「しょうちゃーん」

『正太郎、どこだ。出てこぉい』

「しょおちゃーん!もうしょうちゃんの勝ちらから、出ておいれ~!」


ユビキタスの中庭に、真尾の間延びした呼び声が響く。

姉のしゅうは、花壇の裏側を覗き込んだり、木の上によじ登って中庭を見下ろしたり、人が隠れられそうな物陰を片っ端から探していた。

かくれんぼから一時間以上経ち、既に真尾としゅうはシンによってあっさり見つけられてしまっていた。

だのに正太郎ときたら、リビングも、トイレも、お風呂場も、客間も、どこを探しても見つからないのである。

骨董店の中も探し回ったが、作業スペースにも、販売スペースにも、休憩室や倉庫、果ては入り口の大きな瓶の中にもいやしない。

残るは中庭に建てられた蔵のみだが、ここもアテが外れた。


「どこ行ったんだろ~?家の外には出てないはずだけど」

『正太郎め、かくれんぼが得意だとは知っていたが、これほどとは……』

「しょおちゃーん、もうお昼ご飯らよ~!オムライスらよぉ、一緒に食べよお~」


しかし、やはり見つからない。

家の外に出ようものなら、飛鳥が気づくはずだ。

止められていたが、やむを得ない。

シンは意識を集中させ、正太郎の気配を探ってみる。心を読む時は、正太郎の物理的距離と比例して、心の声の声量も変化するのだ。

むむむ、と眉間に皺を深く刻み、やがてシンは脱力して嘆息した。


「……どう?しょうちゃんの場所、分かる?」

『家の敷地内からは気配を掴めた。だが、その具体的な位置が分からんのだ。

 次々と石を打ち据えて水面を乱すが如く、正しい位置を測ることが出来ん』

「ううん、お父さんも居ないし……どこ行っちゃったんだろ?」


窓を開け放した縁側からは、美味しそうなチキンライスの香りが漂ってくる。

チキンライスにふわふわの卵を盛り付け終えて、飛鳥が縁側からひょっこり中庭を覗き込む。

きょろりと周囲を見回した後、サンダルをつっかけ、飛鳥はシンたちに歩み寄った。


「どうなさいましたか?」

『正太郎が未だ見つからんのじゃ。

 家の中に居るのは確かなんじゃが、どこを探しても姿がなくての』

「成程。もしかすると、家小路やこうじに入ったのやもしれません」

『家小路じゃと?』

「ええ。ユビキタスは時に、家主や客を自らの中に誘います。

 隠された倉庫、秘蔵の書庫、異次元空間……兄さんが手ずから掛けた術を起点に、この家は少しずつ拡張されておりますので。

 家にも意思はあり、招く人を選びます。

 正太郎さんは家に守られていますので、ご安心を」

『そんな馬鹿な話……いやまあ、あり得るのか?』

「この家は、兄さんの魂を複写トレースして核となっていますので、危害を加えることはないかと……」


会話の最中、頭上から轟音と衝撃波が迸る。

飛鳥は咄嗟に子供達を庇い、しゅうと真尾は悲鳴をあげ「花火!?」と頭上を仰ぐ。

電流にも似た火花が、青い空を割るが如く奔る。

うっすら見えた発光する六角形の連なりは、おそらく連綿に張り巡らされた結界だ。

通常は可視化されない筈の結界が、ここまでくっきりと目視できる。

つまりは、外部から強力な攻撃を受け、結界が弱体化したという証左だ。

直後、怖気の立つ寒気と、ぶうんぶうんと巨大な羽虫が翅を唸らせるような音が響き渡る。

音を頼りに視線を上げれば、赤黒い肉の塊、ともすれば虫の蛹を模したような球体状の物体が浮上している。


『よもや……奴か!吉備津山ムツ!』

「しゅうさん、真尾さん、中へ!」


飛鳥に追い立てられ、双子は縁側から室内に転がり込む。

一方で肉塊は隕石もかくやの速度で降下し、結界に接触。

バリンッと硬質的な壁が連鎖的に砕け散るような、甲高い音が辺りに木霊し、肉塊は中庭に墜落した。

シンが反射的に這いつくばった刹那のうちに、突風が吹き荒れる。

衝撃波が木々や草花、中庭の置物を次々薙ぎ倒し、干した洗濯物が吹き飛んでいく。

無事なのはナナカマドの木のみだ。

幸い、ユビキタスの周囲には住民が殆どいない。もしここが住宅街であったならば、この金属的な破裂音を聞いて大騒ぎになっただろう。


『(以前は斯様な姿ではなかったはず!何があった!?)』

「あーあ、ったく!よりによってこんな所に逃げ込みやがった!」


今度は頭上から聞き覚えのある声。

はたと視線をやれば、肉塊を追って、武者姿の青年──天道が飛翔し、中庭に着地する。

一方で肉塊は、人の舌を寄せ集めたかのような、汚らしい肉の花弁をばっくり開いた。

中からは、2mを超える巨体が姿を露わにする。

鮮血のような赤い髪、額には禍々しい角が生え、その顔立ちには吉備津山ムツの面影がある。

最初に対峙した時と打って変わり、筋骨は隆々として、肌は浅黒く変色し、甲虫を思わせる装甲を体に纏わせている。

腕は四本に減っていたが、数を補うかのように、常人の何倍ほどもある巨大な腕を振り回し、血管が浮き彫りになった手には大太刀を構えていた。

ムツは「シャアアアッ!」と鋭く吼えるや否や、天道に斬りかかる。

激しく金属同士が衝突し、刃先が悲鳴を上げる。


「っとお!」

『天道、此奴は吉備津山……であろうな?

 先日より格段に妖気が上がっておるではないか!何があった?』

「奴さん、只の吸血鬼じゃなかったのさ!

 さっきまで小突かれるだけで泣き言喚く雑魚だったんだが、急に力を底上げしやがった!……っとお!?」


剛力が一瞬にして、天道の体を刀で押し吹き飛ばす。

空中で回転し体勢を立て直しつつ、天道は家屋の壁を蹴りつけ、着地する。

武装は所々が剥がれ落ち、体には無数の切り傷が浮かんでいる。布地にじくじくと血が染み出て溢れるさまが見て取れた。


『おい天道!大口叩いておきながら、手負いではないか!』

「うるっせ!セコい不意打ち食らっただけだ、まだ戦れる!

 ンなことより正太郎はどこだ!お前一人じゃ足手まといだろ、呼んでこい!」

『人を小間使いみたく扱うな!』


シンは喚きながら、天道を一瞥した後、ユビキタスに飛び込んだ。

どのみち危険が差し迫っている今、正太郎に現状を伝えねばならない。

中庭には天道とムツのみが残された。車の排気音が近づいてくる。

先程天道を乗せてムツを追いかけてきた、神楽たちの車だ。

途中で走った方が早いと乗り捨てて来たが、追いかけてきたに違いない。


「(刑事どもが迂闊に飛び込んでくるとは思わねえが……早いとこ調伏ぶったおさねえと、後が面倒だな……!)」


ムツは己の巨体を縮こめ、勢いをつけて弾丸より速く突撃してくる。

天道は砲丸じみた体躯を刃先で流していなすが、その衝撃に耐えられるほど天道の体は強靱ではない。

たちまちに後ずさりし、足元は踏ん張りのせいで地面が深く抉れ線を刻むほどだ。

その様子を、車から降りて追いかけ、玄関から入った三好が目撃していた。


「なんだよあれ、ますます人間やめた姿になってやがる……!」


常人である二人が入ったところで、挽肉にされる未来は容易に想像がつく。

かといって子供一人を戦わせるほど非情にもなれないのが、三好という青年である。

考えるより早く中庭に飛び出し、脱力した天道を抱える。


「っ天道くん下がって!このままじゃ殺されるぞ!」

「うっせえ、こいつは俺の獲物だ!下がってろお巡り!」

「はいそうですかって納得出来るか!ポン刀持ってても君は子供だろッ!」

14じゅーしは子供じゃねえ!」

「立派な未成年だってば!」


三好は我に返り、咄嗟に天道を押し倒し俯せた。

頭上から空気の唸る音が耳を掠め、直後にはユビキタスの中庭を囲む、草の垣根と、数メートル先に植えられた街路樹が軒並みズパン!と薙ぎ切り払われていた。

さあっ、と背筋が凍る。直撃すれば人間の輪切り。

かといって今、眼前にいる怪物には隙がない!このままではダンブルウィードよろしく、ごろごろと中庭を転がり回るほか、逃げる手立てがない。


「離せ、アイツは俺がぶちのめしてやる!邪魔!」

「怪我人が何言ってるのさ!」

「──そのまま後退しろ、三好くん!!」


神楽のよく通る声が、肩につけたトランシーバーから響く。

弾かれたように、三好は天道を羽交い締めにしたまま、ずるずる引きずり後ずさる。

怪物がそれを逃すはずもなく、ドスドスと大股で駆け寄って距離を詰める。

そういえばどれくらい下がればいいんだ?なんて疑問が脳裏をよぎった時。

再びトランシーバーから神楽の声。


「刑法第208条の2は!」

「えっ!?き、危険運転致死傷罪!?」

「大正解!よい子は真似しちゃダメだぜ!」


三好が答えるそばから、ムツに斬り裂かれた垣根を突っ切って、車が突進。

運転席から神楽が飛び出し、ムツが避ける間もなく、車両はその巨体に激突した。

車両の速度に対応出来なかった怪物の体躯は、蔵の固い壁に叩きつけられ、血の花を咲かせた。

激突させた神楽本人は、クシャクシャにクラッシュした車体を見つめ、にやっと笑う。


「同郷のよしみで、目をつむってくれな。三好くん」

「ンなこと言ってる場合ですかッ!ムチャしすぎです、神楽刑事ッ!!」



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