第2話 はじまりは呪われて①

******


「……え、呪い? 俺、呪われてるのか?」


「だからそう言っているじゃない。――魔王を倒して十年も経ったのに……あんた、ちっとも成長していないんだもの。調べて正解ね」

 はるか高くまで丸みを帯びた葉を茂らせて、枝を伸ばす樹木たち。

 深くまで入れば道を失い命すら危ぶまれるほどの大森林のなか、樹木に蔓や板などでいくつもの橋を渡し、家まで造ってある樹上の王国〈エルフ郷〉を訪ねた俺に、当時の仲間である無駄にキラキラした容姿のメイジはそう言って金の長髪を掻き上げた。

 薄い蒼色の瞳には長い睫毛がわさわさしており、町を歩くたびに老若男女関係なく振り返るほどだったなぁ……と感慨深い。

 ちなみに生物学上は雄であるが、まあそこはエルフだからあまり関係ないんだろう。

「そうだったのか……背も伸びないなとは思っていたけど……」

「馬鹿言わないで。あんた魔王倒したとき二十歳とかそこらでしょう? 背はもともとそこで打ち留めよ。っていうか、中身も成長していないようね」

「それは失礼じゃないか……?」

 俺が顔を顰めると……歳を重ねたエルフメイジ――ルーイダは妖艶な笑みをこぼす。

「ずっと張り艶のあるお肌なんて許せないもの。嫌味くらい言わせてほしいわ?」

「…………」

 見目麗しいとはいえ、顎に右の人差し指を添えて首を傾げるその様子は空寒い。

 俺が思い切り呆れたのが伝わったのか……エルフメイジはゴホンと咳払いをして続けた。

「とにかく。確かあのとき魔王がなにか言っていたはずよ? 千葬勇者せんそうゆうしゃとかなんとか」

「物騒な呼び名を付けないでもらえるかな……? まあ確かになにか言っていたと思う。千の魔物を葬送したとか……屠った魂の分だけ呪いをどうとか――」

 そこでエルフメイジは蒼い双眸を見開いて……薄く唇を開く。

 一緒に旅していたあいだも、ここまで間の抜けた顔はあまり見たことがない。

「――え、なに?」

「そういうこと……わかったわ。あんた、少なくとも千年は生きるわよ」

「は?」

「魔物を屠ることで少しずつ呪魔じゅまを溜めていたのね。雑魚も強敵も同じだけ溜まる……とは言わないけれど、あんたの体にはかなりの量の呪魔があった。魔王は最期にそれを発動させたのね」

「いやごめん、全然わからないんだけど……」

「このうえなく歳を取りにくい体になったってことよ。ご長寿もご長寿。エルフの十倍生きるわ? 解呪も無理ね、呪われていることにすら気付かないのはそれだけ馴染んでしまっているってことだもの。もし取り除こうものなら命ごとになるわ」

「……千年も生きるって……全然想像できないけど」

「……でしょうね。まあ……そうね、たぶん気付く・・・ときがくるわ。そのときのために記念碑でも残しておいてあげる」

 エルフメイジはそう言うと……少しだけ困ったように笑った。


 そして――その意味がわかったのは、さらに五十年後だ。


******


「本当に行っちまうのか……アルト」

「おう。世話になったな」

 色づき始めた小麦畑が広がる小高い丘には乾いた風が吹いている。

 旅立ちは晴れた日がいい、そう決めていた俺にとってこの上なく理想的だ。

 丘の上に身を寄せ合うように造られた家々は石材と木材を組み合わせた質素なもので、喧騒とは程遠い長閑な風景が当たり前の村。



 ――ある日、〈アルバトーリア王国〉王都から遣わされた役人が辺境の村に来て言ったんだ。

『蒼にも翠にも艶めく黒髪と翠玉色の瞳を持つ、ここに住まう青年が勇者であると星の導きがありました』

 青年の両親は突然の出来事に困惑したし、青年もなんの冗談だって笑ってみせた。

 ……でも役人は大真面目で。

 青年――濡羽色ぬればいろの髪と翠玉色の瞳を持つ俺――アルトスフェンは勇者となったんだ。



「……あれから六十年も過ぎているだなんて……なんの冗談だって話だよな」

 正確には六十二年。

 俺が呟くと目の前の壮年の男性は寂しそうに笑った。

 白髪交じりの黒髪と、茶色い瞳。

 そいつは村の村長で……俺の幼馴染みの息子で、いまはもう五十五歳になる。

「あんたが魔王を倒す話を祖父母や両親から何度も聞いた。俺が産まれてからもずっとこの村を護ってくれていたこと――感謝してもしきれないよ、アルト……」

 産まれたのを抱かせてもらったときは感動したし、こうやって生きていてくれることが嬉しい。それは本心だ。

 ――だけどそれ以上に苦しい。

 人族じんぞくの寿命は六十年から七十年――別れがそう遠くないことはわかっている……わかってしまっている。

 俺は二十歳そこそこの見た目のままだし、どうやら精神的にもあまり成長していないらしいけど……やっぱりつらい。何度経験しても慣れたりしない。

 そう、呪いっていうのは――こうやって俺の心を蝕んでいたのだ。

 だから「せっかく長い命だから世界中を見て回りたい」なんて理由を付けて旅に出ることを告げ――十日。

 村の皆は「そんなに急がなくてもいい」と言って何度も俺を引き留めてくれたけれど、俺は挨拶と準備を進めていまに至る。

「ハグレの魔物はかなり減ったように思うけど、ちゃんと見張りは立てるんだぞ。それから、この家は好きに使ってくれて構わないから。勇者の家だーなんて言って遺さないでくれよ? いまの俺は千葬勇者なんて物騒な呼び名まであるしな!」

 俺が笑うと……目の前の壮年の男性は目頭をギュッと摘まんで首を振る。

 その仕草は――見慣れたものだ。

 もういまは亡き俺の幼馴染みもそうやっていたっけな――。

 胸のなかが温かくなって……俺の笑みは苦いものになった。

「泣くなよ……もういい大人だろ」

「でも――アルト。あんたの形を、遺したい。あんたが……いつか帰ってこられる場所を……」

「ふ。いいんだよ、戻ってきたとして誰も……俺のことを覚えていないさ。だから有効活用したほうがいいだろ?」

「そんなことない、俺たちが語り継ぐよ! アルトのことをずっと……だからアルト、これを……」

 彼は堪えきれずに涙を落とし、懐から上等な革張りの手帳を取り出すと俺に差し出した。

 丁寧に鞣された濃茶の革の表面には小麦の穂を思わせる型押しが施され、白い紙も綺麗に裁断された美しい造りだ。

「これは……?」

「……村の皆から集めた金で行商人から買ったんだ。あんたも、あんたの旅を記してくれ。それでさ、また聞かせてくれよ、この村で……。あんたのこれからは……きっと楽しいから。だから――俺たちのこと、忘れないで」

「…………」

 忘れないで、か。

 誰よりも長く生きる俺への残酷な選別。

 だけど……そうだな。

「ありがとな。せっかくだから書き留めるよ。世界中を見て回ってさ」

 旅を記すのはいいことだ。

 だって千年も生きるんだ、綺麗な場所も賑やかな町もたくさん訪れるに違いない。

 いつか俺のことを『千葬勇者』なんて言う奴がいなくなってしまっても――俺のことを誰かが……見付けてくれるかもしれないから。


 その日、俺は『勇者』のためにと特別に造られた白銀の鎧を身に纏い、名のある鍛治士に打たせたという意匠の凝った両手剣を背負って――慣れ親しんだ故郷をあとにした。


 俺の親しい人々は老いていき、ひとり、またひとり星になる。

 歳を取らない俺だけが遺されていく。

 魔物との戦闘で仲間の命を奪われるのとは違う喪失感――遺されるという哀しみ。

 ……だけど、だからって沈んだままでいるわけにもいかなくてさ。

 腹は減るし、眠くだってなる。


 だから。


 俺は千年の旅に出ようと思ったんだ。

 正直、こんな体で誰かと親しくなるのはもう望まない――望めないさ。……見送るのが哀しいから。

 それなら出会って親しくなる前に別れて……そう、一期一会でいいんじゃないかってさ。

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