第8話 かなしみは隠されて①

「さて、お手並み拝見といきますか」

 そう言った俺に間を置かずして双剣を抜いたメルトリアは唇を尖らせた。

 隠者の道ハーミットレーンは背の高い草や低木が生い茂る広い草原で、ハグレの魔物たちが繁殖するのにはもってこいの場所だ。

 いまのところ人族やエルフ族の生存圏を脅かすほどではないが、こうやって・・・・・旅人を獲物とみなし襲うこともある。

「まさかひとりで戦わせるつもり……じゃないわよね、アルトスフェン」

「旅の道連れの強さを確認するのも大事だぞ、メルトリア」

「……む。アルトスフェンの強さも見てみたいわ」

「じゃあ順番にやろうか」

 笑う俺の前方、草の間から飛び出してきたのは鼻先から鋭い刃が上へと伸びた四足歩行の獣型。

 大きさは俺よりひと回り小さいくらいだ。

 頭を振ることで鼻先の刃を剣と同じように使う魔物だけど、動きが遅く比較的相手にしやすい。

 ただし群れを成せば防衛手段を持たない村を壊滅させるほどの脅威となるため、繁殖状況には注意しておくべきだろう。

 数は四体……さて、メルトリアはどう動くか。

 そのとき、考えていた俺の隣で彼女は魔物の名前を小さく呟いた。

剣狼けんろう……」

 同時にメルトリアの表情が曇る。

 俺は背負っていた両手剣を抜いて構えた。

「難しそうか?」

「……え? あ、ごめんなさい。あんまりいい思い出がないだけ。これくらいなら楽勝よ?」

 メルトリアは肩を跳ねさせると、気を取り直したのか唇の端を引き上げて微笑んでみせる。

 それから爪先で足下をトントン、と叩くと、滑るように踏み出した。


 ――速い。


 瞬時に距離を詰め、左右の剣を閃かせることで先頭の魔物の鼻先を斬った彼女は、向かって左方向へと頭を振ったそいつの刃に左の剣を滑らせ、右の剣でその首筋を狙って鮮やかに仕留める。

 崩れ落ちた魔物を飛び越えるようにして次の二体が突っ込んでくるが、メルトリアは冷静に後退してやり過ごし、再び前へと駆けだした。

 右の一体が頭を下げ、鼻先の刃を地面と平行にして突きの様相を見せる。

 それを迷わず踏み付けた彼女は、俯く形となった魔物の首の付け根に剣を突き込む。

 そこから飛び上がってもう一匹が振り抜いた刃を躱すと、メルトリアは着地と同時に距離を詰めて一気に斬り伏せた。

「……想像以上にやるな……」

 思わずこぼした俺の近くまで戻って亜麻色の髪を翻し、彼女は翡翠色の瞳を得意気に細める。

「驚いた?」

「おう、正直かなり驚いた。……じゃ、残りの一体は俺が引き受けるよ」

 俺もいいところを見せておかないとな。

 メルトリアは頷いて一歩下がり、代わりに俺が前に出る。

 構えた両手剣は魔王を倒すためにと作られた剣――その形を踏襲して名のある鍛冶士に打ってもらったものだ。

 鎧もそうだけど、さすがに六十年同じものというわけにいかなくてさ。

 例えば籠手ガントレットの甲や指先部分、例えば肩当てポールドロンの表面……ガタがくるたび調整して着てはいるけれど、当然強烈な一撃を喰らって壊れることもある。

 幸い鎧も『勇者のために』と型が残されているらしく、特注ではあれど同じものができあがってくるのだ。

 そんなわけで俺は鼻先の刃を突き出し突進してくる剣狼へと踏み込んだ。

 両手剣で刃を下から上へと弾き、上がった頭が戻る前に切っ先を翻して一撃。

 そのまま数歩蹌踉めいた魔物はドサリと崩れ落ち、沈黙。

「……すごい、アルトスフェン……貴方、やっぱり勇者なのね!」

 メルトリアは双剣を収めて微笑むけど……。

「やっぱりって……まあいいや」

 思わず返した俺は剣を背負い直し、じわりと滲んで塵芥ちりあくたとなる魔物を見送る。

 黒い破片はやがて空気に溶け消えていき、あたりには静寂が戻った。

「――よし。お疲れ様メルトリア。そんなに強いなら道中も心配なさそうだな。なんていうか俺、護衛は得意じゃなくてさ。……行こうか」

「ふふ、よかった。……ねぇアルトスフェン、魔物たちがどうして黒い破片になって消えるか知っている?」

「え? ……いや、知らない」

 歩き出した俺の隣に並ぶと、彼女は前を向いて言った。

「魔物は負の力が強くなりすぎて凝縮された存在なんだって。世界には負の力も絶対に必要なものなんだけど……強くなりすぎても駄目。だから凝縮された存在である魔物を倒すことで強くなりすぎた負の力を浄化できるようになっているの。だからあの黒い破片は負の力が世界に還る瞬間なんだよ」

「……浄化」

「そう。……魔王は勿論、魔物の力に頼ることは負の力に犯されること。そうなったら……私たち人族は理性を保てないって彼が……私の家族が教えてくれた」

「へえ……龍族って博識なんだな」

 俺はそう応えて少しだけ考えた。

 魔王と戦うのに相手にしたのは、なにも魔物だけじゃない。

 魔王側をよしとした『人族』がいなかったわけではないのだ。

 そのなかには確かに己を失っているとしか思えない奴らも多かった――それが負の力に犯された結果ということだろう。

 ……だとしたら俺の体を呪う「呪魔じゅま」はその負の力とやらなんだろうか。

 さっきみたいに魔物を葬送するときに俺自身が体に溜め込んでいた――たしかそんな話だったと思うけど。

「メルトリアは呪魔って知っているか?」

「呪魔? ……ええ、呪い系の魔法を使うときに必要な魔素の種類ね。扱いがすごく難しいって話で……あ」

 そこで俺の『呪い』に気付いたんだろう。

 メルトリアは言葉を止めてチラと俺を見上げる。

「どこまで聞いているかはわからないけど、気にしなくていいよ。俺が知りたくて聞いたんだから。それで?」

「……う、うん。扱いがすごく難しいんだけど、エルフや龍族はその扱いに長けているの。私たちの血にもほかの魔素と同じように含まれているものらしいわ」

「血にも……か。じゃあ俺は魔物が持っていた呪魔を自分の血に取り込んだってことになる?」

「それは……そうね。アルトスフェンの血のなかで『魔法』として使われたのだとしたら……えぇと、アルトスフェン。そもそも魔法ってなにかわかる?」

「おう。自分のなかにある魔素を練り上げて違う形にするもの……だよな?」

 因みにこれは見目麗しいエルフメイジからの受け売りである。

 メルトリアは深々と頷くと続きを口にした。

「そう。それを練り上げるための力を魔力って言うんだけど……とりあえずこれは置いておくね。……自身の魔素は使うと消費されて、その補充は体外からだと言われているの。食事だったり、呼吸だったり。保有する魔素の偏りによって得意な魔法が変わったりもするんだけど、魔物を形作る負の力のなかに呪魔が多いのだとしたらアルトスフェンが取り込んでいても変じゃない。……でも……」

「でも?」

「体内に呪魔をたくさん取り込むのは簡単じゃないはず。まして、話したとおり魔法は自分のなかにある魔素を練り上げて使うものだもの。外からアルトスフェンの血に流れる呪魔に干渉するには、それこそ呪いを発動させるための魔法を血ごと取り込むような条件が――」

 難しい顔をして考え込むメルトリアに、俺はふと思い出す。

「そういえばルーイダが『最期に発動させたのね』とかなんとか言っていたな」

「最期に? ……ああ、そっか、そういうこと」

「どういうこと?」

「アルトスフェンが魔王を屠ったんでしょう? そのとき、呪いを発動させるための魔法をそのまま貴方に取り込ませたんだわ――貴方が呪魔を取り込むのと同じように」

「……なるほど、それで『最期に』なのか」

 ルーイダがなにを言っているのか、あのときは全然わからなかったけどな。

 俺は頷きながらメルトリアに笑った。

「わかりやすかった、ありがとな。そういう知識は龍族から聞いたのか?」

「大半はずっと昔に習ったものよ。魔法には多少明るい場所で育ったから……」

「へえ、そっか……貴族のご令嬢だもんな。俺なんて勉強なんか皆無に近かったよ――あ、さすがにいまは読み書き計算含めて大半はできるけど」

 六十年もあれば勉強のひとつやふたつするものである。

 俺が笑ってみせると、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして肩を竦めた。

「えぇとねアルトスフェン。私、本当に貴族のご令嬢じゃないのよ? ……見てのとおりただのメルトリアなんだから」

「そうなのか? だとしたらいい家で育ったんだな」

「え?」

「勉強もできて礼儀作法もしっかりしているだろ。剣も習っているし……食事の仕方も普段の姿勢も、メルトリアは綺麗だ」

「き、綺麗……?」

 目を瞠る彼女がおかしくて笑いながら頷くと、メルトリアは赤くなって俯いてしまった。

「――他意はないとわかっていても、お世辞じゃないのはなんだかむず痒いわ……」

「はは、お世辞だったら何回も言われているってこと? さすがだな!」

「ちゃ、茶化さないで……貴方、エルフに感化されているんじゃない?」

 メルトリアは頬を膨らませるとスタスタと歩みを早めた。

「ほ、ほら! 急ごうアルトスフェン! 徒歩だと王都まで二週間くらいかかるし……途中で馬でも借りましょう!」

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