第10話 光、導く
「そんな運動神経があるなら、違う人生を歩いているだろう!」
「はい……だから、来てくれてよかったと泣いています」
拓海の肩に頭をのせると、「アホは叱る気にもならん」の言葉をもらう。拓海の手には血がにじみ、ふさがらない傷を見て「ごめんね」と凛は泣いていた。
「あらあら、ちゃんと、お詫びができるじゃない」
背後から聞こえる銀次郎の声で、風向きがまた変わった。
「当然、わたし達にも『ありがとう』の言葉が、もらえるわよね?」
凜がゆっくりふり返ると、京香の眉はいつもより角度がシャープだ。
「人にさんざん心配かけといて、何なのよ! だいたい、連絡が遅い。頼まれてすぐ、雪山ができる訳ないでしょう? あの崖は五mもあるのよ!」
「ちゃんと、できていたでしょう……」
「こんな天気に、何台のショベルやトラックを出したと思っているの?」
「……三台?」
「五台よ! おまけに雪の壁を用意しろとか、柔らかい雪で坂を作れとか、意味が分からない!」
「『もしかして、崖から落ちるかも』って、わたしは電話で言ったよ」
「何が、『救急車を予約してね』よ。頭がどうかしているんじゃないの?」
「予想以上に早くてよかった」
その言葉に、京香の眉の角度がさらに上がった。
「一歩間違えば、峰岸さんの家なのよ! あなたも無傷でいられる訳がない……あんな無茶なことして、どんな気持ちで……どんな気持ちで、待っていたと思っているのよ!」
京香の声が震え出すと、凛は口を返せなくなる。横転する数が命の線引きだと思った。峰岸の庭を越えれば雪道は固く、体へのダメージが大きい。新雪が車の衝撃を和らげ、雪の壁は車の向きを固定してくれた。しかし、道を照らすライトがあってこそで、花束にしこんだライトが美千代の車を誘い、凛を導いてくれた。
「無理言って、ごめんね……」
凛が顔をのぞき込むと、京香が腕の中に包み込む。命を繋いでくれたのは、「助けて」からはじまるたった一度の電話だった。
その日の夕方、直視厳禁の投光器が役目を終え、はじめの古巣、『蓮沢会』に返されたころ、南小樽病院に一台のタクシーが止まる。
車から素早く降りた人影は、玄関前に並ぶパトカーを通り抜け、一人は三階を目指し、二人は二階の集中治療室に向かう。ICUと書かれたドアの前には、警官が一人立っている。その顔を眺めながら、凛が向かい合わせに座っていた。
「いくらねばっても、面会は無理よ」
廊下を足早に歩く逢坂を見て、凛は軽く頭を下げる。うしろを追って来た山口が「はじめまして」と声をかけた。
「ようやくお会いできました。僕は南千住署の山口と言います。こちらは逢坂、まずは、ご無事で何よりです」
凛は警察手帳を数秒眺めると、山口から視線を外した。
「病室に戻らなくても、平気ですか? みなさんが心配すると思いますけど」
「『二人にしてほしい』と、言ってきたので、大丈夫です」
「なるほど、それでは、少しお時間を宜しいですか?」
「事故の話なら、何度も答えました」
「事故じゃなくて、事件のお話よ」
逢坂が横に座る気配に、凛は距離を取った。
「時間がないから、速攻で聞くわ。教えて、あなたのご両親はどこなの?」
「――奥多摩です」
「やっぱりね。山口君、タブレットの地図を出して」
「奥多摩湖の入り口近くに、冬は閉鎖されているキャンプ場があります。『レイクサイドパーク・奥多摩』だったかな。ログハウスが八頭並んでいて、確か手前から二つ目です」
「ずいぶん詳しいのね。まるであなたが埋めたみたい」
「先輩」
口を制する山口に背中を向け、逢坂が身を乗り出した。
「どうしてそこなの?」
「幼いころ、翔と一緒に行ったキャンプ場です。裏山の木に二人で名前を彫ったの。翔が、『あの木』と言っていたから、多分そこです」
「他に、どんな話をしたのか聞きたいわ」
「あの人は狂ったように泣いていたと、言っていました。どうしてバットを握っているのか、理解できていない感じだとも……」
「続けて」
「――二人とも、脈はあったそうです」
「本当に瀧川がそう言ったの?」
「はい。母親を裏口から帰したあと、車庫の車を入れ替えて両親を運んだ。意識は最後まで戻らなかったみたいで……」
凛は途中で壁に寄りかかり、ため息をつく。逢坂はメモを取る手を止め、山口が電話の相手に伝える次の言葉を待っていた。
「今日、話さないといけませんか? 被害者
「本当の話しなら、いいけど」
「調べたらいいじゃないですか」
「山中でひと夏越えているのよ。調べづらい状態を分かって話しているでしょう?」
「さあ、わたしに法医学の知識はありません」
凛はうつむき爪のささくれを気にする。
「それで、小樽旅行の準備をしながら、あなたが瀧川に指示を出したの?」
逢坂の問いに山口が「配慮ですよ」と耳打ちをする。凛は手首にぶら下がる
「ボイスレコーダー」
「風で音声が聞きづらいところがありますが、『逢坂さんに渡した方がいい』って、みんなが言うので……」
「――たいしたお嬢さんね」
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