メン地下と私

 二週間できっちり三人揃って免許を無事に取得し、まるちゃんの実家を経由して私たちは東京に戻ってきた。

 しかし、今年の私は忙しい日々を送っている。

 きちんとアルバイトをして、そのお金を持って【百鬼夜行】のライブや、古いホラー映画のオールナイト上映、怪談イベントにしっかりと通いつつ、まるちゃん、今村ちゃんと一緒にトークパートのテーマや台本を作っていた。

 面倒くさがりの私はそろそろ去年の薄味夏休みが恋しくなるのではないかと危惧していたがそんなことはなかった。

 そもそも去年の今頃の記憶など恋しくなれるほども残っていないのだ。



 そして、ついに出演者【百鬼夜行】との打ち合わせである。

 夏休み中で中高生のファンもライブに来られるため、各所で連日のようにアイドルライブは開催されており、なんと八月二週目に至っては【百鬼夜行】は週に五日ライブを行った。

 足しげく通っていた私たち三人はもうさほどのありがたみを感じないなどと悪態をつきながら、打ち合わせ場所に指定されたファミレスを訪れる。

 しかし、指定場所は大学のすぐ近くのイタリアンレストランチェーンであり、気を遣われているのは明らかだった。

 興味があるというので大谷先輩もくっついてきたが、特に拒否する理由もなく、男性ファンが増えるのはそれはそれで良かろうということで私、まるちゃん、今村ちゃん、大谷先輩の四人での参加となった。



「いますね」


 今村ちゃんがしょっぱい顔で呟く。

 私たちが到着したのは集合時間の十分前だ。

 十分前の私たちが到着したタイミングですでに全員が揃って着席しているということは二十分前には到着していたということだろう。


「学生相手なんだから遅刻してくるくらいでいいのにね」私が言い「うん」とまるちゃんが首肯する。



 先方はメンバー五人にプロデューサー兼マネージャーの長谷川氏の大所帯での参加だった。

 プロデューサーの長谷川氏はライブ会場でチェキ券やグッズの会計を自ら行っていることもあってよく見ているが何度見ても威圧感がある巨体だ。

 メンバーは当然ながら全員私服であり、ここ最近ほぼ毎日のように会っていたにもかかわらず新鮮な感動があった。


 ――私服もカッコいい。


 鵺、木霊、狐火の三人はそれぞれの推しにアイコンタクトや小さく手を振ったりとファンサービスに余念がない。

 ちなみに女性陣三人はメンバー五人全員に認知されているということもあり、鉄鼠、猫又の二人は自分たちのファンではないことを承知している。

 その二人と話す要員として大谷先輩がいてくれてよかったのかもしれない。



 私たちはなんとなくいつもライブ会場で会っている時と違った余所行きの自分で彼らと接し、打ち合わせは恙無く進んだ。

 台本についても特に修正したいなどという希望もなく、彼らは全肯定アイドルであった。

 やはり大規模な文化祭のイベントにゲストで呼ばれることなどこれまでになく、メンバーが張り切ってしまっているらしい。

 さらにゲストの映画監督や作家に対してのリスペクトもあり、彼らからの評価を気にして今からかなり怪談の稽古を積んでいるらしい。


 ――そっちはいいから歌とダンスちゃんとやれって。


 私は本音をなんとか前歯の裏で塞き止める。

 こちらの希望である東北での神秘体験については鵺君が実話怪談として演ってくれた上で、トークショーのテーマの一つとして全員で掘り下げることにも肯定的だった。


「これ本当の話なんですよね?」鵺君が私に向けて質問を投げかけてくる。


 ――なんで敬語なんだよ。


「そうですね。最初に先輩たちが神秘体験した場所から、宗教っぽいものにして遊んでるところまで含めて一つも嘘じゃないです」


 私は事前にダイレクトメッセージで送っていた文面をさらにブラッシュアップし、プリントアウトして持ってきていた。


「いや、すごいですね。しっかり、うまく不思議な話としてまとめてきます」



「会場見てから帰りたいんだけどいいですか?」

「夏休み中なんで建物入れるかわからないですけど、行ってみましょうか」


 先頭を大谷先輩、プロデューサー、鉄鼠、猫又の四人が固まって歩き、その後ろを私と鵺君、今村ちゃんと木霊、まるちゃんと狐火の組み合わせで少しずつ間隔を空けて、大学のキャンパスへと向かう。

 ファミレスから大学までは徒歩三分の距離だ。

 二人で並んで歩くなんてまるでデートのようだ。

 いつもの衣装を着ている彼が今日は私服であることもデート気分を盛り上げる。

 とはいえ、私服はそこらへんの大学生と変わらない。

 木霊君は今村ちゃんがプレゼントしたポロシャツを着てきたらしい。

 なんということだろう。素晴らしいファンサービスだ。

 今村ちゃんが打ち合わせ中、隣に座っているのにわざわざLINEで報告してきた時、私は一瞬目を見開いて、木霊君の服を凝視してしまった。女優は涼し気な表情を崩していなかったのだが。

その時、私も鵺君に洋服をプレゼントしようと心に誓った。


 ――安い服は買えないし……もっとバイトしよ。



 構内は意外にもちらほらと人影があり、生協も各キャンパスも開いていた。


「俺、大学ってはじめて入るんだけど、大きいんだな」

「そうだねー。私も受験で来たとき迷ったよ。受験会場は十五号館って言われて、十五個も建物あるんだ!?ってビックリしたんだけど、入学してから二十五号館まであるって知ってもう一回ビックリしたよね」

「君、ホント面白いな」


 ――別に面白いことは言ってないでしょ。……嬉しいけど!


 すぐ隣を歩く好きな人から褒められるのは嬉しい。贅沢を言えば「可愛い」とか言われたいが「面白い」でも十分過ぎる。

 会場に使う法学部キャンパスの大教室は私も初めてだったが怪談イベントをやると考えるとかなり広く、埋められるか少し不安な気持ちになった。

 【百鬼夜行】はワンマンでギリギリ二百キャパの会場を埋めることはできる程度の人気なので一生懸命宣伝してくれるだろうとすぐに気持ちを切り替える。

 他のメンバーもライブとは違う緊張があるだとか口にしている。



「では、また怪談パートのリハーサルについてはまたスケジュールの候補日をお送りしますので」

「はい、なるべく当日使う会場か似た教室を押さえますので」

「前日にはゲネもできますか?」

「あ、はい。文化祭初日の開催なので前日に機材搬入できることになってるんですよ。機材入った後なら」

「では、できれば当日に近い形でのゲネもやらせてください」

「勿論です」


 依頼のメールを出した今村ちゃんとプロデューサーが今後の予定について話しているが、この場にいる全員がプロデューサー長谷川氏のやる気にやや気圧されていた。


「学生イベントですし、そんなに頑張っていただかなくても大丈夫ですよ」


 今村ちゃんが遠慮気味に言うと、プロデューサーが首を振る。


「いえ、竹林監督がいらっしゃるのに半端なものはお見せできないので。映画出演の営業もしっかりやりたいと思っていますし。もし河合先生の作品がドラマや映画になった時にここできちんとアピールしておけば出演プッシュしていただける可能性もありますよね。あと皆さんが卒業した後にもしエンタメ業界に入られた時のことも考えて失礼のないようにしておかないとと思ってますよ」


 そう言ってプロデューサーは大きなお腹を揺らしながら闊達に笑った。


「あぁ……はい」



 解散した後、私たちは全国チェーン展開しているカフェに入って、グッタリと虚けていた。


「あたし、もう結婚できないかもしれないです」

「なんでよ?」


 まるちゃんが投げやりに訊く。私は天井を仰いでいた。聞こえてはいたが反応はまるちゃんに任せている。


「木霊君があたしのプレゼントした服を着てきてくれて……あまりにも嬉しくて……もう他の男の子が好きになれる気がしない」

「わかるー。別に鵺君は私がプレゼントした服とか着てないし、そもそもプレゼントもしてないけどー」適当な相槌を打つ。

「まーね、わたしも流石に二人で外を一緒に歩くなんて経験したらだいぶグラッときたよねー。まぁ、彼氏はふつうに欲しいけど」


 そんな会話の最中、スマホの着信に気付く。緩慢な手つきで操作すると、鵺君からのダイレクトメッセージだった。


 ――なんだろう?


 メッセージを読んだ私は襟元を正すと「疲れたので先に帰る」と言い残して店を後にした。

 メッセージは鵺君から二人きりで会いたい、というものだった。



「どうしたの? 忘れ物?」


 大学の構内に戻り、初代学長の銅像前で私たちは落ち合った。


「いや、忘れ物といえば忘れ物なんだけどな、サークルの部室って見せてもらっていいか? 現場見ておきたくて」

「本当にオカルトに対しては真面目だよね、鵺君」


 私は用件が私個人にかかわるものでなかったことに少し落胆しながらも、もっと一緒にいられるのだという事実に舞い上がった。


「君、頭良かったんだな。大学生っていうのは知ってたけど、こんな大規模な文化祭やるような有名大学の子だとは思ってもなかったわ」

「有名かどうかはわからないけど、まぁ学生数は多いし、大きい大学ではあるよね」


 私たちは並んで学生会館のビルに入っていく。


 ――部室に誰もいませんように。


 夏休みの夕方だ。誰もいない可能性は高かった。


 ――苫野さんが趣味の原稿を書いていたりしたら蹴り飛ばして追い出してやる。



 部室は無人であり、オカルト関係の書籍や謎のお札や動物の骨、何に使うのかわからない骨董品が並んでおり、窓際にはご神体不在の仏壇が鎮座している。


「ここでイカの幻想を共有したわけか?」

「うん。変な話だよね」

「でも、面白いな。今もイカはいんの?」


 ――出た。面白い。でも、私は面白い女でいいよ。


「ずっといるよ。今日は鵺君たちと一緒にいたからずっとくるくる回ってる。なんかアイドルのこと考えると回転するんだよね。別に信じなくてもいいけど」

「信じる」

「本当に?」

「あぁ、信じる。俺だってオカルト業界の片隅にいるからな。そんな体験したいに決まってる」


 夕焼けの逆光で彼の顔がよく見えない。


 ――あぁ、今は私一人にだけ向けた顔をしているんだ。だけど、オカルト業界じゃなくてアイドル業界って言ってほしかったよ。


 そう思うとどうしようもなく嬉しくなってしまうのだが、その気持ちを素直に伝えることができない。

 私は他のファンと違って「好き」と言ったことがない。

 今村ちゃんも、まるちゃんでさえも推しているアイドルに「好き」だと好意を伝えているが、面倒くさがりで照れ屋でプライドが高い私にはどうしても言えなかった。

 周囲に人がいて、一分千円を払って伝える「好き」なんて偽物だとしか思えなかった。

 でも、今なら……。

「鵺君」


 部室の中を興味深そうに見回す彼に勇気を振り絞って声をかける。


「ん?」

「好き。知ってると思うけど」

「知ってる」


 彼が私の目の前に立ち向かい合う。

 そして彼の顔が徐々に私の顔に近づいてきて――。

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