第32話

 歴史あるアハティアラ公爵家はエヴォカリ王国が建国をする以前からこの地に住まう一族であり、その先祖は、大陸統一の一歩手前までいった凶王アドリアヌスの忠実な家臣だったとも言われている。


 樽のように丸々太ったマンフレットの兄が先代当主であり、その当主の一人息子がイングリッドの父となる。


 マンフレットの甥は都会人らしく見かけは素晴らしい若者に育ったのだが、今の国王陛下と男爵令嬢を取り合って、恋の鞘当てを繰り返したという過去がある。


次期公爵にしては、中身があまりにも残念すぎる男だった。


そのため、才女としても有名だったカルネウス伯爵家の娘を伴侶として迎える事にしたのだが、甥は恋した一人の女性だけに固執し続けた。


 甥の正式な妻が亡くなった一年後、マンフレットの兄も病に倒れた。公爵の地位を息子に譲った兄はマンフレットの手を握りながら、

「領地だけはお前が守れ、ここはエヴォカリ王国の守りの要でもある場所なのだ。息子には手出し出来ないように差配はしている。だからお前が・・お前が公爵領を守るんだ」

と言って事切れた。


 幸いにも都会が大好きな甥は領地にはほとんど顔を出さない。華美な生活を送る関係から借金が嵩んで仕方なかったのだが、愛する女を後添いとして公爵家に引き入れてからは、生活を改めたからか、王都での事業が成功したからか、領地に対して無理な税収の引き上げを求める事がなくなった。


 都会でうまいこと金を作り出しているのだろうと思っていたら、兄から排除された遊び人の側近達に唆され、麻薬に手を出していたというのだから呆れ返る。


「実はそれだけじゃなくてですね」


紅茶を飲んで喉を潤していたイングリッドは金色の瞳を伏せながら言い出した。


「おそらくこちらの方でも、帝国の軍が国境に集まり始めているという話が来ているとは思いますが・・・」


 確かに、帝国側は国境周辺の領主軍を集め始めているのは情報として手に入れている。


「王家筋からの情報では、帝国は我が国を征服するために帝国の本隊六万を移動。総指揮はアリヴィアン皇子であり、最終的には八万の兵士が揃うだろうと予想されています」


「え・・本隊・・」

「嘘でしょう・・」


 ここ数年で周辺諸国を飲み込み、一気に国土を拡大した帝国は一枚岩とはいえない状況もあって、皇帝を守る為という理由から、皇帝が動かない限り、本隊は皇都から動かさないというのが暗黙の了解でもあったのだ。


「借金の肩代わりとして、男爵及び子爵達は帝国に管轄地を譲渡している状態、更には現公爵家当主が帝国の麻薬事業に一枚噛んでいるという事からも分かるとおり、帝国はアハティアラ公爵領をすでに自国の領土のように考えている事でしょう」


「あんのクソ野郎!ふざけんな!先祖代々、この地を守り続けてきた我々の意志を何と考えているんだ!」


怒りに震えながら立ち上がるマンフレットを見上げもせずに、頭を抱えたエイナルが呻くように言い出した。


「公爵領の隅から隅までかき集めたとしても、領兵は二万が良いところ。王弟エルランド様が駆けつけてくれるだろうが、かなりまずい状況なんじゃないのか・・・」


「王弟エルランド様は我が公爵領には駆けつけてくれたとしても、我々には破滅しかありません」


 気が遠くなるような事を言い出したイングリッドは、立ったままの状態だったマンフレットに周辺地図を用意させて、エイナルが用意したペンで丸印を書き入れていく。


「帝国軍が来ようが来なかろうが、アハティアラ公爵家は一族郎党赤子に至るまで斬首刑が決定も同じこと。自領内で麻薬を精製しているという事はそこまでの罪になるということは分かりますよね?だからね、せめて降爵、領地の一部を返還、一族も領民も処刑されずに挽回する為には、公爵領の人間だけで、帝国八万を退ける必要があるんですよ」


 帝国八万を退けるとか・・む・・む・・無理〜!と言いたいのは山々だけれども、そこまでやらなければ、王家も王妃も許してはくれないだろう。


「大丈夫!我がアハティアラにはリンドロースの家があるから!勝機は我にあり!ですよ!」


 何故、ここで執事のリンドロースが出てくるのか理解できなかったけれど、リンドロースの家は凶王アドリアヌスの時代から続いた薬師の家でもある。何か理由があるのかもしれない。

 

「それでは、まずは、アハティアラの裏切り者どもを捕まえるのは当たり前の事なんですけど、八万の帝国軍を二万のアハティアラ公爵軍で迎え撃つ、そのゲリラ戦への持ち込み方について説明します〜」


 ペンを置いて、ニカリと笑うイングリッドを見つめたエイナルは、年齢の割には若々しく見える中性的な顔をくちゃくちゃに顰めて言い出した。


「怖い、怖い、怖い、怖い、絶対に君はイングリッドじゃない!見かけはイングリッドだけど、中身は絶対にイングリッドじゃないよ!中身がイングリッドだったら帝国軍八万を前にして、そんな余裕の笑顔を浮かべてなんかいられないって!」


「ハッ!確かに!」


 マンフレットも、その太った体をエイナルの隣に収めながら、引き攣った声で言い出した。


「さっきから令嬢が言うにはおかしい事ばかり言っているよ!到着した早々、リンドロースを蹴り飛ばしていたし!中身が絶対にイングリッドじゃない!悪魔か何かが入っているんじゃないのか!」


「悪魔?ハハハハハハハハッ!超言い得て妙な感じなんだけどー〜!」


 淑女の中の淑女だったイングリッドは毒を盛られて死んだ。

 多分、死んだのだと思う。

 家族にも見放されて、孤独の中でどんどん追い込まれ、婚約者候補にも冷たい態度を取られ、最後には毒を盛られたイングリッドが絶望したのは間違いない。


「こうなった経緯はこれから説明すっけど・・」

「令嬢が説明すっけどなんて言わないでしょ!」

「大丈夫!ゲリラ戦は得意だから!」

「だからげりらせんってなに?なんなの?」


 色々と混乱しきりの親子だったけれど、後にイングリッドの存在を下にも置かぬ扱いとするし、過激なイングリッドの言いなり状態にもなるのだった。

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