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 その日の夜、私は恋人と待ち合わせをするために街に出た。いつものように早く着きすぎた私は、駅ビルにあったバーに入ってみた。


こういう場でも、私は恋人を待っていますって顔を常にしていると、不思議なもので誰からも話しかけられることはない。


ないのだけれど、その日は私より若い男の子が話しかけてきた。丁度、恋人からは遅れる、と連絡が入ったばかりということもあって、彼を話をしてみることにした。


今朝起きてから、思ったことを彼に話してみた。彼は真剣に私の話を聞いてくれていた。


「そう思える根拠って何なのですか? 理由って意味ですけれど」


「小学校くらいの時からずっと考えていたけれど、答えは出ないんだ。ただ単に運が良かっただけなのかな。先祖に感謝しなければいけないのかもしれないね。今度実家に帰ったらきちんと墓参りに行こうと思う」


「墓参り……ですか?」


 その男の子は不思議そうに言った。そういったことで、さっきまでの親密な空気は少しちぐはぐな雰囲気に変わった。大人になるとそういうのがはっきりと目に見えるようになる。世界に色が変わるみたいに。


「うん、そうだよ。墓参り。おかしい?」


 こういう笑顔を見せると人の心拍数が上がるような顔を私か彼に見せる。今までの発言をなかったことにするために。彼の雰囲気はまた少し違う方向に変わる。


「どうだろう。俺はそういうことあまり深く気にしていなかったな。実家に行った時、それは盆と正月くらいしかないけれど、その時に両親と行くくらいかな」


 彼の回答、愛されてきた証拠だと思った。羨ましい? まさか。私だってそうだった。向きは違うけれど。……本当? 知らない。私はグラスを傾ける。こういう場所に来る人ってやっぱりセックスが目的って人も多いのかな。でも、彼は少し違う気がした。


「家との付き合い方もそれぞれだから。繋がっていることだけを意識していればいいんじゃない? まともな意見もあるし、気狂いな意見もあるよ。みんな、好きに自分の言いたいことを言っているだけなんだよ、きっと。話を聞く人なんて誰もいないんだ。本当だよ。どう思う?」


 昔はこうじゃなかった。私はもっと、単純なことしか考えてなかった。自分の考えが変わる時ってのは誰かの影響。それしかないと思っていて、私も例に漏れずそう。それを通ったから、今彼にこうやって今話ができる。その話は、これから私が話をするから、待っていて。


「繋がっている……ですか?」


「そう。君、両親兄弟祖父母、恋人。もっと広がると友達、クラスメイト、同僚、地域、都道府県、国……。人間」


「お姉さん、何か変な集まりでもやっているんですか? 俺の相手してくれるってそういう?」


 今度は戸惑った表情、彼が感じる戸惑いから空気が不穏に。人間って面白いよね。


「まさか。私は日本人として当たり前のことを言っているだけだよ。それに私はその手のものって大嫌いなんだ。だって想像力ゼロの連中だけがありがたがることでしょ? 骨抜きになってしまって考えることをやめてしまった人たちなんて視界に入れたくない」


 怒りを全く出さずに、静かに言った。彼が欲しい台詞じゃないってことは分かっているから言ったわけだけど、彼が引いているのが分かる。それも、凄く。


 軟派目的でここに来て、運が悪く私に声をかけて、私と会話をしている彼。私に話しかけたばかりのころの彼はきっと、今頃私とどこかの部屋で同じベッドに入っていると思っていたのかもしれない。ごめんね。


 私は少し、人の影響を受けやすすぎるかもしれない。これから先どこかでこの考えが間違っていたと思うかもしれない。でも、考えていることはずっと単純で、細かいことや難しいことは置いておいて、私は単純に人の心がわからない人間になりたくないだけ。


 あと、自分が頭が良いと思っている人間になりたくないだけ。人をものだと思い込んでいる馬鹿になりたくないってそれだけ。


 彼は私の顔を眺めながらジントニックを啜っている。判断に迷う顔。私は適当に頼んだ水割り。今私が待っている恋人は、私に会う時、少し酔っているほうが嬉しがる、変な人。だから飲んでいる。


 別に酒なんて好きじゃない。少なくとも、おいしいと思ったことなんて一度もない。でも、今日はあんまり悪くないかも。彼は啜っていたジントニックの残りを全部飲み干した。グラスを机に置く音が響く。テーブルの振動、グラスの色、暖色の証明、人の囁き、よく分からないエネルギー。


「変な話かもしれませんが、俺はどうもあなたに興味が出てきてしまったみたいです。正直に言うと、変なことばかり言ってくるな、と戸惑っていたんですが、一度自分の中に入れてから考えると、変なことは言っていない気がするんです。どうしてそういう考えをするようになったのか、良かったらもっと詳しく話を聞かせて貰えませんか? 今夜はいくらでも飲めそうだ」


 彼は新しい酒を注文をした。私のグラスにはまだ半分残っていて、このご時世、店もまったく混んでいないから追い出される心配はない。ただ、閉店の時間は決まっていること、私の時間も決まっていること。それだけ。


「私は人を待っているんだけれど、来るまでの間なら貴方との話にも付き合えると思う。それでも良い?」


「いいですよ、俺はあなたの友人ができれば遅くなってくれるのを祈るだけですが」


 そう。じゃあ話すね。


 あの時も冬だった。


 とても寒くて、とてもとても長い冬。

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