2.

 鐘塔しょうとうの町から見える海をこえて、リゲルと老竜の世界を巡る旅がはじまりました。



 海を越えた先にあったのは、世界一高い岩の山でした。

 老竜は体をそらしてビュンと空を登ります。

 山頂には真っ白な雪が積もっていて、今は春のはずなのに、空気は冬みたいにひんやりとしているのです。


「おぬし、雪を見るのははじめてか?」

「うん、見るのはね。でも知ってる。雪はこうやって丸めて……ぶつけて、遊ぶんでしょ?」


 リゲルはこぶしほどの雪玉をこさえては老竜にぶつけます。ハリガネのような毛に当たって雪玉がもろもろと崩れるたびに、リゲルはいたずらっぽく笑います。


「ぜんぜんわかっとらん。雪は食べるものじゃ」


 老竜は大きな口をガパリと開けました。そのままばくばくと雪を食らうので、リゲルも一緒になって雪をぱくぱく食べました。

 雪はつめたいだけで、ちっとも味がしません。

 だけど老竜があんまりにもおいしそうに食べるので、リゲルもなんだか極上のデザートを食べている気分になりました。




 ある時は、常夏とこなつの海に浮かぶ島を訪れました。


 濃い緑色のジャングルの中ではたくさんの動物たちがかくれんぼをしたり、何もせずねそべったりしています。

 木にはオレンジや黄色や赤色などの鮮やかなフルーツがたわわに実り、近くを歩くたびに甘い香りがただよいます。老竜がもいだフルーツを分け合いながら、一人と一匹はジャングルの奥地まで進みました。


 なんとそこでは、カラフルな鳥たちによる合唱コンサートが行われていました。

 バナナのような口ばしを持ったベニコンゴウインコは言います。


「いつものメンバーだけじゃおもしろくない。君たち、特別ゲストとしてコンサートに加わってみないかい?」


 そんな一言がきっかけとなり、リゲルは生まれてはじめてステージの上で歌を歌うことになりました。


 はずかしさと緊張で、リゲルの心臓はバクバクです。もういっこくも早くステージから逃げ出したくてたまりません。


 老竜はというと、ステージの一番後ろでぐーすか眠りこけています。

「ずるいぞ!」とわめいてたたき起こしてやろうと思いましたが、リゲルは思いとどまりました。きっと、背中に人間をのせてずいぶん飛んでいたので疲れたのだろうと思ったのです(もちろん、老竜は歌いたくないから寝ているのです)。

 それに、時折聞こえる地鳴りのようないびきが、なんだかいいアクセントになっています。


 歌声につられてジャングルから顔を出した動物たちも加わり、ステージはいつの間にかお祭りさわぎ。

 そのうちだんだん楽しくなってきました。

 気がつけばリゲルたちは三日三晩、サンバのリズムにのって踊り明かしたのでした。




 ある時にはじゅうたんのようになめらかに続く砂丘さきゅうの上をあてもなく飛び、またある時にはマグマのぐつぐつしている火口まで行って、身のこげるギリギリを飛行して楽しみました。


 満月の夜、どれだけお月さまに近づけるか試してみたり、秘境ひきょうにある大滝の裏をくぐり抜けて、滝にかかる虹をかすめ、冬にしか咲かない青い氷の花を眺めに行ったり、かと思えばれんげの花畑で気のすむまでおひるねしたりしました。



 そうして四つの季節を共に過ごしているうちに、リゲルと老竜はついに世界の果てにたどり着いたのです。


 そこは静かな森でした。

 生いしげる木々はみな老齢ろうれいで、干からびた枝は老竜のひげのようにしな垂れるばかりです。

 風の吹かない、小鳥たちのさえずりも聞こえない、命の気配のない静かな森を、一人と一匹はゆっくりと進みました。


 やがて見えてきた森の窪地くぼちでリゲルは思わぬものを見つけました。


 もえぎ色の柔らかな草の上で、巨大な牙のようなものがいくつも折り重なって横たわっているのです。

 リゲルははじめ「あれは何だろう?」と首をかしげましたが、すぐにピンときました。


 骨です。

 それも、とてつもなく大きな生き物の……。


「ここはもしかして、竜の墓場?」


 おそるおそる尋ねたリゲルを振り向きもせずに、老竜はゆっくりと首を横にふりました。


「墓場じゃあない。ここはわしの生まれ育った森。竜の一族の森じゃ」


 まるで死がいが喋っているような、ひどく静かな声で、老竜はぽつぽつと話しはじめました。



 *



 もう何百年も昔のこと。

 この森にはたくさんの竜が住んでいた。

 わしはこの竜の村では一番のうでっぷしの強さじゃったから、村の用心棒を任されていた。

 ああ、そうじゃよ。もちろん、人間から一族を守るための用心棒じゃ。

 竜の血を求めてやってくる人間はわんさかいて、わしはそんなヤツらを一人残らずやっつけたよ。


 そんなある時、わしはやっつけた人間がふところにしのばせていた一枚の写真を見つけたのじゃ。

 飲みきれないほどたくさんの水が一面に溢れていて、そこで人間たちが笑っている。


 はて、これはなんじゃろうか。


 村の長老に聞くと「海のことだ」と教えてくれた。

 はて、海とはなんじゃろうか。

 わからんが、キラキラしていてとても綺麗だということだけは確かだった。


 本物を見てみたらもっと綺麗じゃろうか。

 森に水をたくさん持ち帰ったら、みなは喜ぶじゃろうか。


 そんなことを考えているうちに、どうにも我慢ができなくなって、わしはとうとう、こっそりと森を抜け出して、海を見に行ってしまったのじゃ。


 そりゃァ本物の海はキラキラしていて宝石のように綺麗じゃった。

 水は思ったよりしょっぱかったから、持って帰るのは少しだけにしたよ。


 そうじゃ、ほんの少し、ちょっぴり外の景色を見にいくだけのはずじゃった。


 ……森に帰りついたころにはもう手遅れじゃった。

 みな、いもむしのように倒れ込んでおった。

 声をかけてみたけれど、誰からの返事もない。

 見せびらかそうと持って帰ってきた海の水も、結局地面に落としてぜんぶ、こぼれてしまったよ。


 ああ、もったいない。

 誰もそうは言ってくれんかった。


 海は大きかったか、綺麗だったか?

 誰もそうは聞いてくれんかった。


 わしはその時になってようやく気がついたよ。

 取り返しのつかないことをしてしまったのじゃと。

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