第3話 「なろうくんさァ」



「、着いたな」


チャッキーは窓外を見て口の中で呟いた。

SLがやっと停まって、外が明るくなったのだ。


しかし一番最初の停車駅は異世界ではなく、神域である。

ここは女神だけが入れる聖域であり、彼女たちの生活区域だ。

転生者は女神の許可がなければ絶対に立ち入れないエメラルドシティだった。


エメラルドシティというのは比喩ではなく、ここにある建造物、植物、動物、虫は全てエメラルド色でできている。

淡い緑の太陽が緑色の日光で世界を照らし、緑と黄色が混じった夕焼けは神域名物の絶景だ。


窓の外は重たいほど濃い緑のガラスの花が地面にひしめき、風が吹くたびにキリリンコロンと花弁をぶつけ合って優しい音を鳴らしている。

SLはそんな花畑の、大きな大木の前で停車した。

ガラスの大木、枝葉にとまった深い緑色の孔雀たち。

鳥たちのガラスの瞳。

周囲は木々に囲まれているため、ここは森の小さな停車駅だ。


「!みんな」


すると大木の下で待っていたお蜜が、ピョンと立ち上がってSLへニコニコキラキラして手を振った。

コモンくんは光の速さで窓を開け、「お蜜ちゃん!!♡♡♡」と甘い声を出して我が世の春とばかり手を振りかえす。

ここに担当の女神がいるということは、つまりチーム歌舞伎町はここで降りるということだ。

見れば隣のボックス席にいたダイダラたちも、「っあ"ー、着いた…」と低い声を漏らしつつ荷物をまとめている。

オドロアンはバケットハットを目深に被ってマスクを着け、「いや動きたくなくて草」と外の風景に感動するでもない。


狐のお兄さん、チャッキーは流石に驚いた。

だって転生者というのは基本的にまず自分の担当する世界に一も二もなく移送されるものだから、女神の神域に降りるだなんて有り得ない。

一体何をするのか、と思いつつ。

取り敢えずチャッキーも既にこのパーティの一員なので、席を立った。


「コモン、ここで降りんのか?」


一応確認で声を掛ける。

コモンくんはキャリーケースの持ち手をカカカッ、と伸ばしながら、「?降りるぜー」と言ってスタスタ出口に向かって通路を歩いて行った。

すると。


「!?ひガッ、」

「うお、」


コモンくんの背について行ったスカウトマンのギラお兄さんが、突然席に座っていた他の転生者の髪を掴んで無理やり立たせ、ドンッ、と膝を鳩尾に突っ込んだのである。

それは暴力に慣れきった人間が唐突に振るう、後先考えない理不尽だった。

転生者は当然「〜〜〜ッ!?」と状況も把握できないまま床に四角く蹲り、目を白黒させている。

ギラお兄さんは彼の髪を掴んだままそれを無言で眺めていた。

転生者の暗い赤髪はギラお兄さんの付けた指輪に引っ掛かっていて、見るも無惨である。


「ウオビックリした。何してンだテメェ」

「え…パシリ捕まえたッス」


ダイダラが荷物を纏めながら聞けば、ギラお兄さんは半分しか空いていない目で言った。


「コイツオレらが喋ってる間横でガン付けてきたからシンプルムカついたんスよね」


ギラお兄さんは基本的にこうしてボソボソ喋る。

前髪でほとんど隠れた目で転生者を見下ろし、首を傾けるのだ。


「つか、パシリは一番先に必要だと思うんスけど。コイツで良いスか?」


彼の敬語はやる気のない古着屋の店員がかろうじて客に最低限の礼儀を払っているといった感じの敬語で、相手を敬っている感じは全くしない。

しかしこの中で一番若くて後輩なので、取り敢えず敬語は崩さなかった。

シャオさんは地球から連れてきた自分のペット、もちもちの白ウサギを抱っこしながら「ああ、良いんじゃない」とふわふわ微笑んだ。「役に立ちそうもないけど、お使いくらいはできるかも」と。


「だってよ。頑張れ」

「っあ、ちょっ、待っ、」

「あ?待たねぇよ。敬語使えガキ」


転生者は高校生だった。

顔は美男に生まれ変わらせてもらってはいるものの、地味で冴えない印象を受ける。

それは当然だった。

どんなに綺麗な顔をもらっても、綺麗な顔というのは着こなし方があるのだ。顔は産まれてからずっと付き合っていくもので、長い年月かけて体に馴染ませていくものなのである。

ちょっとずつ自分に合う服や髪型、立ち振る舞いや表情の作り方を覚えて行って我が物にしていくもの。

なので突然ポンと形を変えられても、よく見れば美男だけれどとにかく地味でパッとしない印象を受ける。

眉も整えていなければ髭も綺麗に剃れていなくて、髪型も適当に前髪をすいただけで浮き上がっていれば美男にも見えない。

自己プロデュース力のない人間が綺麗な顔を手に入れても結局こうなるのだ。

美容師が冴えない男を大変身させる動画があるが、やはり分かっている人間が手を入れないと冴えない男は冴えないままなのである。

ファッションに関しても、制服を与えられたって着崩し方を分かっていない為芋臭く見えた。


その上、転生者は顔は変えてもらっても身長だけは変えられない。

よって他の転生者たちはなんだか半端に小さかったり、逆にヒョロ長かったりとして違和感があった。

チーム歌舞伎町が立てばその違いはますます顕著になる。彼らは手足が長く顔が小さくて、全員タッパがあるのだ。

チャッキーはそれを見て、確かに…と変に納得する。

クラスの中心にいるやつって、基本デカくてスタイル良かったよなぁ、と。


顔がそこそこでも、スタイルのいい人間は女でも男でも視線を集めるものだ。こういう男たちは基本的に体がデカい。彼らの正体は「威圧感」である。

かくいうチャッキーも189センチ85キロ。

高下駄を履いているので巨大であり、スグにチーム歌舞伎町に馴染んでしまった。


というわけでギラお兄さんはパシリを確保。

本当に最悪の人間しか揃っていないのだ。

こういう調子に乗った人間が魔法の世界でギタギタに痛め付けられて悔しい思いをするのがセオリーなのだが、調子に乗っているということは調子に乗れるだけのスキルと努力が土台にある。

よって現実世界で無双していた男たちは、異世界でも当然無双するのであった。

現実というのはいやはやなんとも、本当に残酷である。


「あ。…あの!」

「ハ?」


さてそんなチーム歌舞伎町の前に、1人、金髪の転生者が立ち上がった。

彼らの蛮行を見ていた素晴らしき人格者である。

金髪は少し青ざめつつも果敢にコモンくんの前に…というのは少し怖いので、ハンパに座席から腰を浮かせて背もたれに手をついて声をかけた。

彼は身長が高い。けど、目はキョドキョド下を向いたり横を向いたりと忙しなかった。


…しかし。しかしこの金髪は、もういじめっ子に屈するのは嫌だった。

過去に彼は家族にも見放され、いじめっ子たちにも酷い目に遭わされた。

だけれど彼は生まれ変わったのだ。だから初めの一歩、怖いけれど勇気を出して仲裁に入った。

あっぱれ、素晴らしい行いである。

使命があって、それをキチンと果たそうという覚悟があり、人道というものが何かを分かっているのだ。

チーム歌舞伎町とは大違いだ。

彼は今度こそ、今世こそ、本気で人間をやり直したいと思うのだ。だから、


「嫌がってますよ。その人」


と、気丈に言った。

するとオドロアンが


「知ってますけど笑✋」


とスマホに目を落としたまま言った。

ダイダラは「おっ」と目を輝かせ、「あに(何)すんの?」と半笑いで言う。

どうしたのなろうくん。何するの。何もできないくせに!という、完全にナメた態度をとって見せるのだ。

ここには人格糸クズ系男子しか居ないので。

しかし転生者はめげず、唾液を飲み込んでから。

フッと不敵な笑みを浮かべた。

ここでボクは変わるのだ、と思い直して。


「───手を…。手を、離したらいかがですか?スグに暴力に走るなんて猿以下ですよ。それとも、それを理解する脳もな…」

「え?何?」

「え。…いや、ですから」

「何?」


が。コモンくんが突然キャリーケースから手を離し、転生者に近付いた。

そして転生者の頬をガシ!と掴んで限界まで上を向かせ、喉仏に煙草の先端を近付け…


「なに。」

「………」


と、最後にもう一度言った。

明らかに暴力に慣れている男の初動は早すぎて、突拍子もない。

暴力に慣れていない人間は如何に素晴らしい魔法が使えようと、その速度には敵わない。

やろうと思ってからやる人間と、いつの間にか思わずやってしまう上に何度もやってきた人間とは明らかな開きがあるのである。

それに転生者はアニメやドラマで陽キャくんをギャフンと言わせるシーンしか見たことがないので、口調もどこか芝居がかっていて迫力がなかった。

不自然なのだ、何もかもが。


「………ぁっ、いや、」


大前提として、この転生者はそれなりに強い。

転生前に魔法も学んできて、かなりの上級者ではある。

がしかし…対人でそれを使ったことが一度もなかった。

銃を持っていても巨大な野犬と戦うのは怖い。

頑丈な檻の中にいても目の前にサメがいれば足がすくむ。

包丁を持っていても、大きな男に怒鳴られれば体が固まる。

それと同じで、暴力に慣れていないと…いざという時に役に立たないのだ。

転生者は顔を全力で背け、半端に手を上げたまま「あっ、や、あ、」と目をうろうろ動かし始めた。

戦意を喪失したのだ。

だって少しでも動けば、タバコの先端を喉に押し付けられるから。


「何?」

「す。すいま、せ」

「正座しろー」

「あ、は、はい、」


転生者は挫けてしまって、床にのろのろと正座をした。

するとコモンくんはニコ!とかわゆく笑って。


「お前目的地に着くまで正座なー。やらなかったら殺す」

「ぇあ、」

「…ハ?笑えよ。オレらがいじめてるみたいじゃん」

「………」

「笑え」

「…ぁ。は、は…」

「ヨシ」


と言ってポンポン、と転生者の頭を撫でた。

そして全てに興味を失った顔をして、スタスタ歩いてSLを降りたのであった。

ギラお兄さんはその様子を見てもおらず、コモンくんが先に出たのでパシリのなろうくんの髪を掴んだまま次に降りる。

ダイダラは「頑張れ〜」と軽率に笑って丸い黄色のサングラスをかけながら転生者の頭をパシン!と叩いて通り過ぎていった。

転生者の目の奥の光は真っ黒になった。


オドロアンはバケットハットを深く被り直し、「腰痛😅💦」と言いながらキャリーケースの上にリュックを乗せ…転生者に目も向けず、シャオさんと共に降りていった。


「………」


SL内は、重い沈黙で満ちた。

さて、一部始終を後ろから全て見ていたチャッキーは、ジッと固まってから。

悔しくて俯いている転生者達を見て、正座している少年を見て考える。

オレ───。


(オレ、ここなら上手くやっていけるかも…!)


と。

希望に満ち溢れた目をした。

忘れるなかれ彼はダークリスト、同じ糸クズ系男子。

チャッキーは今、自分が最高に輝けて最高に馴染めそうなコミュニティを見つけることができたのだ。

ナチュラルに人を痛めつけて見下して迫害し、大輪の理不尽の花を咲かせ、シルクのごとく滑らかに暴力を振るい、人が傷付けば笑いながら見物するコミュニティを。

彼は「ワ…!」と嬉しそうに・狐のくせに尻尾をふさふさ振ってSLを降りて糸クズ達の元へ足早にカランコロンとついて行った。


なんだか自分の方が異世界転生した気分だ。

未来は希望で満ち溢れていて、生まれ変わった気分。

つまらない日常が、今、終わった音がしたのである。






「お蜜ちゃん!♡ 会いたかったぜー」

「あ、こ、コモンくん、」

「寂しかったぁ。ギュッてしていい?」


コモンくんは先刻の剣幕は何処へやら、お蜜の側に駆け寄った途端めろめろニョロニョロ嬉しそうに眉を下げた。

お蜜は顔を赤くして、もじもじ照れ照れしてから…「い、いいよ」とちいちゃな声で言う。


「ほんと?ヤじゃない?」

「う、うん」

「かわい。すき」


コモンくんはお蜜をギュッと抱きしめ、嬉しく幸せを噛み締めた。

SLから降りたギラお兄さんは「ウェッス。お疲れす京蜜さん」と少し声を張って合流し、シャオさんも「お蜜ちゃん。こんにちはぁ」とのんびりした声を出した。

そこでチャッキーはアラ?と思う。

そばに寄って気が付いた。


アレは、あの女は。

〝グズのお蜜〟ではないかと。


勇者を持っていなくて、女神として全く機能していない落ちこぼれ。

侮蔑の対象。かわゆくてまぬけでちまこいもちたぷだ。

チャッキーは昔よく彼女を虐めていたし、彼女のことが大好きだったのだ。


「………」


強烈な話が多過ぎてボーッとしていた。

そうだ。お蜜と言えば、この女しかいないじゃないか。

今更気が付いた。

コモンくんの担当女神はオレの大好きなお蜜だったのだ!


「、」


チャッキーはワッと嬉しくなって尻尾を振り、ガランッ、ガラッ、と下駄を鳴らしてニコニコワクワク走っていき。


「コンチワーッ」


元気いっぱいで挨拶をした。

彼はグズのお蜜が好きで好きで仕方がないのである。

そして一瞬でガシ!と細い首を掴んで彼女のちまこい喉を親指で指圧し、グリグリと力を込める。


「…ぁー、はは。は、はぁ…。いやぁ、ここで会えるなんて思わなかったなァ。久しぶりだネ。ちょうど弱い者イジメをしたいと思っていたところでした。助かっています。いつも笑顔にさせてくれてありがとう。話は全部聞いたよ。お前、歌舞伎町で随分たぶらかしたらしいじゃねぇか。元気そうで何より。元気ってことは、多少いじめても問題ねぇよな。オレは女の子に暴力を振るえるタイプなので、今から振います。卑劣だね」

「いや"ーっ。やっ、あ、助けてーっ」

「あ"ー、バッチン」

「ギャン!」


チャッキーは嬉しそうにニコニコ笑って、嬉しそうに彼女のもちもちのお尻を引っ叩いた。


「マァ聞けよ。全ての命って平等なんです。虫さんも動物さんもみんな尊い命なんです。平等ってことはつまり、男が女に暴力を振るっても良いってことになる。素敵だネ。だって女の子にだけ優しくするなんて不平等だから。そんなものは性差別です。男女平等、お互いに手を取って分かち合っていこうね。マァこんなもん引っ叩きたいがための屁理屈ですが。愛してるよ〜〜……」

「あ、頭がおかしい…!」

「見りゃわかんだろ」


彼は真っ黒な毒蜘蛛の目をしていた。

お蜜をいじめるのが心から嬉しいという態度で、尻尾をゆるゆる振って大はしゃぎである。


「ァ殺すぞテメェーーッッ」

「ガッ、」


真後ろに、キャリーケースを持ち上げたコモン・デスアダーに気が付かず。

コモンくんのキャリーケースは見事にチャッキーの後頭部に命中。

ゴガンと重い音が鳴って、頭蓋骨が割れる音がした。

マしかし彼は女神であり、上位存在である。

グラつきはしたものの。カァン!と下駄を履いた右足で地面を踏んで簡単に持ち直す。

足の黒く長く尖った爪が下駄に食い込んで傷を作る。

地面は少し削れて、その部分だけ浅い緑色に変わった。


「…ァ"は。は」


彼は殴られた体勢のまま…つまり首を変に傾けたまま、ボソボソ笑う。

ノーダメージ。

女神の名は伊達ではないのだ。


「いやぁ、我慢できなかった。同僚なんだよ、コイツ。ちょっと昂ってしまいました。せっかちさんなモンで。ハハ…悪かったよ、クールに行こうぜ兄弟」

「うるせぇ土下座しろァ!!!」

「声デカ。勢い恐ろし。ボクまたなんかしちゃいました?」


チャッキー・ブギーマンとお蜜。

2人は同僚だった。

チャッキーは誤って申請が通ったに関わらず、スグに出世してしまい、今やお蜜の上司である。

お蜜は自分で願書を出したに関わらず成績は常にドベ、管轄の世界は最下位を叩き出し続けている。

どんな新人女神よりも悪い成績なのだ。

当然周りの乙女、女神達はクスクス陰でお蜜を笑って揶揄った。

がしかしチャッキーはそんな女神達をかき分けて誰よりも素直に・誰によりも露骨に・誰よりも元気いっぱいに虐めてきたのである。

いつも「コンチワーッ」と弾けるような挨拶をしてもちもちコテコテいじめ、お蜜が「おおおお…」と低い声でクシクシ泣き始めればそれを眺めながらニコニコミルクティーを飲んだ。

そんな誰よりもまっすぐなチャッキーといじめられっ子のお蜜は最悪の時間を過ごした2人なのである。


「クソ!殺し損ねた」

「そりゃルーキーにゃまず無理だ。なんせオレァ女神ですんで。はは…」

「お蜜ちゃん、こっちおいで」

「う、うん…。…コモンくん、どして狐さんがいるの?」

「ごめん、オレがパーティに誘っちゃったんだ。待ってね、今追放するから…」

「マジで…!?待った、心を入れ替えます。ここで働かせてください。ここで働きたいんです」

「あっそ。じゃなろうくんと同じ枠なお前」

「女神なのに…!?」


降格してしまった。

当然だ、ハラスメントじゃ済まない蛮行を働いたのだから。

チャッキーは「キューン…」と獣人にしか出せない音を出して耳をペトッと下げる。

そして悲しげに…連れてこられたパシリのなろうくんを横目で見た。

なろうくんはまっすぐ立ったギラ兄さんの腕でクラッチバッグみたいに首を挟まれていて、腰を限界まで屈めて辛そうにしている。

しかも少しでも動けばギラ兄さんが「は?」と最深淵の瞳で見下ろすため、逃げたくても逃げられないみたいだった。


なろうくん/ブルーリスト

種族:ヒューマン 役職:占い師


「………へぇ」


スキルを見てみれば、案外面白い。

チャッキーは目を細めてなろうくんをマジマジ眺めた。

意外と良い役職だ。

環境が最悪なので絶対育たないとは思うが、良い駒ではあった。

スキルを伸ばせばかなり役に立つハズ。


「…それで?異世界生活1日目だ。なにすんの?レベル上げか?」


チャッキーはさて、コイツら何の目的があってこの神域に来たのかしら、と思う。

ここには強いモンスターなどいないし、ダンジョンもない。レベル上げには全く向かない場所だ。

だって女神のベッドタウンなのだし。

と思ったのだが。


「え?勉強。何も知らんのにレベリングしても意味無いし。どんな力が使えるかも分からんのに最初にそんなんする訳ないが笑」


しゃがんでペットボトルに口をつけ、水を飲んでいたシーシャ屋のオドロアンが言った。

ダイダラは西陽が眩しかったらしくキャップをかぶり、「マァ座学からだわな。ダイダラくんは説明書読むタイプよ」となんだか真っ当なことを言い出したのである。


「え魔法練習しないんですか?まずそれからやりたいだろ、普通…」

「いや魔法とか何も知らんのに勝手にやって事故ったらどうするん?できないこと最初からやろうとしても失敗するし無駄に時間食うだけなんだが✋」

「オレもオドロアンくんと同じかなぁ。知識付けてからやりたい。ほら、例えば手から火を出せたとしても、多分すごく熱くて怖いでしょ?手持ち花火沢山持ってるだけでも結構怖いのに、それが魔法なんて原理のわからないモノならもっとだよ。ちゃんと知ってからがいいなぁ」

「つかオレら勇者じゃないんで。冒険とかしないじゃないスか。多分そんな戦う系やってもガチ意味ないんスよ。オレら勧誘とプッシャーで来てるんで。シンプル勉強しないと普通にキツい」

「だな。つか魔法使えて強ぇヤツなら後で勧誘すれば良くねぇか。他のヤツにやらせればオレらは最低限できてりゃいいだろ。あとチートとか興味ねぇし普通に安定してぇわな」

「いやわかる笑 安定したいんだが笑。あ、コモンさん。ストーリー撮ろ。異世界ビューやばいやろ流石に」

「いいよーん」

「げ、現代っ子どもが…!」


なんて欲がないんだ。

普通はファンタジー世界にはしゃぐモノじゃないのか。

もっと異世界モンスターを探しに行きたがったり、武器を手に入れたがったり、装備を欲しがったり自分のスキルを伸ばしたがったりするモンじゃないのか。

なぜ異世界に来てまで安定を求めるのだ。

なぜ主役になりたがらないのだ…と、そこまで考えてから。


「…あ」


チャッキーは気付く。

コイツら、地球で散々主人公をやってきたから別に欲がないのか。と。


…普通人は手に入れられなかったものに執着する。

が、彼らは女からモテるのも、周りからチヤホヤされるのも一目置かれるのも、周りより優れることにも慣れている。

よって今更なのだ。

だから堅実に始めることができるし、前世の成功体験の多さから上手くやるビジョンが見えているから焦ることもない。

楽してチートに意義を感じない。

苦労して安定を求めるのだ。

今までもそうしてきたから。


確かに生まれた時から美男だったろうし、スポーツや勉強も人並み以上にできたろう。

生まれ持ってセンスがあった。けれど本人の努力とやる気と向上心がなければこうはなるまい。

彼らには彼らなりの処世術というものがあるのだ。

彼らの自信は努力の現れである。マァそれを差し引いても最悪なのだが。

あとここに集まっている大半の男がダウナー系だからというのもある。


チャッキーはそこまで言葉や映像で考え付き、自分の出した答えに満足した。

なるほど。

人種が違うとこうも違ってくるものかと面白くも思った。


彼らはお蜜について行き、森の穏やかな道なりを靴の踵を引きずるようにチンタラ歩きながら会話をしている。

なんだか宿泊研修のような空気感で、全員がリラックスしているのが伝わった。

チャッキーはそんな彼らの後ろを、ゆったり黙って着いていった。


「あのね、勉強会するところ私のお家なんだけど、だいじぶ?」

「えっ、お蜜ちゃんのお家行けんの!?♡ 嬉…。…あ、や、待って。マジで嬉しいけどオレらデカいしうるさいし邪魔かも。ほんとにお邪魔していいの?」

「うん、広いからね、平気よ。部屋数もあるし、ベッドもね、みんなの分用意したのよ」

「え、ほんと?」

「マジすか…。すませんマジなんもかんも準備してもらって。じゃオレ水回りとか掃除します。洗濯とかガチなんでもするんで」

「じゃオレメシ作るぜー。嫌いなものとかアレルギーとかあったら言ってね。お前らは文句言わずに食え」

「わ、どうしよう。お蜜ちゃんのおうちってペット大丈夫?ごめんね、オレうさぎ連れて来ちゃった…」

「平気ですよ。おうちあったかくしておきますね。うさぎ好きなのでむしろ嬉しいです。あとで撫でさせてくださいまし」

「!ありがとう。よかった、なるべく迷惑にならないようにするよ。ご厄介になります」

「ってかマジ大丈夫なん?オレらガチでうるさいが。お蜜さんアレ、マジ1人になりたい時とかあったらいつでも言って。オレら全然何日でも出てくから。男ばっかだと困ることあるだろうしガチ気にせんで✋」

「いいえそんな、お気になさらないで。賑やかなのはすごく嬉しいですから。いつも寂しかったのよ」


モテる男は気が使える。

当たり前に家事をしようとするし、厄介になるという自覚がある。家事はできなくてもやろうとするし、分からなければ確認ができた。

お蜜はそんな当たり前のことに、内心驚いていた。

今までの転生者はお礼こそ言うものの何もしようとしなかったから。

言えば多少はやるけれど雑だし、言わなければ何もしない。手伝おうとするのは最初だけ。

しかもお家に行こうと言うと必ずいやらしい想像をして露骨に態度に出すので、とても困っていたのだ。

だからお蜜は嬉しくてはしゃいだ。

1人で寂しかったのは事実だし、こんな風に喜んでくれたり気を遣ってくれるのが嬉しかった。

何も言わずに歩いているダイダラも、お蜜のちまこい鞄を先程「持つよん」と言って持ってくれている。


大抵転生者は気を使って何もしない。

成功体験の少なさや迫害を受けた経験から、相手のために何かすることを迷惑ではないかと考えるのだ。

何かして断られれば辞めればいいだけなのだが、断られるのが怖いので最初からやらない。

そういう小心さと消極性がのちのち厄介になってくるのである。


「で?お前は?」


コモンくんは振り返って、なろうくんを見た。

なろうくんはビク!として、「?え、あ」と低い音を出す。


「お前、何できんの?」

「な、なに。…な、何って。か、勝手に連れ、連れて来たの、そ、そっち…」

「え?やなの?じゃ帰れば?」

「いや、そ、…か、帰ろうと、し、したのに、」

「声ちっさ。なんて?」

「なろうくん買い出しで良くね?笑 パシリだし。別に帰りたきゃ帰れば?ってかオレらにも逆らえないのによく魔王倒すのOK出したね。自信ありすぎて草なんだが」

「だは、言えてる」

「…………」


世間一般では、これをいじめと言う。

非常に幼稚で残酷で、できない人間が全て悪いと思っている思考回路の人間しかできない仕打ちだ。

彼らは見下している人間に対して極端に共感性がないのであった。


「ッ、」

「あ。逃げた笑」

「逃げるんかーい。お前戻って来たらリンチなー!」

「そりゃ逃げるよぉ」


すると。

なろうくんは意を決したように走って逃げて行った。

多分戻ってくる頃にはレベルアップしてチートになっていて、チーム歌舞伎町をギャフンと言わせる計画を練っていることだろう。

家電で溢れた家の中で家事すらできないくらい生活能力がないのに、サバイバルができると思い込んでいるのだ。


彼らは勝手に連れて来たくせに責任を取らない。

勝手に馴染めばいいし、馴染めないなら帰れば良いと思っているからだ。

はた迷惑な話だが、しかしチャッキーも強制的に連れ去られたようなものだし、殴られたり怒鳴られたりしたけど完全に馴染んでいる。

これがきっとコミュニケーションの差なのかもしれない。

とはいえなろうくんは完全なる被害者だが。


「あ、すいません。もし合宿やるならオレ家に荷物取って来たいんですが。住み込みでやるんだろ?オレは家あるから泊まらねえけど」

「オッケー了解。歯ブラシくらいは持って来な」

「オウ。小ウサギちゃん、なんか持って来た方がいいもんある?アレなら買って来ますが」

「…いえ。その、チャッキーさん、本当に協力してくださるの?」

「?しますが…誘われたんで」

「ほんとに…」


お蜜はキラキラした目で彼を見上げた。

意地悪だしこあいし、一緒にいると大変なことだが。

彼は男だというのに異例で女神の役職を与えられる程度にはエリートであり、一流なのだ。

一発目で大当たりを引く勘の良さ、魔法的センスはズバ抜けている。

やってと言ってできないことはほとんどない。

それが魔法使いにとってどれだけ凄まじいことか。


例えば火の魔法を使える者は、基本的に火の魔法しか使えない。

応用で様々な炎を使うことはできるが強化はできても他の魔法の使用ができないのだ。

火の魔法と水の魔法が使える者。

それは地球で例えるならバイリンガルと一緒で、日本語と英語が喋れるというのに近い。

魔法の仕組みがまるで違うからだ。


語学の勉強に近いので、水の魔法ばかり練習すれば火の魔法の使い方を忘れやすくなる。

飛行魔法も空間転移も召喚魔法も、全く異なる魔法な為練習も勉強も尋常ではない。

小さくて簡単な魔法なら器用さは必要だが多種類にわたってできる場合もあるけれど…大型魔法はまず無理だ。

お蜜はこれでも女神になれる程には魔法のエキスパートなので、大きく分けて4種類の魔法が使える。

しかしチャッキーは未知数。

それはつまり、何ヶ国語でも話せる上、抜群の身体能力があるのと同じだった。

彼に苦手科目はないのである。

マァそれだけ勉強熱心な理由は「拷問と嫌がらせのレパートリーを増やす為」なので最悪なのだが。


そんなエリート中のエリートが協力してくれるのだ、お蜜は自分の存在意義を見失う程である。

それに一時的な協力ではなくパーティに入ってくれた。

別の世界の女神が他の世界に加担するなんて聞いたこともない。

コモンくんは自覚もなく、彼の素晴らしさを知らずに引き入れたのである。…と、言いたいところだが。


実はコモン・デスアダー、この男がエリートであるとわかっていた。

お蜜からもらっていたタブレットで彼の名前をすぐさま検索にかけ、経歴にザッと目を通していたのだ。

だからアレほど詳細にメンバー紹介をしたし、派手に転生者をいじめてみせた。自分達といると良いことがあるぞとアピールし続けたのだ。

しかしあからさま過ぎてもいけないので、あくまで自然に。隣のボックス席にいた友人たちにも見えないようにスマホで概要を送り、協力してもらった。

本気で断られたら諦めるつもりだったが、案外うまくいったものである。

お蜜には言わないけれど。

なんだか、自分から言うのは格好悪いから。

いつの日かそれがお蜜に自然にバレて、彼女からたくさんヨシヨシして貰いたい。そっちの方がかっこいいし嬉しいのだ。


「ンじゃ、必要なモン取ってくるわ。あとオレはたらこパスタ食いたいので作っておいてください。金は払う。狐さんはここでドロンします」

「ウーイお疲れ〜」

「ウィー」

「あ。お疲れス」

「ほな✋」

「オレ荷物運ぶの手伝う?」

「や、いいよ」


チャッキーはそう言ってペコ、と頭を下げ。

それから…


「またあとで」


と言って、バチィン!と両手を合わせた。

その瞬間。

巨大な赤い女の手が、彼の背後に…地面から生えた。

土の地面がめくれたり、枝葉が揺れることはない。

水の中からスルリと出て来たみたいに何の抵抗もなく生え出たのだ。

その赤い手は、彼の身長の倍ほどはある。

こちらに影が及ぶほどだ。


「ッ、!」


赤い女の手はユラ、と揺れて、チャッキーの体をいきなり殴るように掴んだ。

頭から叩き潰すように掴んだ為、彼の姿はすっぽり覆われて見えなくなる。

握り潰したように見えた。

事実そういう手の動きだった。

赤い女の手はそのまま、握り拳を作ったまま地面にスルンと消えていく。

その場には、何事もなかったように、すでにもう何もない。

モンスターか何かが彼をゲリラ的に襲ったようにしか見えなかった。

お蜜以外は。


「……ぅえ、あ?」

「えっ?え?え?え?な、えっ!?」


男たちは赤い女の手が出て来た瞬間ビクッと思わず手を上げて顔の前に持って来ていたり、来たるだろう衝撃音に備えて耳を塞ごうとしたポーズのまま「え何今の、」「え、なん、やばいって普通に」とお蜜を見たり、チャッキーが先ほどまで居た場所を見たりと忙しない。


「………」


しかしお蜜は心ここに在らず。

ただ茫然としてポカ…とちまい口を開けて目をパチクリさせており、暫く動かなかったが。

突然、


「…そっか!悪魔との博打に勝てば転移魔法を学ばなくても簡単にできるようになるわ。なんて頭が良いの!?」


と、巨大な声を出したのである。

興奮気味に顔を赤くして、「そんなやり方誰も思い付かないわよ!すごい、チャッキーさん!」と胸の前で手をグーにして大はしゃぎするのであった。


「………え」


一行はポカンとしてお蜜を眺める。

訳がわからないが…とにかく、何か凄いことを今チャッキーがしたのだということくらいは分かった。

それ以外は何もわからないけど。


「凄い…!みんな!凄いですよ。あんな凄い人が先生になってくれるのよ。こんなに凄いことってないわ。連れ、あ、チャ、チャッキーさんを連れて来てくれてありがとう。コモンくん大好き!」

「????オレもお蜜ちゃん大好き!!♡♡♡♡♡♡♡」

「ウワかわいっ。嬉しッ…」


お蜜は近くにいたダイダラのお腹のあたりの服をギュ!とその方向を見ずに掴んで、嬉しそうにピョコピョコ跳ねた。

本当に心から嬉しいのだろう。

宝クジに当たった人みたいに瞳孔が開いてしまっている。

ダイダラはそれをされてギュッと眉を寄せ、心底嫌そうな顔をしながら「かわい…嬉しい…心から」と低い声で言った。この男は喜び方が独特なのである。


どうやら状況から察するに、優れた魔法使いにしか分からない高度な魔法を、普通なら思いつかない方法でチャッキーが今行ってみせたらしい。

お蜜はそれに興奮しているのだ。

あの人は天才だと無邪気にはしゃいでいるのだ。


「早く行きましょう。早くね、行こうね」


スッカリテンションが上がってしまったようである。

リードを引っ張る犬みたいにダイダラの服を掴んだままズンズン先へ歩いていく。

エメラルドの森の小道、木漏れ日の中で彼女は心からの笑顔を見せている。


コモンくんはそれを横から眺め、ああ、と思った。

お蜜ちゃんがこんな風に何も考えず笑えるようになって良かったと。

転生した甲斐あったな、とも思った。

本当にかわいいとも。

子供は大嫌いだけどお蜜ちゃんとなら2人欲しいとも思ったし、両親にどうやって紹介しようとどこまでも飛躍して思った。


「子供は2人欲しい…」


しかも言った。

しかしお蜜は気付かず、未来の明るさに輝かんばかりの笑顔を前に向けて歩くのだった。




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