第42話

 イングリッドの叔父となるイエルド・カルネウス伯爵は言った。


「大都市の中に現れるんですよ」


 何が現れるのかと、レクネンは強い疑問を抱く事になったのだが、実際に見てみれば驚くより他ない。


「日中は商人が商談をするために集まる商業地区なんですけど、夜になると集まりだすんです。身を寄せ合うようにして何をしているって、麻薬を吸っているのです」


 若い男女かと思いきや、年老いた者も子供のような年の者も居る。

 暗がりに一人、二人現れたかと思ったら、次から次に人が集まってくる。

 みすぼらしい衣服に身を包んだ男女が、恍惚とした様子で煙をはき出して、その隣では膝の間に顔を埋めた少年が、上下にグラグラ揺れ続けている。


 あっという間に百人近くの人が群れるように集まって、何をしているのかといえば麻薬を吸っているのだという。


「麻薬に詳しい者に尋ねてみたのですが、どうやらツクバルの領主は他国では売れないような失敗品を街の者に売りに出しているのだというのです。使えば依存が強く、すぐさま廃人となるような物でも、金になれば何でも良いというのでしょうね。経由地としては大きな拠点となっているので、領主ぐるみの犯行ですし、領主軍も同様に腐った状態となっています」


 集まった人々の中には赤子を連れた女もいる。

 赤子を抱いたまま麻薬を吸って恍惚となっている女を、軍服を着崩した男が声をかけていた。女は交渉をしているようで、地面に赤子を置いたまま男につい行こうとする。


「待て!待たないか!」


 赤子を放置して男について行こうとする女をレクネンが引き止めようとした所、軍服の男はあっさりと追いかけてくるレクネンを殴りつけた。

 地面に叩きつけられたレクネンが顔を上げた時には、すでに女は暗がりに連れ込まれた後だった。


 後でイエルドの配下の者が確認したところ、男について行った女は喉を切り裂かれて殺されていたらしい。


 麻薬欲しさで集まる群れの周囲には、己の体を売る人間が増えていく。領兵が楽しむだけ楽しんでそのまま何も払わない事も多いし、殺してしまう事も良くあるのだという。


 軍も領主も腐っているので、取り締まる人間が存在しない。大都市ツクバルには正義というものが残っていない事から、ここには間違いなく麻薬の隠し倉庫があるだろうとイエルドは言い切った。


 拾った赤子はそのまま捨てる事が出来ず、ハリエットが待っている宿屋に連れて帰ると、

「まあ!まあ!まあ!まあ!完全なる栄養失調状態じゃないですか!可哀想に!今すぐ綺麗にしてあげますからねー」

いつもであれば、推しは尊いとか大騒ぎをするハリエットが、赤子をひったくるようにして連れて行ってしまったのだった。


 赤子の名前は拾ってきたレクネンが付ける事にした、名前は『ルーリ』南ベルディフ語で月を意味する。大きな満月が煌々と輝く夜に捨てられた子だから、月の慈悲が得られるようにと願って名付けると、

「まあ!まあ!まあ!まあ!」

ハリエットが感極まった声をあげた。


「やっぱり殿下はイングリッド様の事が忘れられないのですね〜」

「何故?そこでイングリッドの名前が出てくる?」


「だってイングリッド様は月の光を溶かし込んだような銀色の髪に妖精のように可憐で美しい面立ちをされているでしょう?それで皆さま、月の妖精と呼んでいたではありませんか?」


「・・・・・」


 正直にいうと、レクネンはこの時までイングリットのイの字すら思い浮かんでいなかった。


「ルリちゃん、可愛い名前を貰ってよかったわねぇ!」

 湯浴みをした赤ん坊を抱いて頬ずりするハリエットは嬉しそうなのだが、その発音は頂けない。


「ハリエット、ルリではなくルーリだ、ルリだとカンベリア語でカエルちゃんになってしまうぞ?」

「まあ!カンベリア語ではカエル?それじゃあ気をつけなくちゃですわね!」


 そんな事を言いながらも、ハリエットはたびたび赤子を、

「私の可愛いカエル(ルリ)ちゃん!」 

と呼ぶのだった。


 赤子を拾った事をイエルドはもちろん良い顔などしなかったのだが、


「あら!伯爵さま!ケツの穴の小さな事など言わないで下さいます?この子供達はエヴォカリ王国の宝なのですよ!この子たちがここで死んでしまえば、この国に収められる税収はゼロとなりますけど、この子達が成長して大金を稼ぐようになれば、どんどんと王国の懐も潤う事になりますのよ!」


予想以上にハリエットが憤慨した様子で言い出した。


「子供を大切しない国に未来などありません、将来、国を動かしていく優秀な人材がなければ国の発展はありませんのよ!」


 そう断言したハリエットは、次から次へと赤ちゃんを拾って来る事になるのだった。


 体を売って糧とする女性は妊娠する事も多く、例え無事に産み落とせたとしても、きちんと育てる事など出来やしない。


 ツクバルにある教会でも妊婦や子供の保護に出ているのだが、ある程度の年齢となった子供の面倒だけで手一杯で、赤子の世話までは到底手が回らないのだという。


「であるのなら、私は『乳児院』をツクバルに建てましょう!」


 レクネンがオムツを変えるのも上手になってきた頃、ハリエットは意気揚々と潰れた商家を一件買って帰ってきた。

 教会で紹介してもらって、乳児院で働く女性を雇う事としたらしい。


「手持ちじゃ足らなそうだから、お父様に融資を頼みましょう」


 そう言いながらハリエットが便箋をテーブルまで運んで来たので、レクネンはその便箋をハリエットから取り上げた。


 琥珀の瞳をキョトンとさせて見上げてくるハリエットを見下ろしながら、

「乳児院を運営するための資金なら私が用意しよう」

とレクネンは言い切った。


「殿下が?」

「うん、お金はある所から取ってくるからいいよ」

「あるって何処から?」

「ロメオ・ツクバルという伯爵からさ」


 この頃にはすっかりとレクネンは腹を決めていた。


「僕は王太子だよ?」

「今はそうかもしれませんが?」

「だったらさ、これほど悪政を敷いている伯爵を粛清しても何の問題もないだろう?」


 イエルド経由で叔父であるエルランドに相談は逐一しており、王国軍第二師団を送ってもらう事になったのだ。


 帝国との戦いがある為、送ってもらうのは二百名からなる部隊となるけれど、精鋭で揃えておいたと叔父からの手紙には書いてあった。


 思えば叔父との交流が増えたのも、王宮を出た後からの事になる。

 父王が叔父を嫌っているという事もあって、どうしても疎遠になってしまったのだが、王妃(はは)が次の王位は叔父に継がせると決めたのだ。であれば、叔父が統治をしやすいようにゴミ掃除はやりきろう。


 そこからは血みどろの祭典のようなものになったのは言うまでもない事だった。

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