第30話 嫌な予感しかしない


「まあ! 女性がこんなところに一人で居たら、また悪いことを考えるおじさま方が現れちゃいます! 店主様、女性の一人歩きは危険ですよ」


 ミリオンとしては、至極真面目な注意のつもりだったのだが、受けた相手は落ち窪んだ目を大きく見開き、やがて堪えきれないと云うように「ぶはっ」と、大きく吹き出して大声で笑い始めた。


「笑い事ではありませんわ! わたしなんて、2度も会ってしまったんですから。本当に危険なんですよ」

「うんうん、分かったよ。お嬢ちゃんはそのまま力を傲らない、真っ直ぐなままでいておくれ」


 老婆は、なんだか的外れな答えを返しつつ、ひいひいと肩で息をして爆笑している。その背中をさすっていると、大通りの方から笑い声を聞き付けた者がちらほらこちらを覗き込むのが目に入る。


「店主様、ちゃんと人目のある大通りを歩いてくださいね。わたしは目立つわけにはいかないので、これでっ」


 慌てて立ち去ろうと身を翻した瞬間、老婆とは思えない素早い動きと力で腕を引かれてつんのめった。


「まあ待ちな。お嬢ちゃんだって裏道を行けばまたあの人騒がせな魔法を使うことになっちまうよ? 特に、いつまでも寛げる、わたしのところにおいで」


 何故か試すような視線を向けて来る老婆に首を傾げつつ、けれどこの困った状況に折角の有難い申し出だし……と、笑みを返す。


「今日の夕飯まで時間はあります! お邪魔して宜しいのですか!?」

「――あぁ……なるほどね。上手くかわしたね。いや、無意識か……。毒気を抜くのも癒しの黒天こくてんの特質なのかもねぇ」

「店主様? ご迷惑でしたら無理にお誘いいただかなくても、わたしは何とか致しますから」

「いいや、誘ったのは私の方さね。お嬢ちゃんさえ大丈夫なら、今日の夕刻まで一緒に来てもらおうか。――もし先の質問で是と答える様な迂闊な者なら、使徒の持つ永き命の絶えるまで隠り世かくりよに連れ去ろうかと思っていたんだよ。使徒は、些細な選択の失敗で容易に堕ちてしまうからね。そこに手を差し伸べるのが私の使命だから、悪く思わないでおくれ。賢さとは違うが、お嬢ちゃんは見事に回避したから合格さ。」


 老婆は一時纏った不穏な空気が嘘だったかのように、柔らかな笑顔をミリオンに向けると路地裏を先導して進みだした。





 老婆の進む先は無意識に『導きの書店』だとばかり思っていたが、辿り着いたのは大きな邸宅を取り囲む、中も見えないほど高い石塀の側だった。


 真っ白な石塀の上には等間隔に青銅で出来た使徒の像が置かれている。像は、2対の翼を背から生やし、片手に剣、もう一方には魔法を示す宝珠を掲げた勇壮な姿だ。誰の邸宅かは世間知らずなミリオンには解らないが、この堅牢で豪奢な石塀だけでも、中にある豪邸がとんでもない身分の人の持ち物だと云うことは解る。見慣れた薫香店の建屋よりもずっと背が高く、オレリアン伯爵邸を取り囲む物よりずっと長く延びているのだから。


「久々にここから入るねぇ。私の記憶が確かなら……おぉ、あったあった」


 老婆は手慣れた様子で、石塀に組み込まれた何の変哲もない石の一つをグイと押し込む。すると、石とは思えない滑らかな動きで塀の一部がスルリと動き、大人ひとりが立って通れる高さと幅を持ったトンネルがポッカリと口を開けた。


 彼女に導かれるまま、おっかなびっくり石塀を潜り抜けると、そこは良く整えられた庭園の片隅で、目の前には芝生の中を文様を描く様に作られたレンガの小径が広がる。


「公爵家のタウンハウスともなれば、少なくともこのくらいの仕掛けは施されているもんさ。けどこの扉は長いこと使われていないようだねぇ。直系が居なくなるとこうなっちまうもんなんだねぇ……」


 どこか感慨深げな老婆も気にはなるが、さらりと呟かれた言葉にも色々突っ込みどころがある。何より気になったのは――


「店主様? 今、公爵家と聞こえましたが」

「あぁ、気にすることは無いよ。私の住処だった場所だからね」

「……住処……でしたら何故正面からお入りにならないのですか?」

「そりゃあ、今の私はこの家の者じゃないからだよ」

「――え?!」


「曲者――――!!!」


 疑問を感じるのと、見回りの兵士が鋭く声を上げるのは同時だった。


(店主様―――!? そりゃあ叫ばれちゃいますよね!)


 心のなかで絶叫しつつ、隠れるところがないか素早く視線を走らせるが、残念なことに、ここはさっき見回した通り芝生と小路だけが広がる庭園だ。おろおろするしかない状況なのに、老婆は笑顔を向けてきた。


 嫌な予感しかしないミリオンだったが、果たしてその予感は大正解だったのである。

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