長い冬に海を探す

坂原 光

長い冬に海を探す

オープニング

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 ブロロォォォォォォ……とエンジンの唸る音が聞こえる。


 舳先が波を切っていく音、風が流れていく音。


 振り返ると港はもう随分と小さい。陸地そのものがまるでちっぽけな存在だ。でも、自分はあれより小さいのだから更に矮小な存在と言うことになる。


 実際にこうやって何度も海に出ると、自然の偉大さ、自分のショボさを実感する。しないわけがない。親父は『そう思ってからが、学ぶ、そして大きくなる第一歩だ』と言う。親父の言葉は全て彼自分の経験だ。経験からしかものを語っていない。だから、俺は親父の言葉を無条件で信じる。


 少なくとも、自分で動きもしないであれこれやった気になっている連中より百倍はいい。思い浮かんだのは俺の親父だ。今一緒に船に乗っている親父じゃなくて、俺の本当の親父。育ててくれた恩はある。そうじゃなきゃ野垂れ死にしていただろうからね、間違いなく。


 でも……結果的には俺は中学校卒業して無職になっちまっていたわけだから、そんな状況でも家から追い出されないってだけでも良かったんだろうよ。そういう意味じゃ、嫌悪感を抱くのはずるいよな。……と、んなこたぁどうでも良いんだ、集中しないとな。親父にどやされるぞ。


 耳は冷たい風を受けてもう真っ赤だ。冬に朝早くから海へ出るのは、何度経験しても慣れない。こんなこと言うとまた親父からどやされるから、もう何も言わずに海を眺めている。


「親父さん、今日はどうでしょうね」


 繰り返すようだが、親父……ってのは俺の本当の親父ではない。海の親父って意味だ。つまり、なんだ。その、俺の師匠って意味なんだな。当の親父はずっと、船の舵を取りながら海を眺めている。


 こういうときは何を言っても駄目なんだ。何も聞いてやしない。親父曰く、今は海を読んでいるって言うんだ。今日これからどんな天気になるのか。どこに魚がいるポイントがあるのか。海は荒れるのか等々……。


 俺がいつか一人前とは言わなくても、半人前にでもなれれば、親父は俺にそのポイントを教えてくれたりするんだろうか。今だってはっきりって何も教えてなんて貰ってない。目で盗めってことなのかな。


 よくあるだろう、職人の世界ではさ。俺は本当、海や魚のことなんて何も知らないし、船舶免許だって持ってない。ホント、只の見習いなんだよな。半人前になるのだって、あと数年はかかるだろうよ。


 でもいいんだ、俺が選んだ青春だからさ。あいつは今頃何やってんのかな。酒でも飲んで酔っ払っているのかな。……今の時間、寝ているか。不思議なもんだ、ただ、どこかの駅で会っただけだってのに、未だに関係が続いているんだからな。


 もっとも、生きている時間帯がずれているから、会っている暇はないんだけどさ。今日あたり、電話でもしてみるかな。……おっと、まただよ。どうも、俺はこういう何もしない時、いつも何かを考えてしまうんだ。


「今日は晴れる」


 前を眺めていた親父が突然、そんなことを言った。いつも天気のことなんて口にしない。それくらい、空を見て自分で考えろってのが親父の方針。だから俺も空を睨む癖がついているんだ。


 そんなことを言うなんておかしいぞ。俺が、あの女のことを考えているって、親父は気が付いたのかもしれないな。親父だって、俺と同じであの娘のことが好きなんだ。嘘偽りなく。風は俺の耳を切り裂かんばかりの勢いで流れていく。海を睨む。


「今日は、寒ぃな」


 こんなことを言うことも珍しい。やっぱり、俺が女の……怜のことを考えたからそれが親父にも伝わったんだろうな。親父には、心の中が読めるんじゃないかと思うくらい、こっちの考えていることが伝わっちまうんだ。


 言い換えれば、俺が考えていることが顔に出すぎるってこと、あと、思考が表情に出過ぎるってことかもしれない。だとしたら、俺がこうなる前に考えていたことってのも全部、誰かに伝わっていたってことにもなるよな。


 船は進む。


 親父は魚のいるポイントを知っている。俺は変わらず海を眺める。そこに何かを見つけるまで。

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