次に目が覚めた時、日は高く昇っていた。

重い瞼をこじ開けたとき、ボン!と何やら物騒な音が階下に響く。

正太郎は鼻を突く焦げ臭さに気づき、着替えることすら忘れて、階段を駆け下りてみる。

覚えのある悪臭に、嫌な予感を覚えた。


「やあ、おはよう正太郎君」

「お、おはようございます。今度はなにがフッ飛んだんですか?」

「いやあ、お恥ずかしい。フライパンだね、今回は」


一階のキッチンは黒煙と異臭でたちこめていた。

煤だらけの公太郎が、咳き込みながら姿を現す。火災現場から飛び出してきたかのような様相だ。

原因は火を見るより明らかだ。ダイニングにまで飛び散った野菜の破片や焦げた麺類の切れ端から、何をしでかしたか容易に想像できる。


「ちょっと早いお昼にしようと思ったんだけど……我が家のガスコンロはいつも調子が悪くてね」


調子が悪いのは料理の腕ではないのか。

横で、幽霊男あらため、シンが呆れた顔で口にした。


『調子が悪いのはこやつの料理の腕ではないのか』

「口が悪いなあ、君」

「っふふ」


公太郎はむ、っと唇を尖らせた。

正太郎は口元が緩むのをぐっと堪え、雑巾を手にとる。まずは部屋中に散った汚れをやっつける事が先決だ。

テーブルや床の残飯を処理し、使い物にならなくなった調理道具を片付け、ようやくあわただしい掃除は終わった。

公太郎はすまないね、と呑気に笑っている。

反省しているのだろうか、と訝る正太郎。落ちていた、焦げた古い本を一冊拾う。

料理のレシピ本だとすぐに分かった。昨夜、公太郎が読みふけっていた本と背表紙の柄が同じだ。付箋がはみ出している。


公太郎はキッチンに引っ込んでいる。正太郎はこっそり付箋のついた箇所を開いた。

オムライスの項目だ。実際に使われた材料はさておき、彼はこれを作ろうとしていたのだろうか。


「正太郎くん、悪いけど出前を頼んでくれないかな。ピザ屋のチラシがその辺にあるはずだから」

「分かりました」


正太郎はレシピ本を背に隠して答えた。

公太郎がまた作業に戻ったのを見届けて、同じ位置に同じ角度で本を戻しておいた。


「それで、正太郎くん。この家で一日過ごしてみた感想はどうだい」


ピザを平らげる頃、公太郎はこう切り出した。

口についたケチャップを拭い、正太郎はどうにか言葉を探す。あまり、褒める事は得意ではない。


「ええと、ベッドが気持ち良かったです」

「そうかい、良かった。ちょっと大きすぎたかなって不安だったんだ」


ようやく出てきた言葉はそれだけだったが、公太郎は眉尻を下げて安堵しているようだった。

正太郎はあらためて、家の中を観察する。

変わった家だ、というのが第一の感想だ。

外観は洋装で、いつか玩具屋で見たファンシーな玩具の家を彷彿とさせる。


ここは「骨董店ユビキタス」。

公太郎の自宅兼、アンティークショップであるらしい。

ダイニングに繋がる扉の先には、作業部屋と思わしき一室や、販売スペースらしい横長の部屋が連なり、すりガラスのはめ込んだスライド式の扉でそれぞれ空間を区切られている。

作業部屋は、厳つい大型の道具や、収納棚がぎっちりと詰まっているものの、用途は何かも分からない。

そもそも何の作業をするか見当もつかない。

販売スペースの方ではレジと木製の商品棚が並び、アンティークや日用品、楽器、娯楽品等々が節操なく並んでいる。

奥まったほうにあるテラスサイドには、テーブルと座布団が敷かれた椅子、紅茶セットもある。

公太郎が只者でないことは既に察しているが、尋ねるのは気が引けたし、何より正太郎はまだ完全に叔父の事を信用したわけではなかった。


「家族が増えたし、必要なものを買い足しに行かなきゃね。一緒にきてくれるかな」

「はい」


公太郎は私服に着替え、正太郎を誘った。特に断る理由はないので、快く頷く。

二人が住む家は、新みらいが丘市という地方都市の、双葉町と三注連みしめ町という場所の境にある。

最寄り駅からバスで三十分程先の、閑静な住宅街から更に少し離れた、小高い丘に居を構えていた。

新みらいヶ丘について、正太郎はいくつかのことを、公太郎から聞かされていた。


「ここは、昔から星が落ちる場所、っていわれているんだ」

「星が、ですか」

「隕石ってやつだね。日本は気候や土壌の問題で、隕石が落下しても、その痕跡はほぼほぼ流されてしまうんだ。

 新みらいヶ丘市は、隕石の落下地点が密集しているんだよ。その隕石の落下地点を中心に、町が出来て、市になったというわけだ」

「ふうん、星が落ちる場所かあ……」


聞くところによると、新みらいヶ丘市の人口はおよそ五十万人程度。

市域はおよそ20程度。正太郎たちの住む地域は通称「中央区」と呼ばれ、名の通り市の中央部分を指している。

つい最近、新たな政令指定都市として指定されたばかりなのだそうだ。

因みに、正式な土地の名称を呼ぶ人間はあまりいないらしい。

ぐるりと市を囲うように連なる山々は、様々な鉱物が採れる採掘地域であったらしい。

南西部は海と面しており、中央区と呼ばれる場所は都心のような賑わいであるようだ。

良くも悪くも、都会と田舎が中途半端に混ざり合う土地柄であるらしい。


「正太郎くん、モールは初めてかい?」

「いえ、何度かは」

「そっか。欲しいものがあったら遠慮なく言ってね」

「大丈夫です」

「……………………(気まずい)」

「……………………(何話せばいいんだろ)」


二人は特に会話するでもなく、少し距離を開けて歩く。

シンは正太郎の真上をふよふよと着いていくものの、彼も二人の間に漂う気まずさを読んでいるのか、それとも周りの目を気にしているのか、積極的に会話をするつもりはないようだ。


公太郎が時折、誘導するようにこっちだ、と手を引いてくれることはあるが、すぐにまた間をとる。

バスに座る時も、二人の間には腕一本分ほどの小さな隙間が開く。

今の正太郎にとっては、それが限界の距離だ。

真矢の事件の時、真っ先に駆けつけたのは公太郎だったと聞いていた。

山奥で倒れていた正太郎をぴたりと探し当てて、病院に連れてきたらしい。

救われた恩があるのは事実だ。

公太郎は、血の繋がりのない子供を家族として受け入れたい、とも言ってくれた。

だからこそ、正太郎は距離を置く。彼に心を許すわけにはいかない。

正太郎にとっての家族は父サトルと母愛理紗であって、公太郎ではない。

その優しさに感謝しても、父が生きていると確信した今、受け入れることをしてはいけない。

膝の上で固くなった拳に、公太郎はそっと目配せして人知れず息を漏らしていた。



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