第10話 かなしみは隠されて③

 ――そんな旅がさらに十日ほど過ぎると隠者の道ハーミットレーン金の道ゴルトレーンへと合流する。

 そこからすぐに宿場町があり王都までは乗合馬車が出ているんだけど……俺とメルトリアは馬を借りることにした。

 理由のひとつはメルトリアがどの程度馬に乗れるか見るため、もうひとつはどうやら魔物が出るらしいという噂を聞いたからだ。

「せっかくだし討伐していきましょ。報酬が出るみたいだし」

 そう言ったのはメルトリアである。

「俺としては異論はないけど――もしかしてギルドで請けるのか?」

「そうだけど……どうして?」

「……ん、まあ……。……とりあえず行こうか」

 俺は苦笑して踏み固められた目抜き通りを歩き出す。

 勇者としての報酬はそれなりに出たし、ずっと魔物討伐に駆り出されていたんで懐はだいぶ温かいけど――理由はそれじゃない。

 俺は町のギルド――つまり旅人が依頼を受けたりして路銀を稼げるよう斡旋を行っている組織へと足を運んだ。

 煉瓦造りのどっしりした建物がこの町のギルドだ。

 一般民の依頼を集めて旅人がそれを請ける仕組みで、依頼する側は掲載料と報酬が。斡旋してもらう側は登録が必須なため登録料と一年ごとの更新料がかかってくる。

 大きな町だとかなりの数の依頼があるし、その地域の情勢なんかも読み取れたりするんで俺たち勇者一行もよく立ち寄ったっけ。

 ……さて、そのギルド。

 木製の扉は磨かれて黒光りしており、俺はゆっくりと押し開けた。

 すぐに広間があって、左手には依頼が貼り出された掲示板が並び、右手が受付だ。

 正面は扉で、その奥は大きな依頼や個人情報が関わる依頼について交渉するための個室がいくつか用意されている。

「いらっしゃいまー……って、勇者様⁉」

 そこで早速声をかけてきたのは受付嬢のエルダだった。

 黒い大きなリボンで太い三つ編みにした赤髪と、少し吊り上がった溌剌とした赤目の……たしか十八歳かそこらになる少女だ。

 彼女の声に途端にギルドにいた旅人たちがざわついたので、俺は首を竦めた。

「……久し振りだなエルダ。ちょっと声を抑えてくれると嬉しい」

「そっか……アルトスフェンってやっぱり勇者様なのね」

 挨拶した俺の一歩後ろ、メルトリアが小声で笑う。

「やっぱりって――なんか同じこと前にも言わなかったか?」

 俺が呆れながら返すと、エルダが受付の向こうから駆け寄ってきて俺の腕に腕を絡ませた。

「嬉しい、お会いしたかったんです! 来るならもっとおめかししておいたのに!」

「……お、おう……」

 彼女の両親もギルド員で……エルダとは幼い頃から何度も顔を合わせたことがあるけど、彼女はいつでもこんな感じだ。

 小さい頃は可愛いなーくらいに思っていたものの、なんというか……この歳になっても変わらないのは俺にとってちょっとこう……勢いに耐えられない。

 俺の見た目は変わらず二十歳そこそこ、どうやら中身もあまり成長していないらしいとはいえ、六十歳は年上なんだけどな……。

「ねぇ勇者様! 今日は町に泊まっていかれますか? 美味しいお店ができたんです! まだ昼前だし、ゆっくりしていきませんか?」

「ふうん、なるほど……それで……」

 察してくれたらしいメルトリアがクスクスと笑うと、エルダは驚いた顔をした。

「えっ……女連れ⁉」

「言い方……」

 思わず突っ込んだ俺と笑うメルトリアを交互に見たエルダは、突如俺の腕を放してメルトリアの前に歩み出た。

 厚手の黒いスカートの裾は大きなひだになっていて、彼女の動きに合わせてヒラヒラと揺れている。

 その裾を摘まんだ彼女は軽く膝を折って優雅な……というより一生懸命覚えました! って感じの礼をした。

「初めまして。私、生まれたときから勇者様と仲良くさせていただいてますエルダっていいます!」

「…………えっ?」

 翡翠色の双眸を瞬くメルトリアに、エルダはさらに畳みかけた。

「旅人さん、こちらのギルドは初めてですね? ご用事は? ギルドへの登録はされてますか? なにより勇者様とはどういう関係?」

 すると我に返ったらしいメルトリアはどういうわけか嬉しそうに微笑んだ。

「……ごめんなさい名乗りもしないで。メルトリアといいます。よろしくねエルダ! ふふ、綺麗な赤い髪ね、とても素敵――羨ましいな」

「は……?」

 眉をひそめたのはエルダだけど……俺は思わずポカンと口を開けてしまった。

 エルダの勢いに負けていないというか……うまく力をいなしたというか。

「元気もいいし、このギルドは毎日明るいことでしょうね。きっと貴女に会いに来る旅人も多いんだろうな。今日は魔物が出るって聞いて討伐依頼がないか確認しにきたの。登録は済んでいるわ、これが登録証よ。アル……勇者様とは用があって一緒にいるんだけど……中身・・は内緒にしてね」

「中身? ……待っていてください。確認してくるから――」

 にこにこ返されるとは思っていなかったのだろう。

 エルダは面食らった顔をして使い古した登録証を受け取ると……眉を寄せてぱたぱたと受付の向こう側へと駆けていく。

 ちなみに中身っていうのは登録証に入ったメルトリアの個人情報のことだと思われる。

 当然そう簡単に漏らすものじゃないからメルトリアなりの冗談ってところかもな――。

 考えながら……俺はぼやいた。

「……俺、ちょっと尊敬したよメルトリア。エルダの扱い完璧じゃないか……」

「ふふ、そう? 可愛いなあ。私もあんな年頃があったなあ」

「なに言ってるんだよ……数年前だろ……」

 呆れる俺にメルトリアはますます破顔する。

「ねえアルトスフェン。決めたわ。貴方の覚えていたい人たちを私も覚えていることにする!」

「……おう?」

「いつか貴方がその人を葬送しても……私も一緒に覚えているから寂しくないって寸法よ。きっと貴方が貴方を遺す手伝いになるわ。一石二鳥よね?」

「……お、おう……?」

 なんだ、なにをどうしたらそんな発想になるんだ?

 俺がよくわからず応えると……メルトリアは上機嫌で続けた。

「あのね、考えてたんだ。アルトスフェンが寂しくないようにするには、どうしたらいいのかなって。……エルダは真っ直ぐで良い子よ。ああいう子って癒されると思わない? だから私も真っ直ぐあればいいんだわ! そうよね?」

「……え、と」

 ……メルトリアの予想外の言葉に自分の言葉がつかえ、俺は目を瞠る。

 本気で言っているのがわかったからだ。

 それは――でも。

「メルトリア、俺は……」

 もしメルトリアがそうあったとしても、俺は。

 彼女が星になるそのとき、つらくなるに決まってる――覚えていたい人々の記憶も、メルトリアが星になればまた……俺だけの記憶になる。

 まだ十日といえど、これだけ関わってしまっているんだ。もうそれは避けられない。

 そう考えて、ふと気付く。


 彼女は「私を忘れないで」とは言わないことに。


 まるで自分の存在がなくならないかのように話すのは、彼女の『家族』である龍族が永きを生きるが故なのかもな……。

 そう。ずっと覚えていてくれる家族がいるのだ、メルトリアには。

 ――そこに戻ってきたエルダは俯いて難しい顔をしていた。

「確かに登録はありました。……でも……」

「……なにか問題があったのか?」

 考えていても沈むだけだ。

 俺は頭を振って気持ちを切り換え、エルダに聞き返す。

 エルダは俺とメルトリアを改めて見詰めたあとで首を振った。

「ううん。そうじゃないんですけど……というか個人情報ですよ勇者様? 万が一問題があってもギルド員として教えられないです、ごめんなさい」

「ふふ、ありがとうエルダ。やっぱり思ったとおり貴女は良い子ね!」

 エルダの言葉に微笑むメルトリアはそう言って使い古した登録証を受け取る。

 当のエルダはメルトリアから視線を逸らさず……やがて肩を落とした。

「……登録証には旅人さんの情報が入っていて特殊な方法で中身を見る仕組みですが――普通はわざわざ中身を確認したりしません。それはわかっていますか? 本物の登録証かどうか、更新されているかどうかを見るだけなら、中身を見ずとも簡単にできますから。……貴女が勇者様と知り合いだから特別に忠告してあげます。二度と確認させたりしないほうがいいですよ」

「え? なんの話だ? ……やっぱりどこぞの貴族様だったり?」

 俺が言うと、メルトリアは人さし指を立てて口元に当てた。

「秘密が多いほうが素敵な女性だと思わない?」

「ええ……」

「……なんの意図があるかはわかりませんけど勇者様への悪意がないのは理解しました。――先程のご質問の魔物討伐依頼は確かに承っています。優先順位はそう高くないのですが……お持ちしますね」

 エルダは淡々と言うと奥に引っ込んでしまう。

 俺は鮮やかな赤髪を見送り……首を傾げた。

「なあメルトリア。それって前に言ってた『いまは話せない秘密』か?」

「んー、それに近いかもしれない。でも少し違うかな。……気にしてくれるの?」

 翡翠色の双眸を細める彼女に俺は肩を竦めてみせる。

「気にするなっていうほうが難しくないか?」

 メルトリアは「あはは」と声を立てて笑った。


 ――まあ、龍族に会えば教えてくれるんだろうな。

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