の影から出てしまった私は、私を待つ彼らの元に歩みを進めるしかなかったのです。


 センネフェル達と少しばかり談笑して、私は農作業小屋に戻りました。

 けれどそこにはもう、イエンウィアはいなかったのです。


 すでに午後を大きく回っていたので、神殿に行ってもイエンウィアは仕事だろうと思い、私は家に帰る事にしました。


 何となく、化かされたような騙されたような……釈然としない気持ちでしたわ。

 その日の夕刻、父はまたまた上機嫌で帰ってきました。そして、私を見るなりぎゅっと抱きしめたのです。


「よくやった!」


 と父は私を褒めてくださいました。


 怒られる覚えはあっても、お褒めにあずかる事に身に覚えがなかった私は、何が何やら分りませんでした。

 それに対して父は、今日私が宰相の農地を訪問した時に、センネフェルが私に好印象を持ち、一日でも早い腰入れを、と宰相に申し出たらしく。トントン拍子に結婚話が進んでいると教えてくれたのです。

 私は自分の外面の良さを初めて呪いました。

 



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