第57話 プロトコルス家の兄弟【後日談】


 昼間だと云うのに、その部屋は窓という窓のすべてが厚地のカーテンで覆われていた。


 コンコンコン


 扉がノックされると、暗がりに僅かに漏れた陽の光が、ベッドの上でもぞりと蠢く塊の輪郭をぼんやりと浮き上がらせる。


「公爵家の人間が昼間から布団を被って縮こまっているとは、なんとも情けないことだな」

「兄上……」


 返事を待たずに入室したのは、プロトコルス公爵家嫡男――部屋の主であるセラヒムの兄だった。


「そんなにも、使徒の力がおそろしかったか」

「使徒……?」


 弟の仕出かした騒ぎの詳細は把握していたから、使徒らの脅威の力に畏怖を覚えたのだと確信しての断言だった。けれど、受けたセラヒムは心底困惑した声音を返して来る。


「使徒など、恐ろしくはありません。あれは、我らに力をもたらす便利な道具です……」


 その言葉に「おや」と兄は片眉を上げるが、当のセラヒムは記憶をたどるように宙を見詰め、苛立たしげに爪を噛む。


「そうじゃない、そんなモノは何ともない! 貴方は、わざわざ領地から私を嘲笑いに来たのか! だが私は負けん……、使徒など恐ろしくもない! だから私はっ――」


 オレリアンの娘達を手に入れて駒にしようとした――そう言おうとして、件の伯爵の名を言葉に乗せようとした途端、全ての思考を塞ぐ息苦しさと、心臓を絞られる戦慄に全身が支配される。ぐらりと傾いだ身体を支えられ、助け起こした手の主を弾かれた様に見遣れば、その目が――あの男の「目」に置き換わって見えた。


「ひぃっ……!!!」


 鋭くか細い声を上げたセラヒムは、眼前に在る兄の顔ではなく、驚愕に見開いた眼で虚空を見詰める。彼のただならぬ様子に「どうしたのだ!」と何度も声が掛けられるけれど、兄の顔を見る度に悲鳴を上げる。錯乱して言葉にならぬ叫びを上げる様子は尋常ではない。


 セラヒムの耳には、今も明瞭にの『許さん!!!』と血痰を飛ばした鬼気迫る表情のオレリアン伯爵の叫びが蘇っているのだ。誰かの目を見る度に、視線で射殺されるほどの憎悪を向けられた瞬間に心が逆戻りしてしまうセラヒムは、今や日常生活を送ることすら難しい状態となってしまった。


「残念だよ。こうなってしまっては、スペアどころか身代わりにもなりやしないではないか」


 芝居がかった、どこか楽しげな声を残してセラヒムの兄は笑い声を響かせながら部屋を後にする。よもや人を人と思わない冷淡な弟が、人を恐れるようになったなど――報告を聞いただけでは、自分を陥れる為の謀ではないかとさえ疑っていたが、どうやらこれは本物の様だ――と、心の底からの歓喜を込めて。嗤う。


 人の視線に籠る負の感情。


 それに殊更敏感に反応し恐怖を覚えるようになったセラヒムは、公爵家に隠されて、ひっそりと姿を消してゆくことになったのだった―――。

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