第39話

 姪のイングリッドが王宮から帰って来たのかと思いきや、姪ではなく、オーグレーン侯爵家の令嬢であるハリエットがレクネン殿下を連れてやって来たのだ。


 何故?どうして?


 殿下は護衛の者を一人もつけておらず、ハリエットは、

「すぐに人払いを」

と言い出した為、ただ事ではない様子に驚きながらもイエルドは自分の執務室に二人を招き入れたのだった。


 二人に紅茶と焼き菓子を用意してソファに座る。

 伯爵家の執務室は屋敷の一番奥にあり、襲撃を受けた際には一番安全な場所となるし、逃げ出す際には隠し通路もある為、都合も良い。


 帝国の本隊が動いたという話は王家も手に入れている事と思うのだが、イエルドも別のルートからすでに情報を手に入れている。


 帝国は八万を揃えるというが、兵の数では王国は負ける事になる。兵の数で負けたとしても、開発に成功しそうだという『火薬』なるものが我が国の戦力になりそうだという話は姪のイングリッドから話として聞いていた。


 至急、水路を使って輜重を前線に運ぶのか、それとも精製に成功した『火薬』なるものを運ぶのか?商会の船をどれだけ今は王家のために動かせるのか、頭の中で勘定をしていると、目の前のソファに座ったレクネン王子が、

「伯爵、我が国は麻薬によって汚染をされているような状態だ」

と、言い出したのだった。


「ランプル列島から密輸されている事実もあるという、そのランプル列島の麻薬と帝国産の魔鉱石で出来た麻薬を混在させて、我が国でばら撒いているという」


 帝国が皇帝を皇都に置いたまま帝国軍本隊を動かした事により、エヴォカリ王国の国境に八万の兵士が集まると言っている今、この時に麻薬ですか?


 思わず呆れた声を上げそうになったイエルドは自分の唇を噛みながら言葉を飲み込んだ。


「母上に聞いたのだが、帝国の特別な麻薬には『賢者の石』が使われているという。チヤカリアが守り続けた、凶王アドリアヌスを破滅に追い込んだというあの『賢者の石』が使われた。賢者の石は洗脳する作用があるという、その洗脳する力により、かつて石の力によって国は滅び、チヤカリアは人の手に届かぬところへ隠す事を決意した」


 王子は金色の瞳を輝かせながら言い出した。


「洗脳を可能とする石が砕かれ我が国で利用されようとしているのなら、すでに帝国でも使われているのではないだろうか?」


「あ・・ああー〜」


 ハリエットは何かに気がついた様子で間抜けな声を上げると、顔を真っ赤にして両手で自分の口元を慌てた様子で押さえる。


 後継者争いで混乱していた帝国が何故、急に落ち着いたのか?名前も上がらなかった帝国のアリヴィアン皇子が突如、台頭する事になったのか。


 ゲームのストーリーの通りに進んでいるだけだと考えていたけれど、そのアリヴィアン皇子が賢者の石を手に入れていたとしたら?

 皇子が賢者の石を使ってすでに皇帝を洗脳しているとしたらどうだろう?


「おそらく、近々帝国は虎の子の本隊を皇帝の意思とは反してでも動かす事になるだろう。我が国にここまで手を出しているという事は、敵は我が国を落とす自信を持っているに違いない。すでにオーバリー子爵とやらが十分な働きをしているというし、そのオーバリーとやらは水路を使って麻薬を運んでいたと思うのだが、その事について伯爵は思い当たるところはないだろうか?」


 イエルドはごくりと唾を飲み込みながら、膝の上に置いた自分の両手を力を込めて握りしめた。


「殿下は、例えば私が子爵の動きを知っていたとして、今この状況でどうされるつもりなのです?」


「国内を早々に安定させる為にも、麻薬を輸送する輸送路を潰してしまいたい。母が言うには父の代になってから目立つ形で麻薬が横行し出したという。王のお墨付きで麻薬を流通させていると考えている者の目を覚ましてしまいたい。近々父王は退く事になるだろうからな」


「では、次の王位は殿下がお継ぎになると?」

「いや、叔父上が継ぐことになるだろう」


 レクネンは若々しい顔に朗らかな笑みを浮かべながら、

「私は廃嫡が決定でね、ここにいるハリエット嬢に養ってもらうつもりでいるのだよ」

と、言い出したので、イエルドはソファからずり落ちそうになってしまった。


「殿下が廃嫡ですか?」

「そうだ、だから護衛の一人もつけていないだろう?」


 さっぱりとした様子で誰もいない後を振り返ると、イエルドの方へ顔を戻したレクネンは真剣な眼差しを前へ向けた。


「私は自分なりに執務というものを行っていたのだが、ここまで我が国が窮地に陥っているとは思いもしなかった。帝国を迎え撃つために叔父上が前線に出る事になるとは思うが、叔父上が負けることはないと私は信じている。であるのならば、廃嫡予定の私は国内のゴミ掃除に勤しみたいと考えているのだ」


「それで・・廃嫡後はハリエット嬢が殿下を養うつもりだと?」


「ええ!私も(地味なりに)事業は起こしているので、殿下一人を養うくらい問題などありません!都合が悪い事があれば(ズッ友である)エルランド様がなんとかしてくれますでしょう!」


「王妃が何と言うか・・・」

「その母上が決定したことが私の廃嫡なのだ」


 王妃ペルニアはレクネンに対して廃嫡すると断言したわけではない。父と母の間で迷い続けて結局選択を先延ばしとした王子に対して、このままだと廃嫡は間違いなしと脅したところ、ハリエットと話している間にレクネンの頭の中では廃嫡決定という事になってしまったらしい。


 正直に言って廃嫡して路頭に迷う事になったら困るが、ハリエットが養ってくれるというのなら問題ない。

 何でも悪(太ったおじさん)の暴挙は許さないと断言しているのだから、侯爵家の力を使って最後まで守ってくれるという事なのだろう。


「私には何の力もないが、発表前となる今だけは、王太子という肩書きがついている。この肩書を使って民を導きたいと考えているのだ」


 どうやって導くのだという疑問がイエルドの頭の中に浮かぶけれど、バカと権力は使い用。帝国軍の動きを察知した殿下の慧眼は捨てたものではない。


「殿下はアハティアラの賢者の話を聞いたことがありますか?」

「アハティアラの賢者?」

「私は聞いた事がありませんけど」


 まだ十六歳の二人がキョトンとした様子で顔を見合わせる姿を微笑ましい様子で見守りながら、イエルドは膝の上に手を置いて話し始めた。


「これはアハティアラ公爵家に嫁いだ姉から聞いた話なのですが」


 伯爵が話す内容が二人の好奇心を刺激したのは言うまでもない。そうして伯爵の話からリンドロースは長距離移動を強行される結果となるのだが、そんな事は今の三人が知るわけがないのだった。


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