第35話

 エイナルが言うには、ヴァルベリー平原にはすでに多くの工兵を投入しているのだという。工兵は生まれた領地から逃げ出した身元なしと呼ばれる不法滞在者で、戦に勝てば、アハティアラの身分を家族親族も含めて与えると豪語をしているという。


「なんと勝手な事をと思われるかもしれませんが、我が姪はそこについてはエルランド様より全権を委任されているとのこと。私は何の問題もないと考えております」


 胸を張って答えるエイナルを見て、ウルリックは苦笑を浮かべた。

 アハティアラ一族だけで八万の帝国兵を退ける事が出来たなら、王家は身元なしを公爵領の民として何人でも認めるだろう。


 贅沢に溺れた貴族は領地に重税をかけるだけかけて、逃げ出した民はそのまま放置されるのが世の中の常というような状態だ。


 豊かな土地を求めて、多くの民がアハティアラを目指すとも話に聞いていたが、流浪の民が戦力となるのなら、これほど都合の良い事はない。


 ふと顔を上げると、イングリッドが演説中に呑気に質問をしてきた少年に手を振っていた。親しげに笑顔を浮かべる少年を目を細めて嬉しそうに見つめていたエイナルが、

「あれは私の息子なのですよ」

と、言い出した。


「ああー〜」


 ウルリックは思わず自分の髪の毛を掻きむしった。

「やはり仕込みだったのか・・・」

 緊迫したあの場で呑気に質問など、どんなバカでもする事は出来ない。しかも、皆が疑問に思っているところを突いた質問で、周囲の空気がガラリと変わったのだ。


 おそらくイングリッドはこの戦争に沢山の仕込みをしているのに違いない。

 王弟エルランドは今までにない戦い方を王国軍に示してきたが、イングリッドは、エルランドのように大軍を動かして敵を蹴散らすという正攻法は使わないのだろう。


「おおおおお〜・・楽しみになってきたー〜!」


 これぞ武者震いという感じで全身をブルブルさせると、こちらの方へ戻ってきたイングリッドと共に、指揮官が集まる天幕へと移動することになったのだった。


                ◇◇◇


 イングリッドは前世、中南米を拠点として麻薬の売人をしていたのだが、ブラジルのノルデスチに滞在中、一人の見るからに普通のおじさんを紹介されたのだった。


「はじめまして〜!君が噂の日本人なんだね!こんなに若い子が仲買人だと聞いて初めは驚いたけど、君が優秀だって事はマルコスからも聞いているよ〜!よろしくね〜!」


 このおじさん、コロンビアの麻薬カルテルの人間だったのだが、コロンビア政府とアメリカが共同で行った麻薬掃討作戦以降、国を出てフリーランスで働いていると言う。


 彼は麻薬のカルテルの抗争に関わる事を得意としている人であり、ノルデスチに来たのも、増えすぎたギャング団を二つもしくは三つ程度にまでまとめるオーダーを受けたからだ。


「ギャング同士の抗争は戦争と同じ事だよ?一に情報、二に情報、これを上手く使えばこちらの戦力は相手を上回る必要は全くないの。アメリカ軍並みの物量を持って来られたら無理だけど、普通はそんな事ないからね」


 おじさんはこんな事を言っていた。


「まずは言葉が大事だよ?敵対組織の要となる人物がこちら側に転ぶように雄弁に言葉を尽くすんだ。君はそういうやり方を覚えるのが得意だと僕は聞いている」


 おじさんの話術は確かに巧みだったけど、詐欺師とかそういう奴らが使う話術ではなく、言ってみれば政治家のような、時には底知れないカリスマ性を発揮してトップだけでなく下々の者の心までガッチリ掴むのがおじさん流。


「それでもどうしても自分の忠義を貫くと相手が主張するのなら諦めようね。そいつは殺す事になったとしても、他の奴はなるべく殺さない、下っ端も殺さない。中途半端な地位にいて、欲だけ肥大した無能な奴は何かしらの理由をつけて殺して排除しなさい。そうすると組織の浄化作用が進む事になるからね」


 おじさんは人を見る目がコロンビアで一番と言われるような人だった。だからこそ、ここまで生き残ることが出来たのだという。


 中肉中背のおじさんは、髪の毛も少し禿げ上がっているし、黒縁の眼鏡をかけているし、昼間っからビール片手にポーカーをしているように見える普通のおじさんだ。そのおじさんがどうやら癌にかかって治る見込みはないという事で、おじさんの後継者としてあてがわれる事になったのが、まだまだ年も若い日本人。


 用心深くて頭が物凄く良いこの日本人は、一を言えば十を理解するタイプ。一度読めば全てを暗記する事が出来るし、数字にも強い。


 人を見る目とその策謀で右に出るものはいないと言われるおじさんについて、ノルデスチのギャング団が次々と吸収されていく様を隣で見ながら、おじさんのノウハウを教えてもらう事になったわけだ。


 ちなみに、最初の頃は、この日本人は全くアテにはされていなかった。

 おじさんの技術が特殊すぎるので、誰も引き継ぐ事が出来なかったから、日本人に白羽の矢が立つ事になっただけ。


 末期癌のおじさんが死んだという知らせがそのうち届いたけれど、どうやらおじさんは癌ではなくて、銃撃戦の最中に女の子を庇って死んだらしい。


 この世界では病気で死ぬなんて大往生をする事はほとんどない、銃弾を受けて死ぬのがほとんどだ。女の子を庇ってという所がおじさんらしいけれど、きっと、病院のベッドの上で死ぬよりも銃弾を浴びて死んだ方が良いとでも思ったのだろう。

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