第5話 はじまりは呪われて④

「ねぇ、アルトスフェン」

「!」

 そのとき後ろから声をかけられて……俺は肩を跳ねさせて振り向いた。

「あ、おう……メルトリアか。あれ、ごめん――そんなに時間経ったのか? 遅かったから呼びにきた?」

「ううん。少しだけ気になったから追いかけてきたの」

「気になった――?」

「そう。貴方、なんだか寂しそうだったから」

「――はは、そうかな? 争いごとに胸を痛めるのは当然だろ」

 人見知りとは無縁なのであろう彼女は俺の隣で同じように柵に体を預け、エルフたちを見下ろす。

 彼女の年頃ならたくさん人と話をして縁を結び、先々の糧としていくときだ。

 でも俺は――。

「ねぇアルトスフェン」

「……おう」

「龍族ってね、すごく永い刻を生きるの」

「太古から生きているって言われているもんな」

「だからやっぱり、私と行こう?」

「おう?」

「力を貸すかどうかはあとでいい。私の一番の家族に会ってみてほしいの。彼はすごく優しくて――」

 そこまで口にしたメルトリアは……どこか遠くを見詰めて唇を噤む。

「メルトリア?」

「――私を助けてくれたんだ。千葬勇者の話を私に教えてくれたのも彼」

 なにかを憂うような懐かしむような瞳はすぐにパッと意志の強さを取り戻し、俺は思わず目を瞬く。

 彼女はそのまま俺に向き直ると、今度は勢いよく頭を下げた。

「あと――ごめんなさい」

「……おう?」

「魔物の被害のこと……小さな規模だなんて言ってしまったこと。ルーイダに怒られたわ。確かに、そんなふうに言っていいものじゃなかった……たくさんの村や町がなくなったのに」

「ああ……そうだな。……でもメルトリアからしたら産まれる前の話だ。それに比喩なんかじゃないんだろ?」

「…………あの、それは――その、確かに龍族が動いたら人族が滅びてしまうんじゃないかって……そう思ってはいるのだけど」

 返した俺にメルトリアは俯いたまま歯切れ悪く答えた。

 それだけ龍族が強いってことだ。

 世界中を見て回りたいと言いながら目的なく旅に出たものの、いきなりずいぶんな話になったものである。

 ――でも、うん。まだ決めなくていいのなら龍族に会うのは悪くないか。

 俺と同じ……いや、俺よりはるかに永く生きるはずの存在に会えるのは望むところかもしれない。

「わかった。まずは龍族と話をさせてもらって――それから決めるのでいいか?」

「! ほ、本当? ……ありがとうアルトスフェン!」

 花が咲くような笑顔を見せて。メルトリアは嬉しそうに言うと、いそいそと踵を返した。

「私、お昼ご飯用意する! 一緒に食べよう。貴方の旅の話も聞かせて?」

「……え? あ、えぇと」

「あら、おなか空いてない?」

「……いや……」

 途端に『ぐう』となった腹を擦ると……メルトリアはくすくすと笑う。

「なんだ、空いているんじゃない! それじゃ、できる頃合いには戻ってね」

「…………おう」

 やめてくれよ。なんでいま鳴るんだよ……。

 できるだけ関わらないで、親しくならないで――そうやって過ごしたいのに。

 メルトリアを見送って「はぁ……」とため息をついた俺は森の匂いを肺いっぱいに吸い込んでから……思い立って罠の材料となる小枝集めを手伝うことにした。

 なんというか勇者一行時代の行動が染み付いているんだよな……どこかに滞在するときはお使いを手伝う、みたいなさ。



******



「あんた、あれはないわよ……大人になるどころか捻くれたんじゃないの」

「…………ごめん。返す言葉もない」

 やってしまった。

 頭を抱えた俺を嘲笑したルーイダは大袈裟に肩を竦めてから金髪を指先で梳く。

 昼飯は昔話を多少しながら当たり障りなくやり過ごし、午後はエルフたちの狩りを手伝った俺は……夕飯でやらかしたのだ。


『ねえアルトスフェン、私もアルトって呼んでいい? 代わりに私のことも好きに呼んでほしいな』


 そう言って微笑んだメルトリアに……どうにか親しくなるのを回避したかった俺は――。

『悪いけど、馴れ馴れしいのは好きじゃない』

 ――と、酷い言葉を返してしまったのである。

「何様だよ俺は……」

「勇者様ね」

「そういうんじゃない……」

 こんなときでも揶揄うような言葉を発するルーイダはともかく。

 メルトリアは翡翠色の綺麗な双眸を見開き『そ、そうね、馴れ馴れしかったわ。――ごめんなさい』と言って食器を片付けるからと奥に引っ込んでしまった。

 部屋には怒るどころか呆れ顔をしたエルフと俺が残され、いまに至るというわけだ。

 ランプに照らされた部屋は温もりがあり、エルフの特製茶が入った木製の器から湯気が立ち上る。

 本来なら居心地がよくてのんびり出来る場所のはずなのに満ちる空気がいたたまれない。

 俺のせいだけど。

「まったくもう。……ねえアルト。あんた誰かを葬送するのが――遺されるのがつらくなったんでしょう。だから遠ざける」

 美しい容姿のエルフは頬杖ですらさまになる。

 俺は横目に彼を映し、小さく呻いてから諦めて頷いた。

「――ルーイダは俺がこの苦しみに気付くってわかってたんだろ? ……そのとおりだよ。……だからこそ俺、誰とも親しくならないで済むように旅に出ることにしたんだ」

「……は?」

「旅に出る! 世界中を見て回って……一期一会で過ごそうって決めた。本当はその挨拶に立ち寄ったんだよ――それなのに、これじゃ本末転倒だろ」

 ふて腐れた顔だったかもしれない。

 俺を見ていた美しいエルフの男はその言葉に腹を抱えて笑い出した。

「ぶはっ、あはっ! はは!」

「わ、笑うなよ……結構悩んでるっていうか、つらいっていうかさ! 俺にとっては死活問題なんだぞルーイダ」

「あはっ、あはは、あー、本当にあんた変わらないわ。馬鹿ね、あんたみたいなお人好しが誰とも親しくならないなんて無理に決まっているじゃない。現に自分がメルティに言った言葉でそうやって落ち込んでいるってのに」

「…………ぐ」

 ぐうの音も出ない。出かけたけど。

 ますます顔を顰めた俺に向かって長い腕を伸ばし、ルーイダはビシッと俺の鼻先を弾いた。

「いでっ……な、なにするんだよ……!」

「やっぱり、メルティと会わせてよかったわ」

「……うん?」

「大丈夫よ。あんたのなかで……皆の思い出は生きている。あんたが星になるそのときにきっとわかるわ。……大切な人たちを葬送してよかったと」

「…………」

「だから千葬勇者、あんたは魔物ではなく千の親しい人を葬送なさい。それが継がれ、継がれて……いつかあんたを救ってくれる。そのためにメルティとちゃんと向き合いなさいな。あの子もあの子の抱える問題も放っておいたら後悔するってこと、わかっているんでしょう? アルト」

 千の親しい人を葬送――俺はその言葉に胸の奥が疼くのを感じた。

 寂しいんだ、哀しいんだ――送るのは。遺されるのは。

 それがわかっているのに――。

「……残酷なこと、言うんだな」

 ――なぜか、こぼれたのは笑みだった。

 ずるいだろ。俺のことはお見通しだなんてさ。

「そうだよルーイダ、放っておいたら後悔するってわかってる。後悔するくらいなら理由付けてやったほうがいいこともわかってるんだ。……お前の言うとおり、関わらないでいるほうが俺には難しいんだろうな」

「ふふっ、そうやってあんたが関わってきたから私も勇者一行になったのよね。懐かしいわ」

 その言葉に……俺は瞼を閉じて思い返す。


 ルーイダは魔法の才能があって、それを一目置かれてもいて。

 だからこの〈エルフ郷〉で浮いた存在だったんだ。

 どこか冷めた瞳が印象的で、ずっと独りで過ごす彼に――俺は必要以上に話しかけた。

 そして腫れ物に触るように振る舞うエルフたちを……そう、『揶揄い倒して』やったのである。

『その長耳は飾りなのか? 魔物討伐のために作戦を立てないとならないのに俺たちの話も聞こえていないなんて。それともルーイダが美人すぎるから恥ずかしくて声もかけられないのか? なら俺なんてどうするんだよ、あんたらエルフに話しかけるのにいちいち照れなくちゃならないのか? あんたらは綺麗だけど、そんなのごめんだね! ほら、俺たちを揶揄ってみせろよ!』

 ……いま思えば悪口というか文句というか……失礼な奴だったな……。

 結果としては、いまみたいに腹を抱えて笑い出したルーイダにほかのエルフたちが歩み寄って……打ち解けて。


 それでルーイダは……俺と行くことを決めてくれたんだ。

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