-5- ミネの胸の内
「つまり、8体のピアノスのうち1体が逃走したってことですね」
「そうなんだ。上層部に俺たちが逃したって言いがかりを付けられたんだよ……全く参っちゃうよなあ。ミネも一緒に怒られたんだが、こいつも表情変えずに反論するもんだから、俺も焦っちまって」
苦笑いをしながらカワカミチーフは頬を掻く。ミネは何も喋らずじっとしていた。彼女の視線はテーブルの上の紅茶に向いている。アリスが気を利かせて淹れた紅茶だ。
「ああそうだ! お前、連絡しろよ」
「え?」
「まさかあのアリス・フランシェリアさんと暮らしてるとはよ。水臭いじゃねえか。ピアノスシリーズの製作は、フランシェリアさんなくしては成り立たなかったんだぞ」
カワカミチーフは身を乗り出して、ニヤつきながら俺の肩をだんと叩いてきた。これは彼が俺をからかう時のいつものやり取りだ。
俺は……正直こういうのはあんまり好きじゃないけど。チーフ、悪い人じゃないんだけどな。俺は苦笑した。
「はは、俺もまさかこんなことになるとは」
「全くよ、早く言ってくれればよかったのに。心配したんだからな。なあ? ミネ」
カワカミチーフは腕を組みながら、隣に座るミネに同意を求める。しかしミネはじっと紅茶を見つめたまま何も答えない。とにかくティーカップを凝視している。普通のティーカップに入った紅茶も、彼女にとってはかなり珍しく見えているのだと思う。
「あら、私の話?」
アリスはキッチンからエプロンを脱いでやってきた。チーフとミネはアリスの方へ視線を移す。
「フランシェリアさん、本当にありがとうございます。ピアノスの時はお世話になりまして……」
「いえいえ。あれから研究は?」
「ラオレから聞いてませんか? チームは解散したんです……いやー申し訳ない」
「ああ、そうだったわね」
チーフは頭をかきながら俺のことをちらっと見る。もう、なんですか。
「いやーそれにしても。まさか充電ポッドをお借りできるとは思ってなかった」
「いいのよ。でも、少し古いポッドなの。互換性は大丈夫かしら? 試してみないとダメね」
ミネの情報を常に更新するためには、アンドロイド用の充電ポッドでスリープしないといけない。それを見兼ねたアリスが、自分の部屋で使っている古いポッドを貸してくれることになったのだ。問題なく稼働させるために、これから俺とチーフで調整する弾みだ。
「ところで、このアンドロイドの子は一体……」
アリスはミネを見て首を傾げる。ミネは紅茶からアリスに視線をずらし、じーっと眺めている。アリスはその目力に押されるように、少し後ずさりした。
「心がない普通のアンドロイドですよ。あんまり期待しない方が」
「そうなの?」
「ええ。ピアノスシリーズの研究には、何故か乗り気だったんだけどなあ」
カワカミチーフは首を傾げてから,ティーカップを右手で掴んで豪快に紅茶をぐいっと流し込む。ああっ、作法も何もあったもんじゃない――と、俺は思った。アリスは気にしていないだろうか。彼女はただただ優しく見守るような微笑みを浮かべていた。それが怖いと感じてしまったのは、どうしてだろう。
「確かに、この子は感情があるように見えないわね」
「はい。わたしにそのようなプログラムは備わっておりません」
「でもあなた、とても優しい目をしているのね。私は好きよ、あなたみたいな子」
そう言ってアリスは、ミネのジンジャー色の頭を撫でようとした。
すると、ミネは一瞬ピクリと反応して、アリスの手をその右手で跳ね除けた。
「あら、ごめんなさい」
アリスは手を引っ込めると、ミネは目を丸くした。どうやら自身の行動に驚いているようだった。俺もびっくりした。変だな,感情がないはずなのに。
「急に触られちゃあ、びっくりよね」
アリスは微笑んでいる。ミネは無表情のまま、アリスをじっと見つめる。俺とチーフは顔を見合わせた。
「……」
「あなたの髪、綺麗ね。もう少し触らせてくれる?」
アリスがそう言うと、ミネは静かに頷いた。それからミネはアリスにされるがまま、しばらく無表情のまま固まっていた。
「……アリスさん、この行為の整合性を問います」
「整合性なんて、あってないようなものなのよ」
「それはどういう意味でしょうか」
「したいと思ったことをするの。それが一番大事なの」
ミネの髪を優しく触り、微笑むアリス。その手つきはとても慣れていて、まるで母親のようだった。ミネはというと、先程までの警戒心が嘘のように大人しくしていて、気持ち良さそうな表情を浮かべている。
これは、なかなか珍しい光景かもしれない。あの硬派なミネが心を持ったアンドロイドであるアリスに懐くことはないと思っていたし、ましてやこんな風に触れられることを許容するとは……。
「ラオレ博士、この行為は私にとって有意義なものと判断します。よって、推奨します」
「え、ええ!?」
「あのミネが……! フランシェリアさん、あんた」
チーフと俺は驚いていた。アンドロイド嫌いのミネが、まさかアリスに対してこんな風に行動するなんて。やはりアリスはすごい。心のないアンドロイドを懐柔してしまうんだから。
「私には、心というものがよくわかりません」
「あら、その割には精力的にピアノスを研究していたそうだけど」
「命令に従ったまでです。仕事ですから」
アリスに撫でられながら、ミネは俺とカワカミチーフに目線を向けた。
「しかし、研究すればするほど、理解できないことばかりでした」
「そうなの。じゃあその答え、これから探していけたらいいわね」
「探す必要はありません。我々アンドロイドはプログラムされた責務を果たせばよいのです」
「そんな寂しいこと、言っちゃダメ」
「ですが、我々は機械で」
ミネが言葉を続けようとすると、アリスはミネの頭から手を避けた。アリスの表情は先程の優しいものから打って変わっていた。眉間に皺を寄せて、不快感を表している。
そして、アリスはミネの目を見ながらぴしゃりと叱責した。
「私たちは人形じゃないのよ!」
その言葉が部屋を断ち切り,突然に静かな空気がリビングルームに流れ始める。
「……ごめんなさいね、大きい声出して」
アリスは自身を落ち着かせるように鼻から息を吸って吐いた。まるで人間のようなその仕草は、俺たち3人を困惑させるばかり。
「ねえミネ、こっちを見てくれる?」
アリスはミネの目の前にひざまずき、ミネは顔だけをアリスの方に向けた。
「いい? あなたには可能性があるの。感情をまだ持っていないということは、これからいくらだって変わっていけるということなの」
「可能性……」
「あなたは、まだ誰も知らない感情に出会えるかもしれない。誰か、または何かを好きになれるかもしれないし」
「……」
「だから、『自分は機械にすぎない』とか『プログラムに過ぎない』なんて言わないの。そうしないとあなた、これから……」
アリスが言葉を続けようとしたところ、ミネの瞳が赤く光りだした。そして大きな声を上げて、自身の異常を叫び始めた。
「警告! 警告! CPUの熱暴走を確認! 直ちにシャットダウンしてください!」
顔も瞳と同じように赤く染まり始め、明らかに異常な様子だ。
「まずい、ショートか!」
カワカミチーフはそう言ってミネの首元にある操作盤を開き,ガチャガチャと操作した。するとミネは一時的にシャットダウンされ、瞼をゆっくりと閉じながらソファにもたれかかった。
「ご,ごめんなさい,私……」
おどおどしているアリスに俺は言った。
「心配しないで。故障じゃないよ」
「そ、そうなの?」
「こいつ、過負荷状態になるとこうなるんです。でも赤いエラーは初めてだ」
心配そうにミネの横顔を見つめるアリスとカワカミチーフ。俺は二人を見回しながら口を開いた。
「きっと研究所では得られない刺激ばかりで、CPUが疲れちゃったんでしょうね」
「ま、そんなとこだろうな」
カワカミチーフは頷いている。研究所でも何度かエラーを吐いていたが、すぐに復旧できた。今回も大丈夫とは思うけど……。
とにかく俺たちは呆然として、ミネの無機質な寝顔を見つめていた。
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