第44話

 侯爵令嬢であるハリエットが薬物中毒でまず思い浮かぶのが『オーバードーズ』という言葉になる。


 前世、保育士として働いていたハリエットには、どうしても忘れられない教え子がいた。


 保育園に通う瑠璃ちゃんは、お兄ちゃんと瑠璃ちゃんの二人兄妹。

 お母さんはお兄ちゃんの教育にかかりきりで、瑠璃ちゃんは放置状態。

 そのうち、お母さんは自分のイライラを瑠璃ちゃんにぶつけるようになり、小学校に上がる頃には瑠璃ちゃんは度々、施設に保護されるようになったという。


 長年、保育士として働いていると、時々遊びに来てくれる教え子たちを出迎える事も多くなる。その中には瑠璃ちゃんも居て、いつでもその小さな体を抱っこしてあげたのだ。


 跡取り息子であるお兄ちゃんにお母さんは夢中、お父さんは家庭を顧みない人、誰も瑠璃ちゃんを見てくれない。

 おじいちゃん、おばあちゃんは、瑠璃ちゃんに問題があるから施設に度々行く事になっているのだと思い込んでいた。


 そんな瑠璃ちゃんは中学に上がり、三年生となって卒業を控えた頃に居なくなった。

 頭の良い瑠璃ちゃんは、とても頭の良い高校に合格したのだけど、それが理由でお母さんからまた暴力を振るわれたという。


 理由は、お兄ちゃんよりも頭の良い高校だったから。


 瑠璃ちゃんはお兄ちゃんよりもかなり頭が良い、かなりで表現するのは間違っているのかもしれない。瑠璃ちゃんは世間が言うところの天才であり、何でも一度で全てを覚えてしまう子だったのだから。


 そうして久しぶりに瑠璃ちゃんを見たのは、友達と夕食を食べに行った帰りの事で、薬の空袋が山のように放置されている夜の繁華街の広場で、瑠璃ちゃんは屈託のない様子で笑っていたのだった。


「先生、心配しないでよ、私は薬も案件(売春)もやんないから。先生が心配するような事って何もやってないよ?」


 瑠璃ちゃんは転がる薬の袋を足先で蹴飛ばしながら言い出した。


「嫌な事があり過ぎて、現実逃避っていうの?市販薬なら取り締まりも厳しくないから沢山飲んで楽しい気分になる。オーバードーズって言うんだけどさ、それは私はやんないの、だから先生は心配しないで?」


 瑠璃ちゃんは心配しないで、心配しないでと何度も言った。

 それでも先生はとっても心配だよ。

 瑠璃ちゃんをうちで引き取れないかなって考えた事もあるの。

 その後も何度か瑠璃ちゃんとは話をしたし、一緒にラーメンを食べたりした。

 そうして、ようやっと引き取る目処がついた時に、瑠璃ちゃんはいなくなってしまった。


「瑠璃は案件はやらずに運び屋をしてたからさ、そこで巧妙に細工されたバチモンを見つけて上に気に入られたとかで、引き抜きされたんだって」


 いつも瑠璃ちゃんと一緒に居た子が複雑な表情を浮かべながら言い出した。


「このゴミだらけの世界から抜け出せたのは良いのかもしれない・・だけど・・その先がこれ以上の地獄だったらと思うとすごく怖い」


 夜になると周りはいつでもゴミだらけ、山のような薬の空袋とか紙コップとか、ハンバーガー屋の空袋とか。


「先生、まだここはマシだよ。結局こいつらが飲んでいるのって市販の薬なんだもん。これが粗悪品だったらもう取り返しがつかないんだ」


 先生には瑠璃ちゃんが言う粗悪品がどんなものなのか想像もつかないけれど、色々と分からない所だらけです。


 処方箋がなければ薬は処方されないはずなのに、何故あの子たちは大量の薬を購入する事が出来るのでしょうか?


 しかも、薬局で買うようなものじゃなく、病院で処方されるような薬に見えるのだけど、何故、そんなものを大量に子供が買えるの?


 誰かがそれを売っているとして、それを取り締まる人間はいないのかしら?


「先生、深いことを先生が考える必要はないんだよ」

「世界が違うんだから、先生の居る世界は優しい世界だから大丈夫だよ?」


 瑠璃ちゃん、先生は一体どうやって死んだのか全く覚えていないのですが、流行の異世界転生とやらをしたみたいで、麻薬の患者さんたちの面倒は・・それはとりあえず置いておいて、放置された子供たちの保護から始めています。


 色々難しい事は置いておいて、とりあえず出来る事からやろうかと・・・


 目を覚ましたハリエットは、レクネンが自分の顔を覗き込んでいた事に気がついて、慌てて飛び起きたのだった。


 周りは赤ちゃんだらけ、ハリエットは第三の都市と呼ばれるツクバルで乳児院を開設している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る