4-5

 俺は協力を取り付けるべく二人へ電話した。とりあえず話を聞いてもらう約束を取り付けた俺たちは、写真部出て二部屋挟んだ美術部に向かう。


 木曽は部室に鍵をかける事で小海と入れ違いになるのをおそれていたが、それなら留守番するか、と言ったらためらいを捨てて戸締りをした。


 美術部の扉にノックして名乗ると、どうぞ、と返事がある。だけど声の主である大町に歓迎されていないのが伝わってくる声色だった。迷惑をかけるのを承知で扉を開ける。

 

「すみません。無理言って」

「本当よ。何をするつもりか知らないけど他所でやってほしいわ」


 大町は絵の具汚れのあるエプロンの前で腕を組んでいる。その隣で上田がにこやかに手を上げた。


「やあ、木島平。久しぶりだね」

「はい。足はどうですか?」


 すぐ近くに立てかけてある松葉杖をチラリと見て尋ねた。


「思ったより調子いいね。これならすぐにでも練習に参加できると思うよ」


 手術を終えて二週間ぐらいなのに上田は元気があり余っているようだった。そんな様子に大町が厳しい声をかける。


「まだ駄目って言われているんだから、ちゃんと守りなさい。無理して完治が遅れたら迷惑するのはチームメイトなのよ」

「わかってるよ。心配してくれてありがとう」

「心配なんかしてないわ」


 二人の関係は相変わらずのようだけど、なんだか距離が近くなった気がした。会話に入っていいのかためらっている間に、ノックもなしに扉が開かれる。そこにいたのはサッチで、入ってくるなりうんざりしながらぼやいた。


「こんなとこに呼び出さないで」

「私が呼んだわけじゃないわ。だから嫌だったのよ。青ネクタイを招くのは」

 

 開口一番、火花を散らすサッチと大町だったが、間に入ってなだめる。


「お願いできる場所がここしかなかったんです。御代田先輩の無礼は、呼んだ俺が代わりに謝ります。だから多目に見てもらえませんか?」

「何であたしが悪いみたいな言い方するの。だいたいろくに説明もせずに呼び出さないで」


 その言葉に反応するのは上田だ。


「何をしたらいいかわからないけど僕は協力するよ。御代田もそのつもりだから来たんだろう?」

「話ぐらいは聞こうと思っただけなんだけど」

「じゃあ聞こうじゃないか。いいよね、大町さん。僕らは木島平に助けてもらっている。今度は僕らの番だよ」

「……わかってるわよ」


 上田はあっさりと二人をなだめてしまった。さすがとしか言いようがない。


 人徳の差を見せてくれた上田はパンッと手を叩いた。


「二人が納得してくれてうれしいよ。じゃあ話してもらおうか」

「ええとですね。写真部のひとり、こいつの先輩が撮影のためにスポーツ科校舎に行ったらしいんです」

「普通科一年、写真部の木曽です! どうして小海先輩がそんな無茶をしたのかわからないけど、俺、心配なんです!」


 木曽は焦っているのか、気持ちに引きずられて踏み出した。その勢いに大町の顔がひきつる。


「それはわかるけど、どうするつもりなの? 上田に行かせるつもり? 見ての通り松葉杖使っても歩くのがやっとなのよ」

「そこまで悪くないんだけどな」

「強がる癖を治したらどうなの。そうやって無理するから大怪我したんでしょ」


 これ以上何を言ってもやぶ蛇になると悟ったのか、上田は口を閉じた。代わりにサッチが毒を吐く。


「やっぱり心配してるんじゃない。それで木島平はどうするつもり?」

「俺というより、木曽がどうしたいかですね」


 全員の視線を集めている木曽は迷っているように見えた。小海を追いかけたいのは知っている。問題はそこから先だ。スポーツ科校舎に普通科の小海がいると発覚していれば今頃騒ぎになっているはず。だけどそんな様子はない。俺が考えている方法と同じやり方を小海がしているならトラブルにはならないだろう。そうなると俺たちが行く必要もない。木曽がそれに気づいているのかはわからないが、上田たちの手をわずらわせる事の大きさは感じとっているように見える。


「俺は、小海先輩がそこまでして撮ろうとしているものが何か知りたいです。その場で同じものが見たいです。うまく言えないけど、そうしないと追いつけない。追いかけていられるのは一年しかないから。自分勝手な事を言っているのはわかってます。だけど、一秒でも無駄にしたくないんです」

 

 最後に吐き出された木曽の心が、忘れかけていた授業風景を思い出させる。教壇に立つ南牧は言った。高校の三年間なんてあっという間だと。それに対して木曽が言った言葉も鮮明によみがえる。一年でも長いすぎる、だ。


 あれから一ヵ月しか経っていないのに、手のひらを返したように真逆じゃないか。まわりにいる大人たちと同じ事を言っている木曽は、成長してしまったようでまぶしく見えた。


 そんな木曽の思いなど関係ないとばかりに、サッチは切り捨てる。


「自分勝手とわかってるなら協力できない。そんな独りよがりな感情が秩序を乱す――」

「御代田、彼らの話は終わってないよ。最後まで聞いてあげよう」


 サッチをさえぎったのは上田だ。にこやかな笑みを浮かべてはいるが、何が言いたいのかわからない。木曽は心の内を全て見せた。これ以上、何を話せというのだろう。


 そして上田は言葉をつなげた。


「木曽の思いは聞いた。次は木島平の番だね。君は何のために行く?」

「それは……木曽を助けるために」

「それなら小海さんの居そうな場所を木曽に伝えればいいだけだ。スポーツ科校舎に入る方法と一緒にね。一緒に行く必要はない」


 確かにその通りだ。でも俺は行きたい。それは木曽以上に自分勝手な思いだ。だから友達を助けるという建前を使っていたのかもしれない。


 だけど納得させるには本心を話すのが礼儀だ。そうでなければ協力してくれる上田に失礼でしかない。もし、断られたらそれまで。受け入れよう。


 俺は頭を下げた。


「すみませんでした。俺がスポーツ科校舎に入りたいのは別の理由があります」


 それから全てを話した。スポーツ科校舎からでしか見られない景色があると富士見から聞いた事。小海がフォトコンテスト用に撮影しようとしているのも同じ景色である事。そして俺も見てみたい事を。それは自分勝手で、どうしようもないぐらい小さいわがままだ。


 話し終え、顔を上げた俺を待っていたのはサッチの大きなため息。まるで失望を隠す気がない。


「景色なんてどうでもいい! そんな事のためにわざわざ呼んだの? 信じられない!」


 そういう反応が返ってくるのはわかっていたが、本心をさらけ出すというのは思った以上に開放された気になれた。そして、ほんの少しだけ恥ずかしい。


「無理言ってすみませんでした」


 風紀委員としての役割を忠実に果たそうとするサッチも、偽らずに本心で話せと言った上田も、正しい。たった一年早く生まれただけなのに、彼らは大人で、俺はどうしようもなく子供だった。


 サッチは扉に手をかけて背中で話す。


「あとは風紀委員で対処するからおとなしくしている事。約束はできないけど悪いようにはしない」


 俺と木曽にできる事はもう何もない。そう思っていたが、上田がサッチを引き止めた。


「御代田、僕は彼らに行かせたいと思う」

「どうして? 意味がわからないんだけど」


 勢いよく振り返ったサッチは驚きを隠そうともしない。それは俺と木曽も同じだった。大町はため息を吐き、ただひとり、上田だけが楽しそうにしている。


「自分勝手でいいじゃないか。まわりを気にしすぎて何もしないよりずっといい。僕だって先輩を押しのけてレギュラーを勝ち取ってきたし、戦った相手がどんな思いを抱えていようが構わず倒してきた。だから否定したくない。それに状況を利用して悪事を働くつもりはないだろ」

「はい」


 俺と木曽は反射的に答える。本心からの返事を上田は信じてくれた。


「そういうわけだから、御代田も協力してあげてほしい。納得できないなら僕への貸しにしてくれていいよ」

「その言い方はずるい。貸し借りで言ったら、美術部の紛失騒ぎで借りを作ったのはあたしだし」

「貸しを作った覚えはないけどね」

「本当に良い性格。わかった。手伝ってあげる。それで何をさせる気?」


 全員の視線が俺に集まった。わがままに付き合ってもらえる感謝を込めて、また頭を下げる。


 そして顔を上げ、はっきりと言った。


「上田先輩、御代田先輩。二人のネクタイを貸してください」


 上田は、なるほどな、とうなずく。


「スポーツ科のネクタイをしていたら気づかれないだろうね」


 そこに大町が口をはさんだ。


「自分と違う校舎に入っていけないのは慣例であって規則にはないけど、ネクタイの取り替えは確実に校則違反。風紀委員として許さない」

「それがですね。ネクタイをきちんと着用しろとは書いてあるんですけど、異なる科のネクタイを締めてはいけないとはありません」


 以前、サッチにネクタイを注意されたあとに確認したから間違いない。まあ常識的に考えれば良いはずないが、建前でも正当性がほしかった。


 俺の話を聞いて、大町は生徒手帳を開く。


「……確かに書いてはいないけど、そんな事をよく思いつくわね」


 半ばあきれている大町にサッチが同調する。その顔はやっぱりあきれていた。


「まったく同感。でもネクタイを変えただけで気づかれない確証があるの?」

「大丈夫です。一年生が入学してまだ二カ月だし、見かけない顔を見かけても怪しむ人はいません」


 完璧ではないにしろ、うまくいくはず。詭弁きべんでしかないがサッチはうなずいてくれた。


 そして木曽は上田とネクタイを交換し、俺はサッチのネクタイを受け取る。正確に言うなら彼女はネクタイを手放さなかった。


「約束して。トラブルは絶対に起こさない事。いい?」

「絶対とは言い切れないけど、努力します」

「そこはうそでも約束しなさい。どうでもいいけど、ワンタッチネクタイなんてつけてるところが子供だっていうの」

「今朝は時間が――」


 言い訳は最後まで聞いてもらえず、さっさと行け、と追い出される。


 そうして俺と木曽は青いネクタイを締めて、スポーツ科校舎へと向かった。

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