普通科とスポーツ科

2-1

 松木北高校に入学して二週間が過ぎた。それは三年ある在学生活の中でほんの一瞬でしかない。それが長いのか短いのかは人によると思う。


 教室は張り詰めた空気に満たされれており、英語教師である南牧みなみまきの授業は加熱する。


 真剣に耳を傾けノートにペンを走らせているほとんどの生徒にとって、三年という時間は短い。だけど長いと感じている連中もいた。眠さにあがらえずに舟を漕いだり、ボーッとしているやつもいる。彼らにとっての二週間は集中力を途切らせてしてしまうほど長いらしい。


 そんな態度が目についたのか南牧はチョークで黒板をついた。カツンとかわいた音が鳴る。


「あのなあ。七限目だから気が抜けるのはわかるが、集中しろよ。そんな事だと後で後悔するぞ。高校の三年間なんてあっという間に終わるんだからな」


 だけど彼らが気を引き締める事はなかった。それを後押しするように、真後ろの席からつぶやきが聞こえる。一年でも十分長いだろ、と吐き捨てる声は気だるげだ。


 そういえば前にBMX仲間から聞いた事がある。歳を取ると時間の流れが早く感じる、と。南牧が聞いていたら同意しそうだ。


 俺にとってはどうなんだろう。何かに例えてみればわかるかもしれないと、去年を思い返す。


 大腿骨骨折という大怪我をして入院していた時間はとてつもなく長かった。だけど復帰後は逆だった気がする。大会スケジュールからするとリハビリやブランク埋めに使える時間は短すぎた。その上、受験勉強もしないといけない。


 そんな状態では全力を出せるとは思えず、結局は大会に出なかった。だから、あの時間は長くも短くもなく、それ以前の話だといえる。端的にいえば無駄な時間だった。


 そう考えると南牧の言葉がしっくりくる。つまり時間は有効に使えって話だ。


 その結論に満足してシャーペンを握る。南牧はとっくに授業を再開していて、まだ書き写してないのに黒板を消してしまった。薄く残るアルファベットの上に新たな英文を書きなぐる。


 余計な事を考えていたから俺が悪い。だけど気がそがれてしまった。


 机に突っ伏すわけにもいかず、窓の外に目を向ける。今にも降りだしそうな雲で覆われた空は低い。しかも隣にある事務棟のせいで更に狭く感じた。せっかく窓際の席だというのに残念すぎる。


 視界が広がるのを期待して目線をスライドしていくと事務棟の端までたどり着き、その先にサッカーコートが見えた。強豪校らしく高いネットに囲まれ、照明塔がいくつも立っている。


 そこでは黄色のジャージを着た部員がウォーミングアップをしていた。背中には大きく『MK』と書かれている。体育の授業で着るジャージは緑色だから、サッカー部の特注かもしれない。もしかするとユニフォームと合わせて作っているのかも。緑ジャージを着て練習しているグループがいるから、その考えは当たっていそうだ。


 それがわかったところで俺に関係はなく、六限までしか授業がないスポーツ科が少しだけうらやましいと思わされる。


 そんな現実逃避をしている間に、授業終了を知らせるチャイムが鳴った。緊張から解放されて荷物をまとめているクラスメイトに南牧が待ったをかける。


「急な話だが、明日は出張になったから自習にする。確認テストを作っておくから明日の授業前に日直が取りにきてくれ。それから、木曽きそ


 俺のすぐ後ろから、はい、と聞こえた。


「何ですか?」

「悪いが今日の予定はキャンセル。小海こうみにも伝えておいてくれ」

「えー! 楽しみにしていたんですよ!」


 その声は失望を隠そうともしていなかった。


 いったい何の話をしているのか? そう思ったのは俺だけではなく、他のクラスメイトもだった。首をひねる生徒がいるし、ひそひそ話している姿も見える。


「そう言われてもな。俺だって被害者なんだよ」

「わかりました。……『了解』だそうです」

「お前な、授業中にスマホ触るなよ。もう終わってるけどさ。それにしても返信早すぎないか?」


 首だけひねって後ろを見ると木曽はスマホを持っていた。一瞬だけ目が合ったが、すぐにスマホへ目を落としている。


「普通だと思いますよ。今『埋め合わせお願いします』って追撃きました」

「ちゃっかりしてるな。わかったよ」


 そして南牧は足早に教室を出ていく。


 俺も帰ろうとした時、木曽から話しかけられた。


木島平きじまだいら、ちょっと話があるんだけど」

「何?」


 木曽とは席が前後なだけで今までほとんど会話がなかった。それだけに何の話か気になる。そんな身構えてしまう俺とは逆に、親し気にスマホを見せてきた。


「一昨日の夜、BMXやってただろ」


 スマホに映っていたのBMXパークで飛んでいる俺だ。画面が小さくて顔がはっきりわからないが、乗っているBMXは俺のもので間違いない。


「そうだけど、よくわかったな」

「さっき、目が合った時にわかったんだよ。あの夜のやつだって。そんな事より、木島平ってすごいな! 自転車でバク宙かよ! しかも、めっちゃ体そらしてるし。俺が女なられてるな」


 手放しでほめられてはいるが良い写真とは言いたくない。思っていたほど高さがないし、反りもあまい。要するに被写体が悪かった。


 だけどカメラマンは良い。コントラストがはっきりしているからか、照明を受け止めたジャンプランプが夜の闇に浮かび上がって見える。その上を飛ぶ俺の姿からも躍動感が伝わってきた。


「これ、木曽が撮ったのか?」

「そうだけど、勝手に撮ったらまずかったか?」

「そうじゃなくて、すごいと思ったんだ。写真は詳しくないけどパワーが伝わってくる感じがする」

「俺なんか全然だって。写真部の先輩にすごい人がいてさ。実力差を思い知らされるよ。見てくれ、これ」

 

 木曽の指がスマホの上を忙しく走り、写真が切り替わる。その静止画はサッカーの試合を撮ったもので、見た瞬間に俺の中で映像になった。

 

 ゴール前にパスが上がる。味方が作ったチャンスをものにするために、フォワードは黄色のユニフォームをなびかせて駆けた。だけど彼には二人のマークがついている。フォワードはフェイントをしかけて隙を作り、ダイレクトにシュートを打った。ボールを蹴るインパクトの強さと、何が何でも決めるといった気迫が伝わってくる。


 この写真は、その場で見ている気にさせる力を持っていた。


 それにしてもフォワードのフィジカルの強さには驚かされる。胸にある『MK』の文字が歪むほど強くつかまれているのに体軸が全くぶれていない。


「シュートもすごいけどパスもすごいな。このフォワードなら決めてくれるって信頼してるのがわかる。相手のキーパーがかわいそうだ」


 つい描いたイメージのまま話してしまった。木曽を混乱させてしまったかと思ったが、興奮した様子で身を乗り出してくる。


「だよな! 良い写真って一瞬を切り取るだけじゃなくて前後も見せてくれるんだよ! それに引き換え俺のはなあ。木島平の着地がどうなったかさっぱりだよ」

「ミスしたみたいに言うなよ。ちゃんと決めたし」

「知ってるよ。見てたから。俺が言いたいのはそれを伝える力がないって事」

「写真って奥が深いんだな」


 俺と木曽では熱くなれるものが違う。だけど注いでいる情熱は同じだと思った。だからか同じ熱さを持った木曽が撮った写真をよく見てみたくなる。ブレザーのポケットからスマホを出した。


「写真、もらえないか?」

「いいよ。そのかわり頼みがあるんだけど」

「そのかわりってなんだよ。被写体は俺だろ」


 文句を言っている間にIDが交換されて写真が届いた。


「そう、それなんだよ。また撮らせほしいんだ。できたらもっと近くで。駄目か?」

「そんなにBMXが気にいったなら、いいけど」

「いや、それほどじゃないかな」

「ないのかよ」


 秒でツッコミを入れると木曽は笑い、そして真剣な顔をした。


「かっこいいと思ったのは本当だって。躍動感があるしスピードもある。シャッターのタイミングもシビアだってわかった。だから練習になると思ったんだよ」

「練習って写真の? ちゃんと話せよ」


 意図がつかみきれずに説明を求めると、ここだけの話な、と前置きされた。そして俺がうなずくのを待って話し始める。


「俺さ、スポーツカメラマンになりたいんだ。だから松北に入ったんだけど、ここって普通科とスポーツ科の境界がはっきりしすぎてるせいか普通科生徒おれたちだけで行くと嫌な顔されるんだよ。一応、撮影して良い日が月に一度あるけど、それじゃあ全然足りない」

「だから俺で練習したいのか。やってる事が違っても撮る感覚が近いから」


 木曽は悔しそうに拳を握りしめながらうなずいた。カメラへのひたむきさを知ると協力してもいいかと思える。


「いいよ。ただ、ひとつだけ教えてほしい。その気持ちは今日の撮影が流れた焦りで言ってるだけじゃないよな」

「違う。かっこいいと思わなかったら撮らせてくれなんて言うもんか。……何で今日の撮影を知っているんだ?」

「そうじゃないかって思っただけだよ」


 その考えに至る要素がいくつもあっただけだけど、木曽は納得いかないらしい。


「木島平こそちゃんと説明しろよ」

「南牧先生が言ってたやつ。キャンセルした今日の予定って撮影の事だろ。それと、俺たちだけで行くと嫌な顔をされる、とも言っていたよな。南牧先生が同伴してくれるはずだったんじゃないか?」

「そうだよ。南牧先生は写真部顧問なんだ。でも、急にキャンセルって言われても納得できないって」


 さっきのやり取りを思い出したのか木曽は苛立ち始める。このままだと南牧への暴言を言い出しかねないからフォローせざるを得なかった。


「それは許してやれよ。顧問の前に教師なんだからさ。今頃、明日の確認テストを作るのにかかりっきりだろうし」

「そうなのか?」

「言ってただろ。急な出張だって。だから用意できていないんだと思う」


 話すべき事は全部話した。それなのに何も言わないのはどういう事だ?


 木曽は石像のように動かないでいたが、ゆっくり口を開いた。


「木島平って……すごいな。何でわかるんだ?」

「南牧と木曽の話をまとめただけなんだけど」

「いや、普通そこまで考えないって」

「普通科だけに?」


 うまいことを言えたのに、木曽の反応は厳しかった。


「面白くない」

「もう少しオブラートに包めって。それでもう一度聞くけど、本気で撮りにくるのか? 中途半端な気持ちで来られても邪魔なだけだし」

「本気に決まってるだろ。うまくなるには何千枚撮っても足りやしないんだよ。それに気に入った被写体ならモチベ上がるしな」


 木曽は真剣な目をしていた。だから俺も応えてやりたいと思う。面と向かって気に入られたと言われたからではない。けっして。


「わかった。学校が終わったら、だいたいあそこにいる。でも……」


 窓の外に目を向けると雲はさっきよりどんよりしている。降り出してはいなかったが時間の問題のよう思えた。


「雨が降ったらいないけど」

「助かる! もっと良い写真を撮れるようになるから期待してくれよな!」

「いるのは俺だけじゃないから、邪魔になるようならそこで終わり。まあ部活の撮影でも同じだから大丈夫だと思うけど。そういえば今日の撮影ってサッカー部?」

「何でわかった? それも推測できる事があったのか?」


 木曽は興味津々で目をかがやかせていたが、その期待には応えられない。


「ただの勘。キャンセルって聞いた時のがっかり具合がすごかっし、見せてくれた写真が松北のサッカー部だったから」


 サッカー部が着ていたジャージと写真のユニフォームは同じ黄色だった。松木北高校を表す『MK』のロゴも一緒だったし間違いないだろう。だからといって今日の撮影がサッカー部だと言いきれないから当てずっぽうだ。


 勘と聞いて木曽は笑い、つられて俺も笑った。


 そんな和やかな空気になるのを見計らったように教室のスピーカーから、ポーン、という間延びした音が鳴る。


『一年四組の木島平誠悟せいご君。職員室、富士見ふじみ教頭のところまで来てください。繰り返します。一年四組の木島平誠悟君。職員室、富士見教頭のところまで来てください』


 呼び出される事をした覚えはなく首をかしげる。そんな俺に木曽はニヤリと笑いかけてきた。


「何やったんだよ。白状するなら今のうちだぞ」

「身に覚えがない。本当に」


 職員室に呼び出され、しかも教頭からだ。事の大きさに顔がひきつる。そんな俺に木曽は気楽に言った。


「じゃあ、さっさと行ってこいよ。叱られると決まっているわけじゃないし」


 確かにそうだ。立ち上がって鞄を持つ。


「そうする」

「おう。また明日」


 教室の扉に手をかけて、もうひとつ聞きたい事があったのを思い出した。


「木曽。どうして話してくれたんだ? その……進路的な事を。まだ俺がどんなやつかわからないのに」


 夢、という言葉を声にするは気恥ずかしくて、逃げるように曖昧に言ってしまった。そのせいで何について聞きたいのかあやふやになる。


 だけど木曽には伝わっていた。首をひねり、少し考えたあとに指をパチンと鳴らす。


「先輩の写真を見た木島平の感想が俺と同じだったから、だな」

「たったそれだけで?」

「気が合うって、付き合いの長さより大事だろ」


 木曽は言ってからセリフのくささに気づいたのか、追い払うように手を振った。だから俺は何も言わずに教室を出る。


 照れくさいのは俺も同じだったからだ。

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