第6話 なりそこないのための導きの書店

 

「危ないところを、ありがとうございました。本当ならもっと対価が必要なのかもしれませんけれど、今のわたしにはこれが精いっぱいで……」


 おずおずと差し出された数枚の銅貨。その形以上に目を丸くした少年が、さらにぱっかりと口を開けて静止する。これでは破落戸3人撃退の対価としてはやはり不十分だったかと、不安に目を潤ませ始めたミリオンに気付いた少年が「ちがう、ちがう!」と急いで言葉を発する。


「――ごめんね、予想外すぎて驚いちゃった! 泣かせるつもりなんてないんだけどっ。君は笑った方が絶対に可愛くって。ってそうじゃなくて! これって君が何度も叫んでた本を買うためのお金だよね?」

「かわっ……!? いいえ、構いません。貴方のお陰で無事に済んだんですもの。それに本だけじゃあ体験できないような素敵な、お姫様みたいな掛け替えのない経験もさせていただきましたし」


 母からしか言われたことのなかった「可愛い」と云う言葉の照れくささに、表情を繕うことも出来ずにミリオンは、へにゃりと頬を緩める。その笑顔の直撃を受けた少年は頬を染めつつ「あーもぉ、反則だよ。翠天の悪戯は僕にも有効なのかも……」などとブツブツ呟くと、銅貨を差し出したミニオンの手をそっと自身の手で包み込んだ。


「今回は翠天の導きだったみたいだし、対価はいらないよ。けど君は穏やかすぎて危なっかしいから、このまんま放っておくのも心配だ。次に君に何かあったとき、僕が君を助けられるとも限らないから――本好きな君にひとつ提案がある」


 そうして案内されたのは、ここへ来る途中通ったであろう路地の中に忽然と現れた、無かったはずの道。その先へ少年の先導で進んでいったところにあったのが、怪しげな黒いフードを目深にかぶった老婆が営む魔道古書店だった。入口と天井以外の壁という壁が書架となっており、見たこともない本で埋め尽くされている。


「なりそこないのための導きの書店へようこそ」


 魔道具のほんのりした朱色の明かりがぼんやりと灯る店内に踏み入った途端、しわがれた声が奥から響いて来た。父親の期待した『天使の風貌』と『魔法』。その両方を持たずに生まれた自分に、なんてぴったりな書店名なんだとミリオンの口元は自嘲気味に歪む。


「君の銅貨に見合った本がここには有るから。本に導かれるまま1冊選ぶと良いよ」


 けれど、書店の奥へ導く様に緑の少年に手を引かれ、彼の明るい声を聞けば、頭をもたげていた卑屈な思いは霧散した。他人の声に暖かな思いをもたらされたのは、母親が居なくなって以来のことだ。その言葉に背中を押されて書架を巡ると、ある本の背表紙に吸い寄せられるように手が伸びた。その本は難解な古代文字と、複雑な図形の列挙された古びた魔導書だった。


「ほう、面白いものを手に取ったね。それは『読ませてくれるまで待つ本』だよ。お嬢ちゃん自身の、本来の資質に近付いてはじめて読むことが出来る本さ。ぱっと見ただけじゃあ、欠片も読めやしないだろ?この本に呼ばれたのならお嬢ちゃんも正しくなりそこないということだ。」


 老婆の言う通り、挿絵が何らかの魔方陣や概念図と云うことしか分からない難しすぎる本だ。


(不思議な本!!今まで読んだどの本とも違う絵や言葉が書かれてるなんてワクワクするわ!それに「読ませてくれるまで待つ」ってことは読めない訳じゃないのよね、楽しみ!)


 目を輝かせ始めたミリオンに、老婆と少年が優しく微笑む気配が伝わって来る。


「正しく向き合えば、お嬢ちゃんの『なりそこない』たらしめる心の枷を溶かしてくれるだろう。けれど、注意しときな? なりそこないで無くなった後、ただの魔法使いに戻ることはもうできないよ。私たちは魔法が開花した後は、堕ちるか昇るかふたつにひとつになるからね」


 老婆のしわがれた声が、楽し気に、どこか寂し気に響き「強くお生き」との言葉が掛けられると同時に、周囲の景色が闇に融ける。ミリオンの感覚も夢の中を浮遊する朧げなものになり、次にはっきりと覚醒した時、周囲の景色はオレリアン伯爵家に程近い路上になっていた。



 手の中に握りしめていたはずの銅貨は、いつの間にか消え去っていた。



 呆然と立ち尽くすミリオンは、程なく彼女の不在に気付いたオレリアン伯爵邸付きの衛士達に見付けられ、それ以降、さらに厳重な監視が付き、膨大な量の雑事が押し付けられる事になる。





 ミリオンが手に入れた本は、読めないながらも注意深く文字を辿り続けると、頭の中に意味成す言葉が刻み込まれて行く不思議ものだった。また、その内容は魔法を使う方法を示すと同時に、体内の魔力も知覚させてくれた。


 魔導書に出会ったミリオンは、持ち前の知識欲の赴くまま、本にのめり込むことにより、不安や苦しさを始めとした負の感情を昇華していた。これが老婆の言った『なりそこない』たらしめる心の枷を溶かしてくれる働きだった。と同時に、これまでどれだけ訓練しても使えなかった魔法――それが僅かずつではあったが、確実にミリオンの身について行くことになる。




 魔道古書店との出会いは、本人も気付かない偶然の産物――――ではなく、使徒の運命が手繰り寄せたものだったのだが、この時のミリオンはまだ気付いてはいない。

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